初体験


 僕が泣き止むまで、にこやかに微笑みながらずっと待っててくれたボーウェン先生が、僕に最初に教えてくれたのは。


「最前線育ちだと、分からない事だらけじゃったろう? 学園で生活するのに必要な事を、1つ1つ今から教えていくから、焦らずに1つずつ確実に覚えていきなさい」


 そう言って、この教室の名前を教えて貰った。


「ここは一般から入学した生徒が最初に覚える事を教える為の特別学級じゃ。ワシが合格と認めるまで授業はここで受ける事になるぞ」


 特別学級、覚えた。


「やはり貴族出の講師に一般の生徒を見させるのは間違いじゃな。見た目だけ取り繕いよってからに……どうじゃ、まず風呂に行かんか?」


 ここ数日、水を節約する為に殆ど体を拭いてない。

だから、そう言われたのは嬉しかった。


 ボーウェン先生に付いて行くと、まず最初に立ち寄ったのは購買部と言う場所。2週間前に沢山の荷物を受け取った場所だ。


「まずは着替えを用意せにゃのぅ。ほれ、ほれ、ほれ……」


 次から次に掛けてある服や棚に並んでる服を渡される。何枚も何枚も渡されて、僕の両手が色んな服でいっぱいになってやっと終わった。


「ワシが申請書は書いておくで、少し待ってなさい」


 ボーウェン先生が腰に付けてる小さな鞄から羽根ペンを取り出して、女の人から受け取った紙に何かを書いてる。


「欲しい物があるなら、教室に来てからワシに言うてくれれば良いからのう」


 そう言われて、水が欲しかったから。


「何よりも今は水が欲しいです。色々洗いたいので」


 それに飲みたい、口の中がカラカラなんだ。


「むっ、あのバカ共は水道の使い方すら教えなんだか……こちらに来なさい」


 購買部を出てすぐの場所に石で出来た台が置いてある場所に案内された。


「ここに手を当てて少し魔力……ああ、そうか、祓魔師じゃったな。それならばこちらじゃ、ここを右に捻ってごらん」


 何個か並んで台から飛び出てる銀色の筒の上に付いてる鍵みたいなのを捻ってみろって……


「うわっ! 水が出ます」


 綺麗な水が筒の先から出て来る。大急ぎで魔法鞄から水袋を取り出していっぱいまで入れようとしたら。


「これと同じ物が各校舎の各階に数個ずつ、寮にも同じ様に据え付けてあるから水が欲しい時は自由に使いなさい」


 そう言われてから、水の止め方を教えて貰った。


「少し着替えが濡れてしまったのう。まあ良い、着いて来なさい」


 トイレの場所も教えて貰った。


 トイレもそれぞれの建物の中、それぞれの階に必ずあるらしい。青いシンボルが付けてあるから、それを目印にしなさいと教えて貰った。


 そして、びっくりしたのはトイレにも立派なドアの付いてる部屋があって、部屋の中にもドアが並んで便器が沢山あった所。


「皮袋の中を捨てたいので少し時間が掛かりますが、良いでしょうか?」


 にこやかな笑顔を絶やさず、頷いてくれた。


 ボーウェン先生は、僕が皮袋の中身をトイレに捨てるのを待ってる間に……


「そこまでじゃったか、まだまだ隠居は出来んのう」


 そんな事を、凄く小さな声で呟いてた。




 ボーウェン先生に案内されて到着したお風呂。

 学園に来て2日目に連れて行かれた場所とは違って凄く大きな建物だった。


 中に入ると沢山の棚が並んでて、1つ1つに鍵が付いてる扉がある。


「服を脱いで持ち物は全てこの中に入れて鍵を掛けなさい。鍵は首に掛けて置くように。風呂に必要な物は中に揃っとるが、自分の物が欲しい時には購買部で買うんじゃよ」


 ボーウェン先生が服を脱ぐのは凄く早くて、僕がズボンを脱いでるうちに全裸になって奥の扉に向かって行った……


 お風呂に行くんだよな? なんで部屋の中に行くんだろ?


