渓谷


 その日の朝は「当直以外は渓谷に集まれー」そんな声で目が覚めた。


「おはようハム子。ちょっと行ってくる」


 実家を掃除した時に、ゴミ屋敷の中から発見した袋ネズミ。洗ってやれば真っ白のホワホワした毛並みの可愛い子なのに、薄茶色に汚れてゴミの中でモゾモゾしてた時は、何してんだうちの家族はって本気で思えた。


 姉さんに頼んで保護して貰って、それから俺と一緒にションじいちゃん家に住んでる。

「モキュ!」なんて鳴いて、俺の頭から降りるハム子を見てたら、旅立つ前に姉さん家に預けて行かないと思う。


「ライル兄ちゃん、急がないと怒られるぞ」


 村の子供達のリーダーで罠師のおっちゃんの家の三男坊のトムから急かされつつ、村を西に出て、リンゲルグ山脈を東西に繋いでる渓谷へと向かう。


「ちびっ子部隊も出動か?」


「オイラとシャロンだけだよ」


 村に8人居る子供達の中で大きい方から2人、俺と一緒に渓谷に向かう。


 少し傾斜がキツくなってくる森の中、そのまま進めば山脈にポッカリと口を開けてる渓谷が見える。


 近付くにつれて怒号が響いてたから、またいつものスタンビートかと思いながら、頬を軽く叩いて気合いを入れる。


「ライル兄ちゃん連れて来たよー」


 村の大人達の1/3くらいが揃ってるかな、そのうちの半分は幅30mくらいの渓谷の中に入って押し寄せる魔物達とバチバチ殺り合ってる。


 トムがまだ戦闘に参加してない大人達に向かって叫んだら、その中に居た妹から……


「前に行って手伝って」なんて言われたもんだから、仕方なく渓谷の中に入ってみる。


 母さんが弓、父さんが槍を持って、他の大人達と一緒になって渓谷を縦横無尽に駆け回って、魔物に致命傷を与えてるのを横目に、渓谷の岩肌に張り付いて、大人達を抜けて村の方に行こうとするフォレストロックリザードが見えたから、ぬるぬる魔法で邪魔しといてやった。


「ライル君はどんな武器が欲しいですかぁ〜?」


 戦ってる集団に合流したら、集団の最後尾で召喚魔法を発動してる姉さんからそんな事を聞かれたけど……


「自前のがあるから大丈夫」そう言って短剣を2本取り出して、構えながら竜種に向かって走り始めた。


 地元ではエルフっぽい部分を隠す必要も無いから、耳に集中して、音を頼りに大型の爬虫類系の魔物をすり抜けて、小型の竜種を切り刻んで行く。


 鮫の牙から削り出した短剣の切れ味は抜群。


 四足歩行の爬虫類は上下の動きに反応が遅いから、飛び上がって上から、二足歩行の爬虫類は横の動きに反応が鈍いから、大きな体の横に回りながら脚の筋を切り付ける。


 1時間くらい渓谷の中を走り待ったくらいで。


「そろそろ終わるぞー。回収班、後はよろしくー」


 なんて父さんの声が聞こえたから、引き波のように引いていく魔物の群れに巻き込まれないように、渓谷の村側に向かって撤退し始めた。


「お兄ちゃん危ない」


 なんて声が聞こえたのとほぼ同時、俺の短剣と妹が放った矢が、俺を後ろから襲おうとしてたレインボーリザードって言う、体色を変化させて周りの景色に溶け込んで狩りをする爬虫類の舌に突き刺さって、父親の槍がレインボーリザードの体を穿いた瞬間、トカゲの体が爆ぜた。


「心配する程の事も無かったみたいだな」


「なーんだ、助けてあげて損した気分」


 姿を周りの景色に同化させてじっと潜んでても、心臓の音が聞こえてたから、生きてるって分かってたよ。


「召喚師、マーキング頼む」


 そんな声が聞こえて、昔は村に1人しか居なかった召喚師も、いつの間にか増えたんだなって感心する。


「4年前に姉さんが召喚師になってたのもびっくりだったけど、ちびっ子達に召喚師が大人気なのが納得いかないな」


 昔は変な物ばっかり召喚するヨボヨボの婆ちゃんが1人だけだったのに、いつの間にか数の増えた召喚師、とは言っても兼業でやってる人が殆ど。


「慣れたら凄く便利だもん召喚術って。アイにはお兄ちゃんがシーフになってたのが驚いたよ。いつの間に盗賊なんかになったの?」


 俺の事を盗賊扱いしてくる妹に呆れながら、姉さんに指導されつつ、魔物の死体にマーキングをしてるトムとシャロンの横を通ろうとしたら……


「ライル兄ちゃん、オイラにも短剣術教えてくれよ。岩肌の崖を走るのがチョーカッコよかったし」


「トムばっかりずる〜い! シャロも教えて欲しい」


 そんな事を言われて鼻高々。


「今度暇な時にな」


 因みに、妹と言えば……


「ぐぬぬ、アイに弓を教えて欲しいなんて一言も言ったこと無いのに!」


 なんて悔しがってた。



 スタンビートのあった日は、次の日まで殆ど魔物が出て来ることが無い。何故だか知らないけど、昔からずっとこうらしい。


 だから村に唯一の酒場、ルイージ・マスターネルさんのやってるルイージの酒場の前の広場で、渓谷で仕留めた魔物の素材剥ぎをするんだ。


「誰だ、魔石に傷なんかつけやがって。売り物になんねえだろ」


 姉さんの召喚した武器は、何故か魔石に傷を付ける事が出来る。通常魔石を加工するなら魔銀の工具が必要なんだけど、姉さんの召喚する武器は魔銀製なんだろうか、少し疑問だ。


