第38話 堕天

落ちていく。

重苦しい暗く黒い空間を。

沈んでいく。

何処までも続く深い沼。

身動きは取れず、這い上がることは出来ず、ただ落ちていく。

意識は薄れ、抵抗する気力すら失われていく。


「だから言ったんだ。神は敵だと」


夢の中で聞いた声。

肉体を乗っ取らんとした者。


「俺もお前も強いさ。けれど天に背くには弱すぎた」


暗闇の中から、笑みを浮かべる青年が現れる。


「俺とお前は違う。俺は別に人間が好きなわけじゃ無い。ただ、理不尽が嫌いだった」


沈みゆく者を、その先を見上げる。


「交代だ。神相手は荷が重いが、天使は残らず殺しておく」


沈みゆく者の頭に優しく触れた。


「身体、借りるぞ」




耳を劈くような金属音と共に周りの天使が吹き飛ばされるほどの衝撃が走る。


「俺が空けた席に座っただけの癖に、随分と偉そうじゃねぇか」


それは先程まで死に体であったはずのイザヤの肉体。

その背には六対十二枚の漆黒の羽。


「ルシ……ファー………」


「よぉ、てめぇら全員、殺してやるから掛かって来い」


槍を構える熾天使との激しい打ち合い。

一瞬にして槍を弾くとルシファーの握る剣がのど元に迫る。

顔を動かすこともなく、視界の外から投擲された槍を弾いた。


「生きてたか糞爺。邪魔すんじゃねぇよ」


空間の跳躍とも思えるほどの飛行。

衝撃を後に残し投擲者の目の前に現れたかと思えばそのまま首を斬り落とした。


「邪魔するから、順番が早まるんだ」


圧倒的な力。

十二枚の羽は天使の王の証。

漆黒の羽は堕天の証。

神々を敵に回し殺されたはずの堕天使は舞い戻った。


「ただ数が多いってだけならこいつも負けなかったろうさ」


熾天使へと剣を向ける。

ただそれだけで、最強であるはずの天使は死を覚悟した。


「邪魔なのはお前だ、熾天使」


雷鳴の如く響き渡る金属音と共に最高位の天使による戦いが始まる。

圧倒的な力の差がありながら熾天使はルシファーを相手によく戦っていた。


「槍に変えたのは防御を重視するためか」


長物を巧みに操り、激しい攻撃を防ぎきっていた。

だが力の差は確かなものであり、極限ともいえる集中状態でギリギリ保てている状況である。


「時間さえ稼げば周りの連中が俺を殺すわけか。で、お前と俺の戦いに手を出せる奴は何処に居るんだ?」


圧倒的な強者同士の戦い。

天使たちは、何をしても効果がないことを理解し見ている事しか出来ない。

たとえ効果のあるような攻撃手段を持っていたとしても、ルシファーには周りを警戒しながら戦えるだけの余裕があった。


「お前は馬鹿だな。肝心なところがなっていない。今のもそうだが、一度見たから防ぐことに集中すればどうにか出来ると思ってるところが特に馬鹿だ」


突如ルシファーの動きが変わった。

対応しきれない。

防ぎきれない。

焦りが顔に現れる。

長大な槍は、音を立てて折れた。


「俺も、お前の動きは見てんだよ」


敗北。

最初からこの結末は見えていた。

だが、今決定的なものへと変わった。

走馬灯としてみるような思い出など一つとして持ってはいなかったが、ただひたすらに最後の時を長く感じた。

ゆっくりと過ぎていく時間の中で、確かに見た。

ルシファーの動きが止まった。

生を諦め死へと向かう足を止め、振り返って駆けだす。

二つに折れた槍を手にルシファーへと攻撃を繰り出した。

刃が届く寸前に動き出したルシファーは、初めて回避という手段を取った。

一度熾天使から離れると、怪訝そうに眉をひそめる。

ため息を一つ吐き、目にも止まらない剣技を振るった。

周囲に近寄る天使を一瞬にして斬り伏せる。


「早すぎるっての」


剣を左手に持ち替えると、漆黒の羽がその身を包み込む。

再び羽を広げた時、羽根は一対二枚となっていた。


「俺の身体だ。俺の想いだ。俺の戦いに、部外者が立ち入るんじゃねぇ」


純白であったはずの翼は黒く染まり、神に背いた天使は今、堕天した。

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