第28話 知らない琢磨

 由奈は十五分ほど遅れて待ち合わせのコーヒーチェーン店の前に姿を現した。


 ゆっくりとこちらへ向かってくる由奈の姿を確かめて、琢磨はスマートフォンをポケットにしまいこむ。

 由奈は俯きがちのまま、歩道から琢磨の車へと向かってきた。

 琢磨はカーウィンドウ越しに手を振るけれど、由奈が手を振り返してくることなく、助手席の扉をそのまま開けて車の中へと乗り込んでくる。


「こんばんは」

「よう……! ん、どうした?」


 いつもの覇気のない由奈の声を聞いて、琢磨はすぐに異変に気が付く。


「ううん、なんでもない」


 けれど、由奈はそう言って首を横に振る。


「体調でも悪いか?」

「そうじゃない。平気だから、早くドライブ行こ」


 由奈の返事は相変わらず素っ気ない。それどころか、どこか対応が淡泊だ。


「お、おう。わかった」


 琢磨は女の子の気持ちをすべて察せるほど器用な男じゃない。

 だから、これ以上彼女のことを詮索して、かえって由奈を怒らせてしまう可能性もあると考え、琢磨は何も言わずに運転に集中することにした。

 頭の中で、今日の目的地をぼんやりと考える。


「今日はどこに行くの?」


 興味ない様子で、由奈が無機質な声で尋ねてくる。

 見た感じ、由奈は虚無感に苛まれたように元気がない。

 こういう悲しい気持ちの時は、一人でいるよりも、少し雑踏に紛れたところの方が由奈も元気になってくれるだろうと琢磨は思った。


「……ちょっと、たまには綺麗な夜景でも見に行くか」


 そう言って、琢磨はフットブレーキを解除して、ウィンカーを出して後方から車が来ていないのを確認してから、目的地へと車を走らせた。



 ※※※※※※



 目的地まで向かう間も、由奈は終始黙りこくって、ただぼおっとどこか遠くを眺めていた。

 何か声をかけようか迷ったけれど、由奈から何か言ってこない限り、聞いて欲しくないことなのだろうと琢磨は察して、あえて沈黙を選ぶ。


 由奈は今疲れていて、眠気が襲ってきているから黙っているのだと思い込むようにして、琢磨は運転に集中し直す。


 首都高速湾岸線をひた走り琢磨が向かったのは、珍しく都内。

 目的地に着き、車を駐車場に止めて、何も言わず由奈についてこいと促す。

 とある建物内へと入り、エスカレーターを登っていく。

 そして、飲食街を抜けた先にある扉を開き、目的の場所へと到着する。


 フェンス越しに見えるのは、ピカピカと点滅した光を放つ大きな翼を広げた飛行機。

 ごおぉぉぉっと響き渡るジェットエンジンの音。


 離陸の順番を待つ飛行機が、一定の間隔に並んで自分の離陸を今か今かと待っている。

 奥の滑走路では、滑走路上のライトを這うようにして、勢いよく加速して宙へ飛び立っていく飛行機の大迫力。


 ここは、羽田空港の展望デッキ。

 金曜日の夜と言うこともあるからか、展望デッキにはちらほらとカップルや家族連れの人たちでにぎわっていた。

 琢磨と由奈も、展望デッキのフェンスを手で掴み、離着陸する飛行機を眺める。


「すごい数・・・・・・」

「だな」


 毎分一機が離着陸を繰り返し、ひっきりなしに空港内の道路を飛行機や作業者が行きかっている。

 たまには海や山の自然だけでなく、人の流れの中心を見に来るのも悪くない。


 特に今日は、由奈の様子が可笑しいので、二人で静かなところへ行くよりも、人混みの雑踏や飛行機の喧噪の中に紛れた少し雑音が聞こえるところの方が、少しは気持ちが落ち着くだろうと考えたのだ。


