魔族


 西の森から溢れた魔物達を、冒険者や衛兵、領主軍が押さえ込んでいる間、海側の防波堤では、今まさに魔物の上陸を拒む結界が壊れようとしていた。


「これじゃない! これでもない! あーもう! どこに入れたんだろ、なんでこんな時に出てこないの」


 思い思いに上陸しようとする魔物を防ぐ漁師達を纏めてくれと頼まれていたが、先に結界を修復する事を選んだカルラ。


 魔法鞄の中をひっくり返しているのだが、肝心の魔水晶が出て来ない。


 毎年の様に魔物が溢れる森や海から人の領域を守る為、この街で徴収される税の殆どは魔水晶を購入する為に充てられる。


 拳1つ程の大きさでサウスポートの数十倍の規模の王都圏を半年も包み込める結界を維持出来るのだが、その大きさで南部子爵領の2年分の税収と変わらない価値がある。


 カルラが探している魔水晶は、王都に使われるものよりはだいぶ小さい物だが、そんな価値のある物を、領主の叔父や師匠の領主軍筆頭魔術師から預けられている。


 半人前の付与術師ならば、見る事すら叶わない価値のある物。


「カルラ! 結界より先に皆を纏めるんじゃ。壊れそうな場所を重点的に護らせにゃ、完全に壊れてしもうたら貼り直すのは難儀じゃけェな」


 義足ゆえに遅れて到着した父親から言われた言葉がカルラに重くのしかかる。


「ボクじゃ無理だよ、お父さんがやればいいじゃない」


 困り果てた顔をするカルラなのだが、父親が睨み付けているモノは、上陸しようとする魔物ではない。


「ワシには殺らなきゃならん相手が居るけぇ無理じゃ。アレをどうにかせんと、皆が飢え死にしてしまうけぇのォ」


 父親が見ているモノに視線を向けたカルラ。


「大牙鮫……なんでこんな時に……」


 漁港に面する湾内に溢れ返る魔物の群れを貪りながら、この世界最大の肉食魚、大牙鮫の成体が2頭、背びれの大きさだけでも中型の船の帆程あるものを翻しつつ我が物顔で湾内を泳いでいる。


「なんでお父さんが行かなきゃなんだよ。あんなの片足じゃ勝てってこないよ!」


 15年前に現れた時は1頭だけだったのだが、海は荒れに荒れた。

 南部では食料を殆ど海に頼っている。

農作物の殆ど作れない地域であるが故に、海産物と交換で手に入れる麦が無ければ飢え死にしてしまう。


 当時は大勢の漁師や海の冒険者達を犠牲にして、やっと追い払えただけの生物。

領主軍や冒険者達は西の森に行ってしまい、防波堤を護る者は漁師や港湾関係の衛兵達だけ。


「ワシの足と生き甲斐を奪ってくれた借りは返さないといかんけぇのォ。なぁに、心配するな。この日の為に準備だけはしてきたんじゃ」


 そう言って服を脱ぎ出す父親。脱いだ服の下には……


「あの頃にはこんな物無かったけぇ遅れをとったが、お前が作ってくれた様々な魔道具が今はあるけぇのォ。カルラ、ワシがお前の作った魔道具の性能の限界を見せちゃるけぇ、後学の為に良お見といてつかあさいや」


