第36話 日常の終わり

朝、夢から覚める。

身体を起こししばらく思考を巡らせる。

神は敵だと、神を殺せという言葉。

始めから信じていたわけではなかった。

ただ神に作られた物として使われていただけ。

だからこそ、神との敵対が悪であるということも理解している。


「けれど、はじめから神の方が敵対しているのなら……正体を明かさない者の言葉を鵜吞みにするわけにもいかないか」


ベッドから立ち上がると、家にアウルがいないことに気付く。

何処に行ったのかと外に飛び出すと、勢いよくドアを開けたことに驚いているアウルと目が合った。


「ごめんなさい。少しうるさいから見に来たの」


「うるさい?俺には特に聞こえないが」


「ねぇ、イザヤ」


どんな音だったのか、そう聞こうとしたが口を噤む。

彼女の呼びかけを無視する事は出来なかった。


「イザヤは……人を殺せる?」


心臓が跳ねた。

意識が遠のく。

ただ淡々と命じられるままに人を殺してきた思い出すことを拒んでいた記憶の蓋が音を立てて開く。


「以前までの俺なら、迷わず殺せると言っただろう」


苦しい。

胸が痛い。

けれどこれはきっと罰なんだ。

この心地良い場所で、失いたくない、最も大事な相手に追い詰められる。

過去の清算。


「戦わぬ者を、命を捨てる覚悟のない者を……いいや」


俺はもう知ってしまった。

地上には、人間には、こんなにも素晴らしく、幸せな時間があることを。


「俺はもう、人を殺せない」


それを壊すことなど出来るはずない。


「人を……殺したくない」


きっとそういうことなのだろう。

あの日天から逃げ出した理由は単純だった。

心は複雑で、幾重にも絡まっている。

けれど、その奥底にあるのは、人を殺したくないというたった一つの単純な思いだった。


「ねぇ、私には未来が見えるって言ったら、あなたは信じる?」


唐突な問いに一瞬不思議そうにするがすぐに答えた。


「お前が本気で言ったことなら、俺はどんなことだって信じる」


「そう……イザヤ、お料理をしましょう」


「料理?」


話に繋がりが見えない。

理解が出来ない。


「あなた料理できないでしょう?だから教えてあげる。先に行って準備しておいて」


「……わかった」


家に入るイザヤを見送りアウルは呟いた。


「イザヤはすごいのね。私には、彼らを裏切るなんて、出来なかった」




扉を開けてイザヤが外へ出てくる。


「アウル、まだ始めない……の、か。アウル?」


家の外にアウルはいない。

その日、アウルは突然いなくなった。

見通しの悪い森の中を走り回った。

広い広い森の中、自分がいる場所さえ分からなくなりながら探した。

探しても探しても、アウルは見つからなかった。


「探す、ため」


使いたくない。

二度とこんな力に頼りたくなかった。

だけど、しらみつぶしに探してもキリがない。

探し出すために、彼女と、会うために。

今一度この視界、この思考、共有しよう。


「同期開始」


意識が混濁する。

二度と感じたくなかった気持ちの悪い感覚。

脳を直接弄られるような、過去を、自分を暴かれる。

他者の意識が流れ込む、自分が何者であるかすら忘れそうな意識。

痛い。

痛くないのに痛い。

吐き気がする程の嫌悪感。

呼吸が荒くなる。

頭を割り脳みそをその場に捨てていきたいほどに苦しく辛い。


「あああぁァァァァアッ‼」


頭を押さえ無限にも思える苦しみに叫び悶え苦しむ。

そして、それら全てが吹き飛ぶようなものを見た。

背中から純白の翼を生やし羽ばたいた。

高速で木々の隙間を縫う様に飛ぶ。

視界の先に半透明な壁が見えてくる。

結界。

森を覆うようにして張られた巨大な結界であった。

速度を緩めることなく無理やり破る。

森を抜けてすぐだった。

イザヤの目に飛び込んできたのは地面に倒れる少女の姿であった。

翼を隠すことも忘れて少女のすぐそばで倒れるように両ひざをつく。


「アウル、アウル、アウル……」


胸に大きな穴を空け地面に血だまりを作る少女を前に名前を呼ぶ事しか出来ない。


「あなたが格好良いこと言うから、私も頑張らなきゃって思ったんだけどね」


「待って、まだ何かできるはずだから。待ってくれ」


微笑みに涙を流し続ける。


「ようやく知れたんだ。お前と過ごしてようやく心を知れたんだ。今の今まで気付けなかったお前に対する思いにも気付けたんだ。だからまだ……死なないでくれ」


伝えなきゃいけない言葉があるんだ。

こんなに遅くなったけど。


「アウル…………あい――――――」


唇に、少女の指が触れる。

血で汚れた顔は尚も美しい。


「その言葉は、死に逝く私にはもったいない。もっと先で、隣を歩いてくれる方に残しておいて。私じゃ、あなたの隣を歩くには弱すぎるから。その言葉は、私には勿体無さすぎる」


顔に触れる手が、地面へと落ちる。

少女のまぶたが、ゆっくりと閉じる。

息が、音が、止まる。

驚愕と喪失感。

それに続くように、塗りつぶすように、掻き消すほどの、怒り。

いつの間にか手に持っていた剣で、周囲にいる天使を一瞬にして斬り殺した。


同期した眼この眼が見た同期した思考既に知っている。命じたのは神である。全ての元凶は神である‼」


心を憎しみ染め、怒りを糧に天へと昇る。

天界、天使の住まう世界。

神の住まう神界へと至る術を持たないイザヤが来れる神に最も近き場所。


あぁ、天使はたくさんいる。

全て、全て殺そう。

視界に映る神の意思を、かき消そう。

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