第44話 晴天下

 照ってるなぁ、日差し。

 手でひさしを作って斜め上の空を眺める。梅雨入り前最後の抵抗とでも言いたげに太陽が燦燦と光り輝いて、容赦なく紫外線を振りまいていた。立っているだけでも汗がじんわりと滲んで、手の甲でそれを拭う。

 そんな僕の視界を、なんらかの球体が横切った。影が地面を追いかけて、やがてそれはぴたりと止まる。


「ナイスパス」


 よく知った爽やかな声が響く。声の主は感触を確かめるように足元のボールをぽんぽんんと弾ませ、やがてなにかに納得したのか、緩やかに駆け出す。視線のフェイクと重心移動を駆使し、寄ってきた相手を一人また一人と追い抜いて、最後につま先で軽く小突いてボールをフェンスへ。鮮やかな手並み――ここでは足並みが正しいか――に感服したメンバーが「おぉ……」とぱちぱち手を鳴らした。


「及川すげー! プロじゃんプロ!」

「経験者だからこれくらいはなんとかね」


 ころころ転がるボールを手に抱え、華麗なテクニックを披露したばかりの竜也はこともなげに呟く。土曜の正午。休日を返上しての球技大会直前特訓だったが、意外と人は集まった。

 発案者はサッカー部の部員。なんでも、土曜は部の練習が午前で終わるから、午後に軽く連携の確認だけでもしておかないかとのこと。サブグラウンドの貸し出し許可は既に取ってあったらしい。本番で惨めな姿を晒すしたくはないなという思いが他のみんなにもあったのか、後で合流予定の二人を除いても八人が集まった。今は人員を半々に振り分け、試合形式で体を慣らしていたところだ。


「なんでサッカー部入らなかったんだよ」

「ほら、練習キツそうじゃん?」

「うわー、出たよ天才肌……」


 クラスメイトと談笑する竜也を遠くから眺める。……結局、ここ数日まともに話せてはいなかった。氏家と接触したことになにか言ってくるかもという期待があったのだが、向こうからはノータッチ。耐えかねて「氏家さんと話してきた」と匂わせても、「ふぅん」の一言で片づけられてしまった。早い話が進展なし。万策尽きて困り果てているところだ。

 わざわざ土曜に学校まで来たのも竜也と話す機会を持つためだったのだが、近寄ろうにも巧妙にかわされてしまって上手くいかない。まったく、どうしたものか。

 太陽にじりじり焼かれながらぼーっとしていると、練習終わりのサッカー部が到着。周りが囃し立てるままに竜也とのワンオンワンが始まって、それも竜也優位に展開が進むものだから、見物している側は沸く。……中学でもよく見た光景だ、これ。


「香月って及川と付き合い長いん?」

「他と比べると。中学三年同じクラスだった」


 金網に背を預けていたところ、二人いるうちのサッカー部の片割れが声をかけてきた。名前は久留米。ぱっと見でも身長が180ちょっとあって、近くで話すと体格の良さに怯む。


「あいつ超絶上手い割に、全然名前聞いたことないんだが」

「久留米、サッカー始めたのいつ頃から?」

「中学。その前までは野球やってた」

「じゃあ知らなくても無理ない。竜也は中学入ってすぐ辞めたから」

「マジ? 先輩にいじめられでもしたんか?」

「あんな感じだから疎まれてた可能性はあるけど、原因は違うな」

「……家庭環境?」

「ノー。まあ、気になるなら本人に聞きなよ。気分が乗ってれば教えてくれるかもしれない」


 普段履きのスニーカーでがっつりスパイクの相手を翻弄する竜也。五分ほど競り合ってから向こうが白旗を上げ、久留米に向かって「無理無理!」と腕をぶんぶん振って訴えていた。