 水の抵抗をほぼ無効化する真っ黒な全身タイツと、口に咥えた水中呼吸の魔道具、足元を見れば風魔法を付与してある靴を履いている。


「ワシの短剣、返して貰うけぇのぉ」


 前領主の父親から兄弟で1本ずつ受け継いだ大牙鮫の短剣、ピッペンが所持していた物は湾内を泳ぐ大牙鮫の頭部に深々と突き刺さったままになっている。


「あんた! 今度負けたら離婚だよ。鮫殺しが鮫に食われて死んじまうなんてシャレにもならんけぇ、ケツ引き締めて気張ってきんさいや!」


 重鎧に身を包み、大型の槌を振り回すカルラの母親が大声で叱咤すれば、それに答えるように魔物で溢れる海に手には何も持たず飛び込んだ父親。


 母親が何をしているかと問われれば、防波堤の上に立ち、越えようとする魔物達をモグラ叩きよろしく次から次へと粉砕していく。


 そんな両親の姿に感化されたのか、自信なさげに涙目で魔法鞄をひっくり返していたカルラだったのだが……


「皆! 2番倉庫近くが1番危ないから、2番倉庫の向かいの防波堤を守って!」


 自作の音声を増幅する魔道具に乗せてカルラなりの大声で叫べば。


「わかった! 嬢ちゃん、結界の補強は頼んまさぁ。皆の衆2番倉庫前じゃ!」


 それまでてんでバラバラに行動していた漁師達が、カルラの言葉に反応して集まり出す。


「任せて! 補強が終わったら今の結界よりずっと強固になるから、終わるまで魔物なんて1匹も港に上げないつもりで頑張ろう!」


 オウと答えた漁師達が、周りに居る聞こえていなかった漁師達にカルラの言葉を伝える。


「皆の衆聞こえたかァ!ひよこ好きの嬢ちゃんが2番倉庫前を守れ言うとるけぇ、2番倉庫前の防波堤が1番危ないんじゃろぅ皆の衆行くぞ!」


 その言葉を聞いて、カルラは思い出したようだ……


「そうけ、ほならお前さんは、ひよこ好きカルラじゃのう。よろしくのゥひよこの嬢ちゃん」


 初めて冒険者ギルドの扉を叩いた日、真っ黒に日焼けした巨体の冒険者に言われた言葉。


「ああ……ボクは……とんだ勘違いだよ……」


 そう呟いて下を向いたカルラの視線の先には直径2cm程の魔水晶が転がっている。

 

「あった! 早くしないと」


 大慌ててで聖結界の紋章が刻まれている防波堤の壁面に魔水晶をあてがうカルラ。

 聖結界を付与する為の転写用紙は既に準備出来ていたようで「反転付与」と、呟きながら、ほんの僅かに魔力を込めれば、学生時代からカルラの研究していた付与術の重ねがけが発動する。


