第38話 七美郡

天文十八年(一五四九年) 八月 但馬国出石郡此隅山城 山名右衛門督祐豊


 はやい。あまりにも早すぎる。塩冶と田公の戦がこうもあっさりと決まるとは。それも塩冶の圧勝であったとか。七美郡は塩冶の領土として組み込まれようとしておる。


 これを拒む手立てはないものか。儂が表立って部外者の関与を許さず、双方のみで決着つけよと申し付けたのが裏目に出たか。いっそ今から反故にするか。しかしどうやって。


 いや、それであればまた戦の口実を与えてしまう。塩冶が垣屋と手を結び反旗を翻して来たら面倒じゃ。であれば如何する。少し癪だがそのまま七美郡を渡すか。石高もそう高くはあるまい。


「御屋形様、塩冶家の家臣である村井治郎左衛門殿ならびに田結庄左近将監殿がお見えになりました」

「わかった。今行こう」


 平伏して待つ治郎左衛門と左近将監。おそらくは七美郡を塩冶の領地として認めてもらいに来たのであろう。そして左近将監は証人か。


「待たせて済まんな。面を上げよ。用件はわかっておる。七美郡の件であろう」

「はっ、左様にございます。この件は我ら塩冶家と田公家の双方で決着をと仰せつかっております。であれば、七美郡も我らの領地となるのが道理。違いますかな?」

「それであれば儂は但馬国守護じゃ。但馬国守護であれば但馬国の領地は儂のもの。違うか?」

「その守護様が双方で何とかせよと仰られましたゆえ」


 あくまで押し通す気か。確かに命じたのは儂じゃ。さて、どうする。左近将監に意見を伺うか。彼奴も抜け目ない男。塩冶に大きく成られるのは困るはず。七美郡を獲られたら石高はほぼ並ぶぞ。


「左近将監、其の方は如何考える?」

「……はっ、某は村井殿が申す通り、七美郡は塩冶家の領地とするのが道理かと」


 この発言は意外であった。あの左近将監が塩冶の肩を持つとは。やはり塩冶と田結庄、それと垣屋が繋がっているのかもしれない。ここと争うのはまだ得策ではないだろう。


 仕方ない。今回はこちらの負けだ。儂の不用意な発言が招いたこと。身から出た錆じゃ。塩冶を侮っておったが、今後はそうもいかん。しかし、この貸しは高く付くぞ。覚えておけ。


「そうだな。その方らの言、尤もである。七美郡は塩冶のものとする」

「ありがたきお言葉にございまする。我が殿にもお伝えするゆえ書に認めていただけまいか?」

「わかった。今暫く待っておれ」


 離席して七美郡を塩冶のものと認める書を書く。最後に花押も添えてな。その文を書いている最中、儂がどう動くべきか考えておった。


 塩冶と垣屋、田結庄の三家に手を結ばれると流石に潰せん。であれば一家ずつ潰すほか無いであろう。となれば潰しやすく、かつ潰して益の多い家は垣屋か。


 垣屋は石高も多く三家の中でも一番国力がある家だ。しかしその反面、塩冶からも田結庄からも反感を買っている節がある。


 塩冶や田結庄であれば儂でもすぐに潰せる。が、垣屋はそうもいかん。塩冶か田結庄のどちらかと仲違いさせることができれば垣屋を三方から攻めることができるのだが。


 もしくは垣屋と手を結んで塩冶を潰すのもありか。塩冶は垣屋、八木そして弟の九郎で囲んでおる。そして塩冶の領地を三人で分けたとしても九郎の分は儂の物よ。実質、半分以上の領地が儂のものとなる。


 であれば後者の策を採用するべきだ。塩冶には煮え湯を飲まされたのだからな、たった今し方。確かに儂の浅慮があったかもしれぬ。が、弱きものから食われるは戦国の定めよ。


「こちらの文を彦五郎に渡せ」


 小姓の虎之助に書き上げたばかりの文を渡す。そしてそれを虎之助が村井治郎左衛門に手渡した。彼奴が中を改めている。


「確かに頂戴いたしました。お手間をかけて申し訳ござらぬ」

「気にするな。所領を安堵して欲しい気持ちも察しておる。正しいことをしておるのじゃ」


 これから潰す。そう考えれば塩冶にも優しく接することができるというもの。あくまでも塩冶に一時的に預けているに過ぎないのじゃ。


「ただ、田公土佐守と同じだけの税は納めよ」

「ははっ、もちろんにございまする」


 これで話は仕舞いだとばかりに打ち切ってやったわ。さて、垣屋を動かさねば成らん。いや、ここまできたら但馬の全軍を動かすか。


 問題は大義名分をどうするかだ。表立って糾弾できる口実があるのであれば但馬全軍で、そうでないのであれば我らと垣屋で攻めるとするか。どう説得するか、伊秩大和守に相談するかのう。

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