第77話 蛇

「やぁ、あんたらにお届け者だ」


どうやらこの二年で受付の者は変わったようだ。

裸の男三人を鎖から解放し床に転がす。

慌てふためく受付の女性に多少なりとも申し訳なく思うが割とどうでもいいような気がしていた。


「あんたが元気なのはわかったから、いったん落ち着いたらどうだ。突然襲われたのはこっちなんだ。これからもこういうことが続くのなら教団を潰すよっていう話を上に伝えてくんない?話はそれだけ、じゃあね」


何をどう言ったところで教団の刺客がいなくなるとは思っていない。

だから先に意思表示だけしておく。

下の連中に、上の連中が失敗したことを理解できるように。

数人が知れば噂話は流れ広がっていく。

その信憑性はともかくとして、教団に対する不信感を募らせられるのなら今以上に戦いやすくなる。


さて、どれくらいで出張ってくるか。


メッセージを残してミカは大聖堂を後にする。

挑発には乗ってくると、必ずすぐに襲ってくるという確信をもって。

その日は宿に泊まった、あの日宣伝した宿に。

あの日の事でわかっていた。

あそこの宿主は、宣伝の為なら多少の騒ぎを許容してくださると。

ただ一つ問題があったとすれば、思いのほか早くに襲撃があったということだ。

夜も更け、人ので歩かない時間に刺客は襲ってきた。

これでは何の宣伝も出来ないどころか、宿の方が壊れかねない。

窓や扉程度ならまだしも壁や屋根を大きく壊すことになると泊めてもらえなくなる可能性も出てくる。


「…………これじゃあ、この宿にも俺にも得がないな」


窓の外、鎖に縛られ刺客は宙に吊るされている。

壁も屋根も、窓も扉も壊されず、刺客はミカに捕らえられていた。

ミカは既に罠を張り巡らせている。

この部屋だけではない。

この宿だけではない。

細く細く、長く長く鎖を伸ばして、街中に張り巡らせている。

故に刺客がいつどこにいるのかもわかるし、いつどこで襲われようと対処できる。

今こうして、窓から飛び込もうとしていた刺客を、音もたてずに拘束したように。

刺客は全くと言っていいほどに脅威ではない。

鎖の前に武器も異能も全ては無力。

むしろこんな誰も彼もが寝静まった夜、泣きわめく子供やラッパを吹きながら近づいてくるような奴の方がずっと厄介に思える。


「はぁ、仕方ない。夜にしか来ないのなら多少やり口を変えよう。幸い旅の途中でお金は多少稼いだから、しばらくはここに泊まっていられるしな」


窓の外に吊るしていた男を移動させる。

街の中、道の上を、鎖の上を転がすように。

そうして聖堂の入り口に簀巻きにして放置した。

【私はセバスチャン・ミカエリスを襲いました】そう書かれた紙を上にのせて。

誰かが通りかかればすぐにわかる。

朝になれば必ず気付く。


「……………………」


完全には眠らずに襲撃に備え続け、朝が来た。

襲撃はあの一度だけ。

日が昇り街の人々が起きだしたのなら、襲撃はないだろうと、あったとしても完全に被害者として立ち回れるだろうと踏んで鎖に包まれ眠りにつく。

目が覚めたのは昼頃で、荒らされていない部屋を見るに、予想通り襲撃はなかったようだ。

ただ一つ予想と違ったのは、簀巻きにした襲撃者の事が一切広まっていなかったこと。


「まぁいいか。どうせ襲撃はあるんだろうし」


何度もやれば、教団の者は気付く。

教団内の人間が減っていることに。

たとえ減らずとも、きちんと見える位置に鎖の跡は残してある。

この跡はなんだと疑問に思うか?

それとも、跡を隠すために服が変わって疑問に思うか?

それらは全て教団に対する不信感となる。

繰り返せばそれだけ簡単に募っていく。


「…………特にやることもないし、水浴びでもしてこようかな」


ベッドから飛び起き部屋を出る。

鍵を閉めて階段を降り、鍵を店主に投げた。


「一応帰ってくるつもりだけど、どうなるかわからないから渡しとく」


食事をしている者達にお辞儀をして宿を出る。

道行く人に挨拶をしながら歩き、路地に入るとローブを身に纏いフードを深くかぶった。

水浴びをしに行くのだから、つけられては困る。

行先は森の中の湖。

サティーと見つけた場所だった。

旅をしてはいたが時折帰ってきて、修練の後、汗を此処で流していた。

木を避け、まるで隠されるようにしてある湖に出る。

そこには先客がいた。

濡れたブロンドの長髪。

華奢な体躯は、女性のものに思えた。

女性にしか見えなかった。

ミカに嘘は吐けない。

誤魔化すことはできない。

考えるよりも先に、声が出ていた。


「ごめん。人がいるとは思っていなかった」


手を上げ、何を言われるかと警戒しながら視線を向ける。

こちらを振り返って来るものだから、慌てて背を向けた。


「大丈夫。遠かったし、あと背中だけだから。うん、ほとんど見てない」


慌てて、焦りが話す速さに現れる。

頭が一切回らない。


「あー……えっと……綺麗な体だったよ。ああ勿論ほとんど見ていない。背中だけしか見えていない。それでも綺麗な体だと俺は…………ごめん、こういう時なんて言えばいいかわからない」


