第26話 最期の時
「主様、起きてください。もう朝ですよ」
ジンは壁に寄りかかり眠る老爺に声を掛ける。
「お日様は常に昇っていますし、此処に光は届かずずっと暗いですが、それでも朝は朝です。何も無いので、朝食も用意できませんが、起きてください。今日はお話でもしますか?それとも散歩でもしますか?」
老爺はしわだらけの手を上げ、ジンを制す。
「もう起きている。お前の長旅の話はもう聞き飽きた。もともと物覚えがいいからな。暗記してしまったよ」
「では散歩ですね。今……なっ⁉」
壁に手を付き立ち上がる老爺に、ジンが駆け寄る。
「立ったりするのは危ないですよ。主様の身体はもう……」
「歩くくらいはしたかったのだがなぁ」
壁に身体をあずけ、ジンが持って来た岩を削って作られた椅子に座る。
「では、いきますよ」
ジンは椅子を持ってゆっくりと上昇していく。
地上を目指し、光を頼りに上っていく。
地上に着くと、椅子を地面に降ろし、光に目が慣れてくるのを待つ。
まばたきをして、薄目で見た世界は、何も変わってなどいない。
戦いで出来た無数のクレーター。
木も草も水も、何も無い世界だった。
「あぁ、変わらないな」
「この世界、風が吹いてませんから」
目が慣れると、ジンは椅子を押して移動を始める。
世界を見て回る大移動。
「あれから、どれだけの年月が経った?」
「……ゼウスの雷から、もう二千年ほど経ちました」
「もっと短いかと思ったのだが、もうそれだけの年月が過ぎているのか」
感慨深そうに、空を見上げる。
未だその眼からは、炎が消えてはいない。
「……短く感じていたのも無理は無いかと。何せ戦い漬けでしたから。戦っていない時間の殆ども気絶していたようですし」
「それもそうだな。あぁ、長かった、長かった」
その言葉に、ジンは違和感を覚えた。
いや、本当は朝からずっと。
気付きたくなかったから、気付かないふりをしていただけ。
「主様……何故、急に散歩がしたいと?」
アマデウスなら、話の内容などずっとずっと前から暗記していたはず。
それでもずっと、暗い谷の底で話を聞き続けていた。
それが今になって、急に外へ出ると言い出した。
選択肢を与えていたのはジンであっても、それは今までとは違う、今までのアマデウスらしくない行動であった。
「なに、自分の身体は自分が一番わかっている。もう終わりが来ることも気付いている。だから少し、最後に、この世界を見て回りたかった」
優しい声に反して睨むような鋭い目で、抉れた地面を見つめる。
「な……待ってください主様。終わりだなんて言わないで下さい。だって、だって……」
涙を流しそうになりながら訴えるジンだが、次の言葉が出てこない。
「お前では、わしは止められぬよ。何せ全てを失った身だ。残ったのはこの身一つだけ。縛るものも、止めるものも、繋がりさえも、全てを失っている。わしは誰にもとめられやしない。ふははは、げほっ、げほっ」
「主様⁉」
咳き込むアマデウスに触ろうとするジンを止める。
「よせ、もうよい。お前ではわしを縛れぬ。だが、わしはお前を縛り続けた。すまなかったなぁ。これでようやく、お前は自由だ。それで、わしが死んだあと……お前は何をする?」
掠れた声で口にする言葉は、ジンの心に重くのしかかる。
「…………」
「答えられぬか?答えたくないか」
「…………」
「神を滅ぼしに行くのだろう?」
アマデウスから、視線を逸らす。
「ふふっ。よい、それでよい。だが、ひとりで行っても無駄死にだ」
「…………ですが、仲間など、いません」
「いるだろう。心強い味方が」
「……わかりません」
わかりたくない。
わからないままでいたい。
「我だ。お前の主、最強たる魔王、アマデウスだ」
わかっていた。
それ以外に、頼れる者などいなかった。
「困った奴でなぁ、きっと手を焼くことになる。神ならば見境なく殺すような輩だ。気を付けろ。と言っても、出会えばお前は殺される。何せ我は、最強だからな。だが、我はお前に託す」
若返ってなどいない。
よぼよぼの老爺であることは変わらない。
なのに、その風格が、最強の魔王の姿を幻視させる。
「神でありながら人に憧れた、お前になら託せる。我を頼む」
「何を、言って……………………了解いたしました。主様は、わたくしがお守りいたします」
ジンは言いたかった言葉を呑み込み跪いた。
アマデウスはジンを近寄らせ、力ない体で力いっぱい抱きしめる。
「頼んだぞ、我の最後の従者よ」
目の前が暗転し、意識が混濁する。
やがて気絶し、次に目を覚ますと、目の前には眠るアマデウスがいた。
だが、ジンには気に掛ける余裕などなかった。
何せ確認しようとして確認することを止めた事実に襲われていたから。
あぁ、やっぱり、やっぱりだ。
どうやったって届きやしない。
アマデウスは残った力を用いてジンを過去へと送った。
だが、アマデウスの死を以て世界は完全に滅びる。
だからこの世界は、また別の世界。
そして……目の前に横たわる青年は、ジンが追い続けたアマデウスとは別のアマデウスだ。
それでも、たとえ別人だとしても、ジンはアマデウスを助けなくてはならなかった。
どれだけ苦しくとも、どれだけ悲しくとも、助けなければならない。
だから、涙を流しながら、眠る青年の身体を揺らす。
「アマデウス様……起きてください、アマデウス様。早く起きないと、死んじゃいますよ」
最悪だ。
助けたかった人は助けられず。
助けたかった人を重ねることも出来ずに、知らない誰かを助ける。
同一人物で、別人で、違うのに、同じ。
助けられなかったのに、助けられる。
間に合わなかったのに、間に合っている。
肝心な時にはもう遅い。
なのに、今回に限って助けることができてしまう。
「なんで……もっと早くに、辿り着けなかったのかなぁ」
涙がボロボロと零れていく。
止めることができない。
目の前の青年から、助けたかった人と同じ姿をする別人から、目を離せない。
後悔ばかりだ。
そう言えば、きっと人間らしいと笑うんだろう。
けれど、後悔なんてしたくなかった。
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