 大きな声で話さないと、隣の人の声すら聞き取りずらいので、大声を出してストレスを発散する口実にもなる。


「琢磨さんって、飛行機好きなの?」


 案の定、いつもよりも大きな声で由奈が尋ねてくる。


「いや、普通」

「じゃあ、どうして今日は空港に来たの?」

「たまには、人間の偉大さを実感しに来るのも悪くないから」

「え?」


 しかし、由奈は琢磨がでっち上げた適当な嘘の言葉が聞こえなかったらしく、もう一度首を傾げて聞いてくる。


「人類の文明の進化を見たくなるの!」

「どうして?」


 由奈に問われ、琢磨はさらに適当に理由をでっちあげる。


「ここから、世界中どこでも飛んでいけるって思うと、なんだか自分が一人で悩んでいることなんてちっぽけな存在に思えてくるからだ」


 即興で思いついたなりには、我ながら妥当な弁明が思いついた。

 けれど、由奈からの反応はない。

 ぱっと由奈の方を見れば、風で揺れる髪を耳元で抑えながら、フェンス越しの滑走路を眺めている。

 そして由奈の横顔は、どこか哀愁漂うような雰囲気を纏っていた。


「どうかしたか?」

「ううん。なんでもない!」


 にこりと頬笑み、由奈は手を横に振る。

 先程の無機質で空虚ささえあった由奈よりは、多少元気を取り戻したようだ。

 それでも、いつもの明るい調子の由奈ではない。


「由奈、何かあったのか?」


 琢磨は改まった様子で、初めて由奈に足を踏み込んだ質問をした。


「ううん、何もない……」


 顔にぺったりと張り付けたような笑みを浮かべる由奈。

 けれど、彼女が嘘をついているのは明白で、動揺した様子で目が泳いでいる。

 琢磨に、何かを言うか言うまいか迷っているような感じを受けた。


 しばらく由奈の様子を観察していると、喧噪の中にのまれてしまいそうなくらいの声でふいに由奈がぼやいた。


「琢磨さんさ、どうして先週私とのドライブ、断ったの?」


 そんな唐突な質問に、琢磨は唖然とした表情を浮かべてしまう。

 けれど、すぐに我に返ったように由奈を真っ直ぐ見据えた。


「先週は申し訳なかった。予定が色々と建て込んじまって、ドライブできる状況じゃなかった」


 琢磨の事情を知らなければ、由奈は琢磨の真摯な謝罪を鵜呑みにしていただろう。

 けれど、由奈は少なくとも、琢磨さんが嘘をついていることを知っている。

 琢磨さんの後輩社員である谷野さんから言われた、他の女性とドライブデートをしている発言。

 谷野さんの憶測でしかなく、確証はないけれど、少なくとも琢磨が何かしらを隠していることは分かっている。

 由奈はただ、琢磨の口から本当の言葉を聞きたいだけなのだ。


「もしかしてだけどさ、仕事とかじゃなくて、デ、デートとかだった?」


 由奈はそこで、谷野さんの憶測を信じて突っ込んだ質問を琢磨さんに投げかけた。


「そ、それは……」


 すると、確信を突かれたように挙動が怪しくなる琢磨。

 由奈は琢磨の反応を見て、全てを察した。それと同時に、聞かなければ良かったと後悔した。

 これだけ不審な反応を見れば、答えを言っているも同然。

 一気に自暴自棄になる由奈。


「私とのドライブ……迷惑?」

「そ、そんなことは……」

「今まで無理して付き合ってくれてたんだよね?」

「それは違う!」


 琢磨は慌てて強い口調で否定するけれど、それよりも強い調子で由奈は言葉を紡ぐ。


「嘘。だって、私が初めて提案した時、琢磨さん困ったような顔してた」

「あの時は、出会いも突然だったし、会ったばかりの見知らぬ女の子に一緒にドライブしようって言われたら、そりゃ困惑もするさ……。でも、今は由奈のこと少しは分かってきたつもりだ。だから、ドライブすることに関しては全く嫌だとは思ってない」


 琢磨は気付けば懸命に由奈を説得しようとしていた。

 自分でも不思議だった。最初はあれほど一人ドライブに介入されるのが嫌だったはずなのに、今は由奈とドライブすることに疑問を感じてすらいない。


「ドライブに関しては……か」


 由奈はどこか残念な気持ちを噛みしめるようにして、琢磨が言った言葉をつぶやいた。

 そして、由奈から放たれた二の句は無情なものだった。


「琢磨さんは、私のこと何も知らないよ。知ってるつもりになってるだけ」

「えっ……?」

「だって琢磨さん、私がどこに住んでて、どんな生活を送ってるのか知ってる? 私がどういう境遇にいて、どんな気持ちで今いるのかはっきり言える?」

「……」


 琢磨は黙りこむことしか出来ない。 

 事実、琢磨は今由奈に言われたことをすべて理解していないのだから。


「ほら。私のこと全然知らないでしょ」


 どこか、自虐めいたような笑みを浮かべる由奈。

 琢磨は知ったようなふりをして、実のところ全く由奈のことを知ろうとしていなかったのだ。


「もう私に無理して付き合わなくていいよ」


 そう言い残して、スタスタと展望デッキから建物内へ戻っていく由奈。


「おい、どこ行くんだ」

「帰る・・・・・・」

「帰るなら送ってく」


 琢磨が由奈を追いかけようとすると、由奈は振り返って手で制止する。

 そして首を横に振り、無理やり口角を上げたような笑顔を貼りつけた。


「いい。一人で帰りたい気分だから」

「……」

「私は、琢磨さんの相談相手にもなれなかったんだから……」


 由奈は意味深な言葉を言い残して、踵を返して歩いていってしまう。

 琢磨は由奈の後姿を追うことが出来なかった。

 初めて出会った時、彼女は言っていた。


「寂しい私と一緒にドライブデートをしてくれませんか」と。


 変わった趣味を持っている琢磨に付き合ってくれるような愛想の良い女子大生。

 琢磨は少なからずそう認識していた。

 けれど、彼女の暗に含みのある言葉や、今日見た大学での姿。

 琢磨の認識がただの思いこみで、由奈の放った言葉や今日見た姿に本質が隠れているとしたら、琢磨は何か大きな勘違いをしていたのではないだろうか?


 今それに気がついたところで、視線の先にすでに彼女の姿は見えなかった。

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