 紋章を起点に修復されつつ強固になってゆく聖結界を見ていた漁師達だったが、結界の向こう側に飛沫を上げて泳ぐ人物を見付けた者が居た。


「海を見てみぃ! 鮫殺しの兄貴が泳いどるぞ! 兄貴1人に逝かせちゃならん! ワシらも行くでェ!」


 そんな声と共に綻びて穴が開きそうだった聖結界の補修が完了する。


 通常の聖結界であれば、魔物の動きを阻害する程度なのだが、重ねがけして効果の高まった聖結界は触れた魔物達を捕らえて離さない物に変化した。


 それを見て漁師達の中から数十人が防波堤の上に立つ。


「潜り獲りの衆、大牙鮫は任せたけぇのォ!」


 次から次に、防波堤の上から銛を片手に魔物で溢れる海に飛び込む漁師達、全員がカルラ作の魔道具を身に付けている。


 海側に溢れた魔物達との戦いはここからが本番のようだ。




 その頃西の森側、森から溢れた魔物達を押し留めている土壁の上では。


「親父ぃ! 様子が変じゃ。逃げた魔物が戻って来よるでェ」


 【南風】の2人や、共に行動した冒険者達に蹴散らされた人型の魔物達が、雄叫びを上げつつ続々と土壁に取り付こうとしている。


 簡易砦に篭って防衛を始めて約2時間、大雨の影響で堀の中の粘液も、壁に塗った粘液も中和されて流れてしまったようだ。




「クルトさん、これは俺の地元と同じです。何処かに魔族が居ます」


 土壁の上で必死にエストックで魔物を突き刺し、魔導書で殴り、次から次へと魔法を放ちつつ、今の状況を冷静に判断してみた。


「魔族が後ろで指揮してないと、命を捨てて突進してくるなんて有り得ないです」


 絶命するまで突進を止めない様々な魔物達の死体が、幅も深さも10mはある堀を埋め尽くすなんて恐慌状態でも有り得ない。


「ライル、何処に魔族が居るか予想はつくのか」


 二足歩行も四足歩行も鳥系の魔物まで混成……


 こんなのは地元に住んでた頃でも数えるくらいしかなかった。


「鳥です、鳥に乗って指揮してるはずです」


 だから良く覚えてる。それに上空をグルグル旋回している鳥系の魔物が空から攻撃して来ないのが違和感を感じてたんだ。


「魔法使い、弓士、鳥じゃ鳥の魔物を撃ち落とせ。あれに魔族が乗っ取るらしいでェ」


 さすがクルトさん、判断が早い。

クルトさんの声に速攻で答える魔法使いや弓士も凄い。様々な属性の魔法や風魔法を絡めて威力を増した矢が次々に上空を旋回している鳥の魔物に向けて放たれる。


「ライル、俺たちはもう一度群れに突っ込むぞ」


 少し前まで堤防から堀までは、様々な魔物で埋め尽くされていたけど、堤防付近の地面が見えるようになった。つまり、堤防を越えて来る魔物の増加はもう終わってるって事。


「久しぶりに3人で暴れようかね。補助は任せたよ」


 王都でも使ってた棘の付いた巨大な鉄の塊を肩に担ぐビスマ姉さん。


「一気に堤防まで突き抜けて、背後からコマ切れにして行くか」


 鮫の牙を並べて縫い付けた鞭を手に持つクルトさん。


「大雨ですから阻害するのにナメッシーは使えないと思って下さい。後は走りながらでも」


 この2人は本当に痺れるくらいにカッコイイ。


 堤防から土壁まで約300m。魔物達はその3/4を埋めつくしてるのに。


「皆の衆、アタイらは正面からカチ込むけェ左右に逃がさんように頼んまさぁァ」


 まるで王都の市の人混みに割り込んで行く位の感覚で、ホントに自然体で何も気負わず土壁から飛び降りた。


「魔法兵、弓兵、南風の3人を援護するんじゃ、放てー!」


 俺も南風の一員だと思われたみたいだ。光栄だな。


 俺達3人が飛び降りた場所から数十m先に着弾するように放たれる領主軍からの矢や魔法、魔物の群れの中、目の前にぽっかり穴が空いた、最初に目指すのはアソコかな。


「一気に押し通ります、ビスマ姉さん前衛は任せました、勢いのままに走って下さい。クルトさん左右の警戒はお任せします」


 俺の言葉を聞き終わったと同時に飛び出す2人。


「ライル、腐らせるんじゃないよ。コイツらだって食えるんだからね」


 もちろん、焦って腐らせる様な事はもうしないさ。


「俺達にピーガンだったか、アレを当てるんじゃないぞ」


 だいぶ前から使ってませんよ。


「勿論です、行きましょう」


 縦に3人並んで先頭を走るビスマ姉さんは、金棒を振り回しながら、金棒に触れる魔物を吹き飛ばしつつ。

 真ん中を走るクルトさんは、ビスマ姉さんを左右から挟みこもうとしてる魔物達を粉々に切り刻みつつ。


 俺は……


「モスキートン! モスキートン! モスキートン!」


 通常威力だけど、兎に角モスキートンを連射。


 前を走る2人の前に居る魔物たちが一瞬でも動きが止まれば大丈夫。


「群れの背後まで抜けたら魔誘薬を使います。俺が囲まれるので、2人はそれを背後からお願いします」


 この2人と王都時代に何回もやった戦い方。


 俺が囮になって身を護りつつ、2人が次々魔物を殲滅していく作戦。


「ハハハッ、久しぶりだねぇ腕が鳴るよ」


 この作戦で何個のオークの大規模な村を殲滅したか。


「向かって来ない相手を切り刻むのは好みじゃないんだが、今は言ってられないな。気を付けろよライル」


 この戦い方でどれだけの人型魔物達を葬って来たか。


「ヒャッハー! 抜けたよぅ!」


 俺達3人が走った後は、魔物の死体の川が出来てる。


「いきます! 炎華・最大出力」


 自分の体に魔誘薬を振り撒いて、自分を起点に魔物達に向けて風を起こして。


「ナメッシー・最大粘度、360°展開」


 垂直に5m、厚み3mの円柱状に作ったネバネバの盾。雨に中和されて溶け始めても、次から次へと内側から外に向かい、重ねる様に出せば問題無い。


 俺に向かって来る魔物がネバネバに捕らえられたら、ネバネバから出ている部分を2人がズタズタにしてくれる。


 ふと上空を見上げたら、鳥の魔物が1羽、町の方に向かって逃げて行く所だった。


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