第33話 同棲生活

「それは、洗っているのか?」


「えぇ、まだ使えるもの」


食事を済ませ食器を洗う。

見慣れない人間の日常は新鮮であった。


「あなたの住んでいたところにはこんな文化は無かった?」


気付かれて、違うか。

人間であるかどうかを疑われたわけではないのだろう。


「あぁ、初めてのことだらけだ」


「それ、同棲一日目で言う言葉じゃなくない?」


確かに今しているのはきっと人間の生活の中で日常となった当然のことなのだろう。

けれど、俺にとってはその当然こそが初めての事であり、周りと違うことを恐れる必要のない安心できる場所なのだ。


「そうだな」


日も暮れてきたというのに、別れることをせず同じ家へと帰る。

今更ながら気づいた。

これからは、ずっと一緒なのだ。

気付いてしまえば胸がうるさくなる。


「………なぁ、ベッドが一つしかないように見えるんだが」


「当たり前でしょう?私一人暮らしだったのよ」


それはそうだが、男女が同じベッドでというのはよくないだろう。

それくらいはわかる。

この胸の鼓動がその証明だ。


「俺は床で寝る」


「ちょっと、何のために家に住ませようとしてると思ってるのよ」


「外で、地面で寝るわけじゃ無い。ちゃんと家で寝る。だから」


「いやよ。私一緒に寝るわ」


なんて我が侭なんだろうか。

いやしかし、これこそ人間らしさという……そうじゃない。

今は関心している場合じゃない。

男女で寝るのは明らかに駄目だという話で。


「あなたは私を襲うの?」


「するわけがないだろう」


「なら何も問題はないじゃない。それとも、私に襲われると思っているの?」


「思ってない」


「あなたは私を襲わないし、私もあなたを襲わない。問題はやっぱりないみたいよ」


確かにその通りだ。

互いが信じあっていれば何も問題はない。

けれどその信頼が成り立つだけの時間は無く、問題は解決していない。


「出会って間もない男を信頼していいはずがないだろう」


「私にはわかるの、あなたは優しい。隠し事はあっても、信頼しても大丈夫って」


少女の言葉が胸を抉る。

どうしようもないほどに致命的な隠し事。

だというのに、少女から向けられる厚い信頼。

正直に話せるはずがない。

それでも良いと言う少女の眼が、天使道具を壊す。


「それとも、私は信頼できない?」


「信頼はしている。けれど、危機管理ができていないと思う」


「なら、私に襲われるのは嫌?」


あぁ、敵わない。

俺では、この少女には敵わない。


「……お前は、時折すごくずるい」


「えぇ、私はお姉さんだもの」


腰の剣を壁に立てかけベッドへと入る。


「おやすみなさい」


「……あぁ、おやすみ」


少女に背を向け眠りについた。




眼を開くと、そこは戦場であった。

戦っているのは、天使と天使。

ただ一人の天使が、何千何万という天使を相手に戦っている。

頬を吊り上げ笑いながら手に持つ黒色の剣で次々と斬り伏せる。

狂ったように笑みを浮かべながら、その眼だけが戦う意味を知るように怒りを宿していた。




目を覚ますと、少女と視線がぶつかる。


「俺はお前に背を向けて寝たはずだが?」


「えぇ、だから私がこっち側に来たの」


「そうか。なら、起きた訳だし退いてくれ」


「そうやってすぐに先へ進めようとする。あなたの悪い所よ。まぁいいわ」


ふてくされたような表情を作りアウルはベッドから出た。

後を追うようにイザヤも立ち上がる。


「おはよう、イザヤ」


「……あぁ、おはよう、アウル」


初めての朝の挨拶。

人間らしい身支度。

そして何より、朝ご飯を作る少女の後ろ姿。

幸せだ。

そして幸を感じればその逆が際立つ。

夢の中の天使。

心当たりはある。

かつて天を裏切り、天と戦い敗北した一人の天使。

道具が夢を見る時点でおかしな話ではあるが、製造されていなかった時代の戦争の情景ともなれば、不自然さは増していく。


「イザヤ」


「……何かあったか?」


アウルの声に思考を止める。


「朝ご飯の用意が出来たから食べましょう」


テーブルに並べられていく食事を眺めていると、また思考の海へ落ちていきそうになる。

頭を振って作り笑いを浮かべる。


今はただ、この幸せを続ければいい。


「それじゃあ食べようか。いただきます、だったね」


「ええ、いただきます」


ただ続けるだけ、変化はいらない。

この幸せが続くのなら、他には何もいらない。

恐れるな、恐れる必要ない。

ただここで止まっていれば、何も起こらないから。


「今日は何をするんだ?」


「何をって言われても困るわ。ここには何もないもの。村の外れだからってことじゃなくて、そもそも何もないもの」


その言葉にはどこか違和感があった。

けれどその詳細までは気付けないままに会話を続ける。


「何も無くてもいい。ただお前がしたいことをしてくれ」


「そう、それじゃあ散歩でもしましょう」


二人は歩いていく。

横に並んでゆっくりと。

代わり映えしない森の中を、二人でゆっくり、幸せを分かち合うように歩いていく。

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