もはや口をついて出た自分の言葉にさえ翻弄され始める。

水音が、相手が近づいてきていることを知らせる。

焦りはより一層増していく。

育ててくれた老爺も、共に旅をしたサティーも、女性の裸を見てしまった際の対応を教えてくれていなかった。

無論、老爺と別れたのは七つの頃で、女性の扱いにまで手が回らなかった。

サティーと別れたのは昨日で齢は十二だが、戦い方しか教えてはくれなかった。


「あの……俺は、あとでいいですから」


そう言った時、華奢な腕がミカの身体に回される。

頭に触れる柔らかなものが、性差を、身長差を、年齢差を、感じさせた。


「なんで逃げようとしてるの?一緒に入ればいいじゃない」


耳に触れる、聞きなれない高く柔らかな声。


「俺は……男ですよ?」


「まだ子供なんだし良いんじゃない?」


呼吸の乱れをどうにか抑えようとするがなかなか焦りが治まらない。


「それでも俺は男です」


「なに、私を襲うの?」


「いえ、襲いませんけど」


「ならいいじゃない」


わからない。

なんて言えばいいかがわからない。

どんな反応をすればいいのかがわからない。

この状況を上手く切り抜ける方法がわからない。


「なんで、見ず知らずの俺を信じられるんですか?」


「だってあなたは裏切れないでしょう?」


「成程…………確かに俺は裏切ることが出来ないな」


英雄としての立場が不実であることを許さない。

そしてその言葉が、ミカの焦りを沈めてくれた。


「男に裸を見られるのは嫌じゃないと?」


「見られて恥ずかしい体をしているつもりはないけれど?それにあなたが言ったんでしょう…………私の身体は綺麗だと」


「………………………………………………………………」


しばしの沈黙と、長い熟考。


「…………はぁ、わかったよ。此処で断るのはむしろ失礼だね」


回された腕をどかすと、ローブを、服を脱ぎ始める。

地面に畳んで置くと、湖の中に足を踏み入れた。

女性の身体から目を逸らすも、すぐに無理やりに抱き寄せられた。


「これは?このレックレスは、外さないの?」


首に掛けた棺のネックレス。

触れようとする女性の手を掴み、その瞳を見上げる。


「これは駄目だ。たとえ俺の特別になったとしても、これに触れるのは駄目だ」


鎖も棺も道具だ。

他よりも特別な道具。

使う時なら触れても構わないが、そうでないときに触られるのは嫌だった。


「それじゃあ…………あれはまずいんじゃないの?」


視線の先を振り返る。

するとそこには蛇がいた。

鎖を咥えた蛇がいた。


「…………ごめん。急用ができた」


追いかけるべく力強く地面を蹴った。

水が爆発するような勢いで流れ、割れ、吹き飛ばされる。

女性の周りに鎖で壁を作り激流から護り、護り切ったと同時に駆けて行ったミカの下に鎖は戻る。

森の中、ローブだけ纏って裸足で駆けて行く。

足場の悪さも、自由に伸び散らかしている木々や枝葉も、ミカの障害足りえない。

しかし蛇の速さもまた凄まじいものであった。

いくら追いかけどもその差は詰まらない。

鎖を伸ばすも小さな状態では避けられ、大きくすれば隙間を縫う様にして抜けられる。

小さな状態で隙間なく埋めるだけの時間を蛇は与えてはくれない。


やめろ、あの人に責任を押し付けるな。

あの人には悪意なんて無かった。

この蛇が上手かっただけ。

一切俺に悟られずに近付き、その悪意を気取られずに奪っていった。

もしもあの場にあの人がいなければ、こうして追いかけることすら出来なかった。

全部、全部俺のせい。

それをちゃんと理解しろ。


思考の海から戻ってくる。

というよりは、無理やり戻された。

羽もない蛇が空を飛んだのだ。

木々を抜け、空を泳ぐようにして昇っていく。

日に照らされ鱗を虹色に輝かせる蛇に鎖を伸ばすが、射程圏を離れた。

街一つ鎖で埋められるミカの射程圏の外に、蛇は逃げていった。


「やられた。二つか?鎖を二つ奪われた‼」


地面に倒れ込みそうになるが、倒れ込むことはせずにとぼとぼとした足取りで湖まで戻って行った。

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