第79話 修行の旅
「どうかしたか、マディ?」
宿に帰り部屋に入れ、椅子に座らせたのだが、何やら落ち着かない様子でこちらを見つめてくる。
「なにかすることはないかなと」
部屋に籠って何もせずにいるのではつまらないか。
いや、有り余る時間を無為に過ごしていることに耐えられないのか?
「俺はこの部屋で、教団から襲われるのを待つだけだ。特に何かすることも無ければしなければならないことも無い」
流れる沈黙が今は少し嫌に感じる。
「何か書物でも買ってこようか?」
「ああ、それは大丈夫。そういうことじゃなくて、その…………」
「俺は命を狙われる身だ。俺と共にいるという危険な状況こそが君への罰だと言ったはずだ。これ以上の罰は…………」
俺から用意できない。
そんなことは彼女もわかってる。
書物、娯楽でもない。
彼女が求めているのは、罰でも娯楽でもなく、俺という一人の人間なのか。
「…………話でもしようか」
英雄ではない、ただの旅人の話。
「旅に出たのは七つの時。二、三街を巡った頃、カーリーっていう男と出会ったんだ」
旅に出て一年目は修行の年。
その始まりこそがカーリーとの出会いであった。
まだ英雄として名を馳せていないにもかかわらずカーリーは英雄のミカで間違いないかと尋ね、答えを聞くと同時に蹴り飛ばされた。
「普通七才の子供を蹴り飛ばすか?とんでもなく恐ろしい男だった」
その男に二週間くらいかけて体術を叩きこまれた。
痛みに思考を乱されないよう痛みに慣れさせられて、その次は見た動きを模倣して学んでいく。
延々と、身体に染みつくまで繰り返す。
「最初の内は鎖使おうとしてたけど、その予兆が見えた瞬間に突然速度上げて蹴り飛ばされるんだ。あの人相手には使わないって使ったら駄目だって、言い方はあれだけど、躾けられたよ」
「逃げたりしなかったの?」
「痛いし怖いし逃げ出したいと思ったこともある。けど、逃げるのは嫌だ。自分が弱いことを理解したのなら、強くならなきゃだめだ。何せ俺は、英雄だそうだからな」
カーリーに誘拐され森の中でひたすら体術の修行を行い、実戦で使えるかは置いておき全ての型を身体が覚えた。
次々と技を繰り出していく流れも完璧。
組み手ではあったし手加減もされていたが、他の者が見れば実戦と見紛う速度で殴り合えるようになっていた。
そうして成長を確認すると、指を差し、『この方向に一年進め、一年経ったら同じ道を辿って修行は終わりだ。ただし、悪意ある生物以外に、その鎖は使うな』とそう言った。
「言うとおりにしたの?」
「まぁ言うとおりにしたけど、ひどい道のりだった。見上げるような崖はまだいいとして、谷を飛び越えようとして落ちたりもした」
飛び越えられると思った自分も馬鹿だったと思い返しながら苦笑する。
「悪意ある生物っていうのもよくわからなくて、使うなと言われていても使えとは言われていないから押し寄せる全てを肉体一つでしのいでた。でも、自然の中にいるうちに、なんとなくわかるようになってきたんだ。感情っていうほどはっきりしたものじゃないけど、なんとなく、雰囲気というか空気感というか、悪意の有無に気付けるようになっていた。襲ってくる相手も、悪意があって襲って来るんじゃなくて、生きるために襲っているんだ、とかね」
そんな旅を続けて辿り着いたのがある一つの国だった。
ツタなどが絡まり木々が生え散らかる深い深い森の中に存在する独自の文化によって成り立つ国。
大きさとしては街くらいだが、外界とはまるで違う文化は一つの国と言っても差し支えないものだった。
まずは入国の際、門番との殴り合いを制さなくてはならない。
門番に打ち勝つことで初めてこの国に立ち入ることが出来る。
「門番を倒して入国って」
「普通なら犯罪者だ。けどあの国では違った」
宿に泊まるにしても、食べ物を買うにしても、全ては殴り合いを制さなければならない。
あの国において貨幣とは戦いだ。
二つのものを手に入れたいのなら、店主と二度戦う必要がある。
「二度って、それじゃあ手に入れるのに随分と時間がかかるんじゃ」
「いいや、あの国の人達は確かに強かったが、それ以上に驚異的なのはそのスタミナと精神力だ」