「これ、全然優勝いけるぞ。経験者四人のアドバンテージはデカい」

「ん、計算合わないぞ」

「どこがだ?」

「君らと竜也で三人。あ、今日来てない連中の誰かか」

「いや、なにとぼけてんだよ。お前だお前」

「…………」

「新浜ってのがサッカー部にいるんだが、そいつがいっつも言ってるぞ。『どうにかして香月蓮を勧誘してくれ!』って」

「……ああ、そっか。言うよな、あの感じだと」


 ありありと思い描ける。口を開くたびに言っていそうだ。

 ……だが。


「悪いけど、たぶんそいつ、昔のイメージで語ってる」

「昔?」

「確かに僕はちょっとサッカーかじってたけど、クラブは小五のときに抜けてるから。都合ブランク四年。その間スポーツはまったくしてないし、今はただ知識のある素人」


 新浜が僕や竜也を知っていたのは、たぶんどこかで対戦した経験があるからなのだろう。たまたまそこで活躍した僕を見て、しかもそれ以降姿を消したものだから、妄想の中で存在が大きくなりすぎてしまったのだ。彼がイメージする香月蓮は、もはやどこにもいない。


「小四って、区切りとしては微妙だな。お前はなんで辞めたんだ?」

「……僕こそ、家庭の事情かな」

「そうか。まあ、ケンはかなり誇張して喋るとこあるからな……」


 家庭の事情という魔法の言葉によって、これ以上の詮索はなさそうだった。僕の衰え切った技術を頼りにされても困るので、戦術理解はできる雑魚だと認識してもらえると助かる。


「でさ、香月。話は変わるんだが」

「なに?」

「……ぶっちゃけお前、芦屋とどうなん?」

「なんて?」

「いやこの前、お前ら一緒に氏家と喋ってたろ」

「あー……」


 僕からは暗くて確認できなかったが、彼女が挨拶していた一団の中に久留米もいたのか。そのあたりのケアを全然していなかったなと悔いて、それっぽく誤魔化す。


「氏家さんに用事があってさ。でも、僕がいきなり話しかけるのもどうかと思って、顔の広い芦屋に仲介してもらったというか」

「いや、そもそもそれ頼めるのがおかしいんだって。結構話題になってるぞ、お前ら」

「……たとえばどんな?」

「一緒に歩いて帰ったり、教室で親しげに喋ってる男女がどんな噂されるかくらいわかるだろ」

「付き合ってるかって?」

「そう」


 僕の視界に入っていないだけで、水面下ではやはり色々と進行しているらしい。事実無根……とも言い切れないがそのまま真実と思われても困る。だから、なにかしらの対応策を打ち出すべきなのだろうけど。


「ただの友達なんだこれが」

「初めはみんなそう言うんだよ」

「取り調べかよ……。もしかして久留米、芦屋のこと狙ってるわけ?」

「お前は狙ってないと?」

「下心見え見えで近付いたら、そもそも仲良くなれてない」

「…………それもそうか」


 芦屋はそのあたりに絶妙なお断りオーラを出している。そうである以上、そこそこ親密になっている僕にその気がないというのは証明可能だと思う。


「心配ご無用。芦屋は今現在絶賛フリー。まあ、即告白じゃ断られるのが関の山だろうが、友達から始めるくらいだったらなんとかなると思う」

「……ちなみに、どういうタイプが好みとかは言ってないのか?」

「…………思い通りにならない相手がいいとかどうとか」

「それ、無理ゲーじゃねえか」

「うん。だから、よっぽど意思が強くない限りは特攻は控えるべき。まちがっても球技大会でカッコつけてそのまま突撃ーとかはやめた方が良い」

「…………」


 久留米の顔色が明らかに悪くなった。……プランにあったのだろう。心に傷を負う人間を前もって減らせた功績に胸を撫でおろしつつ、そうなる原因の大きな部分に僕の存在が絡んでいるような気がしないでもない黒幕感なんかも味わいながら、肺に溜まった空気を吐き出す。この先散々聞かれることだろうから、回答のテンプレートを用意しておくべきかもしれない。


「……お、来た来た」


 そう思って当たり障りない答えをいくつか考え始めた僕の思考は、間近に迫った高速の足音と、久留米の一言で現実に引き戻された。


「――香月れーーーーん!!!!!」

「…………」


 突っ込んできた新浜を片手でいなし、久留米に問う。


「なんでこいつきてんの……?」

「特訓するなら人数いた方が良いと思ってな。暇そうな奴らに手伝ってくれって声かけといたんだ」

「それで、よりにもよってこうなるかよ……」


 新浜を筆頭に、何人かやってきたサッカー部員たち。……僕、今日はこいつの相手をする気力ないんだけど。

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