第33話 仲直り
谷野を送り届けた帰り道。
琢磨は彼女に言われたことを思い出していた。
「由奈ちゃんじゃなくて、私がドライブ彼女じゃ、ダメですか?」
上目遣いで見つめてくる彼女の視線は愛らしく、琢磨の心をざわつかせるには十分すぎるほどの効力はあった。
しかし、改めて一人で冷静に考えた時、谷野の魅力的な提案は、琢磨の胸の奥底を揺れ動かすには至らないと分かる。
琢磨は改めて気づかされたのだ。なぜ由奈とドライブを共にしているのかということを。
彼女に頼み込まれたから、仕方なく同情して同席させているわけではない。
琢磨の心の奥底に眠っている何かが目覚めたような気持ちだった。
今までどうして忘れていたのだろうか?
いや、網香先輩にうつつを抜かしていたから盲目になっていたのかもしれない。
ドライブを始めた本来の目的を。
だからそこ、琢磨は由奈に打ち明けなければならない。
琢磨の本当の目的を。
※※※※※
翌週、いつものようにオフィスに出勤すると、デスクトップPCの端に、一枚の付箋が張られていた。
なんだろうと覗き込むと、可愛らしい丸文字で一言。
『朝礼の後、面談室に来て頂戴』
と書かれていた。
こうして琢磨をわざわざ面談室に呼び出す人は、このオフィスで一人しかいない。
ちらりと視線を窓際の網香先輩の方へと向けると、彼女はいつもと変わらぬ様子でメールチェックをしているのか、朝からデスクトップ画面と睨めっこしている。
琢磨も自席に着席し、PCを立ち上げて朝礼前にメールチェックを済ませてしまうことにした。
週初めの朝礼が終わり、各々月曜日の身の入らない仕事へと移っていく中。琢磨はタイミングを見計らい、席を立って離籍する。
ちらりと網香先輩の方を見ると、網香先輩の琢磨のアイコンタクトに気が付いて、すっと椅子を引いて立ち上がった。
先に会議室に入り、エアコンを入れたりして蒸し暑い会議室の室内を冷やしていると、コンコンと扉がノックされた。
どうぞ。と声をかけると、ガチャリと扉が開き、網香先輩が入ってくる。
「ごめんなさいね、朝から呼び出してしまって」
「いえいえ」
あの日から、二人の間に生まれている他人行儀な態度は相変わらずだ。
机を挟むようにして、二人はパイプ椅子に腰かけて向かい合う。
「それで、話というのは?」
琢磨が思い切って切り出すと、網香先輩は一瞬面食らったように慄いた。
けれど、すぐに体制を整えて一つ咳払いをした。
「その、この前のことなんだけれど……」
ここで何のことかを察せないほど鈍感ではない。
あの時は琢磨も気持ちが高ぶってしまい、心に秘めていた想いを抑えきれなかった。
だからこそ、網香先輩からの答えを聞く前に、琢磨は頭を下げた。
「先日は、たいへん無礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
「あ、謝らないで! むしろ私の方が悪かったの。今まで杉本君をそういう風に意識したことがなかったから」
「いいんです、自分でもわかっていたので。余計網香先輩を困らせると分かっていたのに」
「そ、そんなことないわ!」
網香先輩は強い口調で否定する。
その威勢に、琢磨は思わず淡い希望を網香先輩に向けてしまう。
琢磨の視線に、網香先輩は慌てて取り繕うように俯きながら目を泳がせる。
「そのっ……杉本君の事本当に今まで異性として意識したことなかったから……。でも、杉本君からそういう風に想われているって気づいて、私少し胸が熱くなったの。だから……私もよくわからないのだけれど、嬉しかったんだと思う」
網香先輩は頬を真っ赤にして恥ずかしそうに身体を揺らす。
その初心な反応に、琢磨は呆然としてしまう。
網香先輩は琢磨の視線に気が付き、はっとなって話を続ける。
「で、でもね! 今まで意識してなかったから、私も本当の気持ちがよく分からなくて……だからその……最初は、異性のお友達として初めていきましょ? もちろん、今後お付き合いしていくことも含めて……どうかな?」
不安げな視線を送ってくる網香先輩。
琢磨はふっと柔らかい笑みを浮かべる
「えぇ。網香先輩がそうしたのなら、それでいいですよ」
「ほ、ほんとに!? よかったぁ……」
ほっと胸を撫でおろす網香先輩。
網香先輩が琢磨を異性としてどう思っているのか分からないなら、時間をかけてでもゆっくりとその答えを出してくれればいいと思う。
そして同時に琢磨もまた、これからの人生において、何を生業にして生きていくのか。
網香先輩に依存するのではなく、一人の人間、杉本琢磨としてどういった人生を送って行かなければならないのかをじっくり考えなくてはならない。
そのためには、まず目の前の問題を一つ一つ解決していかなければならない。
ひとまず、網香先輩との関係性は、変化を加えながらも少しずつ前進したのかなと思う。
だからそこ、彼女との関係性にも、明確な価値を生み出さなければならない。
たとえそれが、お互い打算的な考えだったとしても、お互い心の内に秘めていることを、一度腹を割って打ち明けなければ、何も解決しないし、何も始められることができないから。
※※※※※
網香先輩とのぎくしゃくした関係性も無事元の姿を取り戻し、オフィス内に平静が訪れる中。
琢磨は休憩時間にスマートフォンの画面をじぃっと眺めていた。
そして、意を決して送信ボタンを押してメッセージを送信する。
前のメッセージは既読無視された。
けれど、メッセージを見てくれるだけでも、わずかに可能性が残っている限り、彼女としっかり話をしなくてはならないと思う。
「先輩、そんなにスマートフォンと睨めっこしてどうしたんですか?」
何気ない様子で谷野が尋ねてくる。
「あぁ、何でもない」
琢磨は谷野を軽くあしらう。
「そうですか。なら、お昼一緒に行きません? 社員食堂ですけど」
「あぁ、構わないぞ」
「それじゃあ、行きましょう!」
最近谷野はこうして、琢磨と一緒にお昼を誘うことが多くなった。
どういう風の吹き回しかは分からないけれど、恐らくはこの前の江の島ドライブで彼女が言っていたことに少しは起因しているのだろう。
「私、都合のいい女ですから」
谷野は自分のことをそう言っていた。
そうして都合のいい女を演じてくれているのだと思う。
先輩で仕事は教える立場なのに、人生においてはいろんな可能性を教えられてばかりで、この後輩には頭が上がらない。
今度、飯でもおごってやるか。
けれど、琢磨は気づいていない。どうして谷野が都合のいい女として琢磨の傍にいようとしているのか。
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