「すまん、ちょっとやり過ぎたようだ」

「ライル君が見てたからって、普段より張り切り過ぎですよぉ〜」


 申し訳なさそうな顔をしてる父さんと、次から次へとマーキングした魔物の死体を召喚する姉さん。


「ラッセル、お前は相変わらず槍で突いたと思えない程にぐちゃぐちゃにしてくれるが、食用すらならん肉ばかりにして何しとるんだ」


「それは……まあ……その……」


 俺の知ってる限り、父さんは何時もこうだ。

どんな相手にも常に全力、中途半端に殺りはしない。


『生殺しが1番ダメだ、確実に息の根を止めろ』


 小さい頃からずっと、そう言われて指導されて来たけど、なんでそんな事を言われてたのかは知らない。


「こっちの小型竜種は誰が殺ったんだ? 殺った奴は好きな部位を切り取ってけ」


 そんな声が聞こえて、その魔物を見てみれば、俺が仕留めた数体の小型の竜種。ションじいちゃんがラプトルって呼んでた二足歩行の亜竜が並んでる。


「ああ、それは俺です。一体だけ丸ごと貰いたいです。残りは村の皆で食べちゃいましょう」


 皮を剥いで腹にスパイスや野菜を詰めて丸焼きにしたら美味いんだ。


「おーい。今日の夜飯はスモラプティアルの丸焼きだぞー。畑組、葉野菜を何種類かちぎって来てくれー」


 マスターネルのおっちゃんが大声で畑仕事をしてる人達に伝えたら。


「そりゃ楽しみだ。酒蔵から酒を出さなきゃだぞ」


 畑組の人達が大きく手を振りながら答えてくれた。


 ぐちゃぐちゃになった魔物の死骸とスモラプティアルの死体を貰って来た俺。

 魔法鞄に入れて運んだから1人で運べた。


「ほーれ。今日の飯だぞー」


 何をしてるかって聞かれたら、沼に肉を投げ込んでる所。

 もちろんエビの餌だよ。


「数日前と比べたら、だいぶ数も増えたね」


「カルロさんもそう思います?」


 後ろからカルロさんに話し掛けられた。


 んで、エビの数なんだけど、500匹しか貰ってこなかったはずなのに、魔物の肉に群がって来るエビには、凄く小さいのも混ざってて、既に倍以上増えたような気がしてる。


「この沼って、小さな水生昆虫くらいしか住んでなかったからね。捕食される事がなければ増えていくだけだよね」


 あれ? 昔はポイズンフロッグが住んでたはずなのに……


 そんな感じで、考え込んでたら……


「ああ……昔住んでたカエル達は、お金になるからって全部私が捕獲して売りさばいちゃった」


 なるほど……ってお金に?


「あのカエルってお金になるんですか?」


 見た目は凄くグロテスク、茶色と紫の背中に真っ赤な腹、イボイボが全身に付いてて、そのイボイボに猛毒を持ってる魔物だったんだけど……


「あのカエルの毒が頻尿の薬になるんだよ。都会の老人達に加工された薬が大人気でね。だいぶ稼がせて貰ったんだ」


 うわ……知ってたら狩りまくってたな。


「それに身も、火を通せば美味しく食べられるからね」


 え?……


「食べたんですか?」

「うん、村の皆で」


 俺も食べてみたかったな……






 そしてその頃……


「なあ爺……これでいいのか? もっと犠牲を減らせないのか?」


 渓谷の崖の上から、西へ逃げて行く魔物達を見つめる2人の魔族がいる。


「ここに人間種の最大戦力を縛り付けておくだけの為に、どれほどの同胞の命を捨てないといけないんだ」


 そんな疑問を投げ掛ける、見た目にはまだ若々しい魔族なのだが、もう1人の白髪混じりの老魔族は、唇を噛み締め、握り締めた拳から血を流すだけで、何も答えようとしない。


「なあ、爺……もう止めよう……取り戻せなくても構わないさ。僕達若い世代には故郷だなんて思えない」


 老魔族に向かって止めようと言う若い魔族なのだが、その言葉を聞いて老魔族が噛み締めていた口を開く。


「若様、貴方の御父上が生きていれば、そのような事は絶対口に出してはいませんぞ。我ら魔族の聖地、リンゲルグ墓所を人に奪われたまま、竜人達に嘲笑されつつ屈辱にまみれて生きていけとおっしゃるのか?」


「それでもだ、数多の同胞の命を散らしてまで、取り返す価値なんて僕には有ると思えないんだ」


 そんな2人の目に映るのは、地面にへばりつき、魔物の血を吸う一体の魔物……


「今夜のうちに北へ誘導するぞ」

「もちろんです若様、村が勝利に浮かれているうちに」


 腐肉食いと呼ばれ、どんな攻撃もものともしない、ただ死骸を綺麗に片付けて行くだけの魔物、命無き不死のナメクジ。


「ナメクジのオジサンか……」

「若様、いくら命を無くして不死者に堕ちたとしても、正しくメッシー将軍と呼んで頂きたい。アレがどれほど困難な事を引き受けて、そしてそれを達成したのか、お忘れで御座いましょうか?」


 2人の目には、ただ魔物の血を吸い、落ちている肉片を貪る、巨大な腐ったナメクジが映るだけなのだが。


 



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