相手を地面に倒せば勝ち。
無論相手も殺す気ではないにしても全力で戦っている以上はなかなか倒れない。
辿り着いた答えが気絶させること。
叩き起こせばすぐさま笑って連戦してくれるものだからいい手を思いついたと思ったものだったが、何度か戦うと気絶せずに踏みとどまるようになった。
「肉体的に耐性が付いたのか、同じ技で何度も倒れてたまるかって気合で耐えたのかは知らないが、凄まじい連中だった」
しかも店主ともなれば日に何十回と戦うんだが、技の冴えが一切落ちない。
気絶から目覚めてすぐだとしても変わらず全力で戦える。
時折開かれる国一番の戦士を決める大会を見た時にはそれはもう驚いた。
参加者全員で総当たりなのだから。
一日百戦してなお余りあるスタミナ。
負けを積み重ねど消えることのない戦意。
その様を見て理解した、ここが次なる修業の場であることを。
「そこから三か月で全員から百勝もぎ取った」
「それって合計するとどれくらいになるの?」
「さぁ?人数は数えてないからよくわかんない」
型を覚えただけのミカは、その国で戦い続けることによって実戦経験と圧倒的なスタミナを手にすることが出来た。
戦闘民族の住まう国を出てからの足取りは非常に軽く、木々生い茂る森の中だというのに駆け抜けることが出来るほどであった。
そして人の住まう領域を抜け、森の奥地へ踏み入っていく。
そこは猛獣住まう危険区域。
誰も寄らないその場所で、ミカは人以外との戦いを学んだ。
蹴ってもぶっ飛ばない巨体、人とはまるで違う間合い、完全に気配を殺しての奇襲への対応。
旅を始めてから手にした本能にも近い感覚は、より鋭さを増していった。
そして猛獣にとって人の価値基準はどうだっていい。
群れで襲い来る獣を前に、全てに警戒し集中を切らさない、多対一での戦いを学ぶ。
カーリー相手でも、あの国でも知ることの出来なかった死の恐怖が、ミカの成長を加速させる。
「まぁ結局一番大きな怪我は、どでかいよくわかんない獣を殴り飛ばしたときの骨折だったけどね」
片腕が使えなくはなったものの、その時にはすでにこの森で生き抜くに足る実力は手に入れていたため、腕が使えないのはむしろ足技に集中できる良い機会となった。
そうして旅をしながらどれだけ経ったのかを数えたり数えなかったりして大体一年が経った時、ミカは振り返り来た道を駆けだした。
猛獣を伸し、その脅威的なスタミナを以てして休みなく駆け抜ける。
そうして戻ってきたのはいつかの国。
国の誰もが知る、誰もが敗北した相手の登場に国中が沸いた。
皆があふれんばかりの戦意を向けてくる中、少年は笑う。
『全員まとめてかかって来い。俺が全員倒してやる』
次に立ち寄った時の為に覚えた言葉を言い放った。
「あれは楽しかった。強くなったことを実感できる戦いだったから」
一か月。
一か月間ほぼ休みなしで戦い続け、ミカは襲い来る全ての者に百勝を挙げた。
そうしてミカは再びその国を後にする。
駆けて駆けて駆けて、辿り着いたのはカーリーと出会った街。
「そこで修業は終わり。そこから先は皆に英雄と呼ばれるようになるまでの話だけど今日はここまで。また今度にしよう」
ミカは手を叩いて話を終わらせた。
時は夕暮れ、食事をしていたら日も落ちる。
「ねぇ、あなたはどうしてそこまでして強くなったの?強く、なれたの?」
弱いことに気付いたのなら強くならなければ。
確かにそう言っていたが、ただそれだけで命を懸けられるとは到底思えない。
「………数多の英雄たちから託されたんだよ。あまりに重すぎる願いをね」
「あなたが他の誰かの為にそんなに頑張る必要なんか」
「ぜんぶぜんぶ僕の為だよ。死んでいった人たちを、その願いを護りたいっていうのは、僕の願いで、僕の意思だ。誰かの為であったとしても、それは僕の為なんだよ」
柔らかな微笑みで答える少年を、いつの間にか抱きしめていた。
「急にどうしたんだ?何故、涙を流すんだ?」
普段の調子に戻ったミカを、より一層力強く抱きしめ、その頭を撫でた。
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