 2日目に入れられたお風呂も部屋の中だったけど、あの時は1人でいっぱいになるくらい小さなお風呂だった。


 冬の寒い日に近所に住んでたションじいちゃんが、家の中に大きな釜を持ち込んでお風呂に入ってたのを思い出したくらいだ。


「うわぁ……部屋の中に温泉が……」


「これは温泉では無いぞ。水を温めとるだけじゃ」


 こんなに沢山の水を温めるなんて、どれだけの薪が必要なんだろうと唖然としてたら。


「まずここで体を洗うんじゃ。備え付けの石鹸を使ってのう」


 ボーウェン先生が鏡の付いた壁の前で小さな椅子に座って、目の前に置いてある物が何か1つずつ教えてくれた。

 先生の横に座って真似してみる。石鹸が村で使ってた物みたいに泡が出るだけじゃなくて、何か酸っぱい匂いがしてたのにびっくり。


「こんな匂いを付けて、魔物から隠れられるんでしょうか?」


 疑問に思ったから聞いてみた。


「王都の城壁内には飼われてる魔物しかおらんよ。安全に暮らせるで心配しなくても良い」


 そう言われて凄いと思った。この間、遠くから見た王都の城壁はとても広い範囲を囲んでて、それだけの範囲に魔物が居ないなんて。


「この時間なら誰もおらんが、夕方になったら混むで、寮の部屋に付いとる風呂に入ってもええからのう」


 そう言われながら浴槽に浸かった。


「ふぅ……」浴槽の中で、王都に来てからどうやって生活してたのか聞かれたから、ここ数日、何をしてたか、どれだけ不安だったかをボーウェン先生に伝えたら。


「色々と教える事は多そうじゃが、ワシの教師人生で覚えた全てを伝えてやるで、何も心配する事はないぞ」


 そう言われて、王都に来てから初めて少し安心出来た。



 寮に帰ってからもボーウェン先生が寮の中を1つ1つ丁寧に説明してくれた。


「この部屋の中にある物は全て自由にして良い。とは言っても持ち出して古道具屋に売っぱらったりしてはいかんぞ」


 床に敷いてた毛皮のマットも片付けた。

部屋の中に小さな部屋が別にあって、トイレもお風呂も洗面台まで付いててびっくり。


「汚しても怒られないのでしょうか?」


「授業を受けとる間に清掃人が綺麗にしていきよる。誰かが毎日掃除してくれとると思いながら、丁寧に使えば誰も文句なんて言わんよ」


 使ってみたかったんだフカフカそうなベッドも座り心地の良さそうな椅子も。


「貴重品だけは肌身離さず持っておくんじゃよ。背負ってるソレは魔法鞄じゃろう? ソレに入れて必ず目の届く所に置いておくように」



 ボーウェン先生は1つずつ丁寧に教えてくれた。


 食堂の使い方も、談話室なんてのがあるのも、運動場や雨の日に体を動かせる広い部屋も、学園内で過ごす時には白い服、制服を着ておかないとダメな事も、覚える事が沢山あって大変だったけど何とか覚えられたと思う。


「明日の朝、あそこに時計があるじゃろ? あれの針が上下にまっすぐなった時間に迎えに来るで、玄関の前で待ってなさい」


 そう言われてその日は先生と別れた。


「色々大変じゃが、これからしばらくよろしくじゃのぅライル」


 別れ際にそんな事を言われて……


「よろしくお願いしますボーウェン先生」


 きちんと頭を下げておいた。



 先生が居なくなってから部屋に戻って、教えて貰った事の再確認をしてみた。


 入口すぐの右の壁側にあるドアがトイレのドア。

使ったあとは天井から下がってる紐を引けば水が流れて綺麗にしてくれる。


 その隣のドアを開けたら洗面台とお風呂がある。


 洗面台もお風呂も、蛇口と言う物を捻れば水が出るしお湯も出る。


 その隣のドアはクローゼット。

着替えや普段使わない物を置いて置くようにと言われた。

 クローゼットの入口の所に置いてあるカゴに着替えた服を入れておけば清掃人さんが洗濯をしてくれるらしい。


 座り心地よ良さそうな椅子に座ってみた……


「すごい、フカフカしてる」座るとお尻が沈み込む。


 実家の木の板を並べた椅子と違ってお尻が痛くなる事は無さそう。


 ベッドにも寝っ転がってみた。

3人……詰めれば4人は眠れそうな大きなベッド。


 靴を脱いで横になったら……


「うわ。体が沈み込む……なんか気持ち悪い……」


 体が半分くらい布団にめり込んで動き辛い。

 結局床に毛皮のマットを敷いて、マットの上で寝た。


 ずっと水や食料の残りを気にして不安で、慣れない場所では殆ど眠れてなかったからか、次の日の陽が登るまで、1度も起きずにぐっすり眠れた。





「祓魔師連盟に通知を出しておけ。もう少し一般人にもマトモな対応をする講師を寄越せとな。それと今年の試験官は誰じゃった?」


 久方ぶりの祓魔師科の生徒だからじゃろうか、一般人の生徒だからじゃろうか、ここ数年でワシ以外の教師が全て貴族出の者に変わってしまったからじゃろうか、この学園も変わってしまった。


「何かありましたかボーウェン教頭」


 侯爵家のバカ息子か……


「何かありましたかでは無いわ! お主はなぜ一般入学の生徒がおる事の報告の1つも寄越さなんだ」


 叱られている者の態度では無い。ワシの事を睨みつけながら、顰めっ面をしとる。


「それは、私の業務では無いので」


 貴族出の者たちは皆が同じ様に、こんな事を言う。

教鞭を取る者がこんな事でどうなる。


 それにこの男は去年……実習中に十数人の生徒に大怪我を負わせて、うち2人は欠損を抱えて退学して行きよったはずじゃ。そのどれもが下位貴族の子女じゃったな……


「マーリック卿にはワシから言うておく。お主は教師失格じゃ、今すぐ荷物を片付けて実家にでも帰るがよい」


 昨今の教師達は祓魔師科と言う物がどんなものなのかも分かっておらん。


「何故です? 何か落ち度でもありましたか?」


 本当に分かっておらんのか……


「もうよい、学長と君の両親にはワシから説明しておく。もう一度言う、荷物を片付けて実家にでも帰るがよい」


 職権乱用だと喚き散らし、ワシの事を娼婦の倅がと喚き散らし、職員室の中で攻撃魔法まで発動しようとしよる。


 それにしてもヘボい構築式の魔法陣じゃのぅ……


「のお、如何に老いたとは言え、大賢者の直弟子のワシに魔法で勝てると思うておったか?」


 発動した魔法を掻き消すのも、室内に何一つ影響を与えずに拘束するのも簡単じゃな。

 第一線から退いた身じゃが、現役時代から魔法の腕が衰えたとは思っとらん。


 しかし師匠も困ったものじゃ。以前であれば、このような輩が教師となる事など無かったと言うのに……


「少しキツく注意して来ねば」


 気まぐれな大賢者がどうするかなぞ分からんが、何もしないよりはマシじゃろう。


 

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