第190話 じれんま

「オーッホッホ! 鍵ならこの私、ウマナミ改が持ってるわ! 欲しければ実力で奪う事ね!!」


 あまりにも場違いな蘭の哄笑が地下牢に響く。とにかくつばめに自分の正体を知られてしまうのが蘭的に最もマズい。ここは敵組織の幹部として何となくやり過ごすのがベストプランだと思えたのだが……。


「あなた蘭ちゃんなんでしょ…? 近藤先輩から全部聞いたよ…?」


 つばめの細く真摯な問いかけに蘭の動きが止まった。比喩ではなくビデオの一時停止の様にピタリと、目の瞬きや呼吸すらも止まっていた。

 蘭に唯一つ動きがあったとしたら、顔を隠すバイザーに隠れた彼女のこめかみに一筋の冷や汗が流れた事くらいだろうか。


『うぉーっ、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい! 何でつばめちゃんがウマナミ改わたしの秘密を知ってるの? ていうか睦美あのひとは何で大事な秘密を他人にバラしちゃうの?! 酷すぎる、こんなん協定違反じゃない! …あ、舞台が異世界に変わって、もうシン悪川興業の情報が不要になったからって事? だからってそんな簡単に私に一言も断りなく約束を反故ほごにするなんて人の心って物が無いのかしら…? とりあえず何とか… 何とか誤魔化さないとっ…!』


 ここまで0.42秒で考えた蘭は、静止した体の首から上だけをつばめの方に向けた。それは油の切れたロボットの様に寸刻みのぎこちない動きであった。


「ナ、ナニヲイッテイルノカシラ…? ワタシノナマエハ『ウマナミカイ』。シンワルカワコウギョウノカンブデ…」


「もういいよ蘭ちゃん。沖田くんを人質にされてたから、無理矢理ユリさんと戦わされてたんだよね…? もう大丈夫だから、ここで沖田くんを連れて一緒に帰ろう…」


 1960〜70年代のSF作品に出てきそうなロボットの口調っぽく話す蘭をつばめが遮った。

 蘭としても別段ロボットっぽく喋ろうとした訳ではなく、ガチャガチャな心理状態が口調に現れてしまっただけなのだが、『蘭が無理矢理戦わされている』と誤解しているつばめには、今の蘭はとても痛々しく見えた。


「蘭ちゃんはここまで独りで沖田くんを頑張って守ってきたんでしょ? どうもありがとう。詳しい流れはよく分かんないけど、蘭ちゃんが苦労してきたのは想像できるよ…」


 蘭に手を差し出したつばめの優しさが蘭の心に沁み渡る。このまま『悪の女幹部』ウマナミ改から『つばめの親友』増田蘭に戻って、つばめに縋って泣き出してしまいそうになる。

 

 蘭とて詳細な経緯は知るすべもないが、つばめもここ魔王城の地下に潜入するまでの道のりは決して平坦では無かったはずだ。それなのに自分の苦労は棚上げして蘭の苦労を労っている。

 その優しさがが蘭にはとても嬉しく、そしてとても腹立たしかった。


『そう、つばめちゃんはいつもそう。真っ直ぐで、純粋で、優しくて、単純で、沖田くんが大好きで… そして、だからこそ『残酷』だよ…』


 蘭がここまで油小路の無理難題に耐えてきたのは、つばめの言う通り沖田を守る為だ。それは彼の身体をただ守る為では無い。その過程で育まれた沖田との『絆』… この数日で得た蘭の宝物を守る為でもある。


 このまま沖田をつばめに預けて逃してしまえば、沖田は日本に帰れて普段の生活に戻れるだろう。彼の家族も数日間行方不明になっていた息子の帰還を喜ぶに違いない。

 沖田を救出した者は感謝され、もしかしたら彼の寵愛を受ける事になるかも知れない。この場合それを受けるとしたら、その人物は蘭ではなくつばめとなるだろう。


『つばめちゃんは凄いよ。でもね、私だって… 私だって沖田くんが好きなんだよ… このままつばめちゃんに彼の身柄を渡すのがベストだと分かっている… でも… でも沖田くんをつばめちゃんに取られるのはイヤだよ…』


 差し出された手を無視するかの様に、蘭はつばめに対して姿勢を正した。


「ごめん、つばめちゃん。それは出来ないよ… ここは大人しく帰ってくれないかな…?」


 蘭の返答はつばめらにとってまさに青天の霹靂である。沖田救出という目的を一つとするはずの蘭が、まさか沖田を目の前にして協力を拒んだのだ。これにはつばめらも混乱を隠せない。


「え? 何で? 蘭ちゃんそれってどういう意味…?」


 つばめからは当然その様に問い掛けて来る事は、蘭にも容易に想像できていた。

 しかし、その問いに対して蘭は答えるすべを持たない。次の一言を言ってしまえば、蘭とつばめとの友情は確実に粉砕されるだろう。


『今ここで私も沖田くんが好きだって言いたい。つばめちゃんに堂々とライバル宣言して、その上で恋も友情も決着させたい。恋と友情、どちらかしか取れないのなら…』


 慎重に言葉を選ぶ必要がある。いや、もう既に沖田かつばめかの二者択一の状況だ。蘭にとってその両者を手にする事はもはや不可能である。

 グチグチ考えるのは蘭の性に合わない。それに魔王城でのんびり井戸端会議をしている暇もない。

 

 ならばここでもう答えを出してしまっても構わないのでは無かろうか? どの道つばめらには穏便に帰ってもらう必要があるし、沖田を返す訳にもいかないのだ。

 

「つばめちゃん! 私は… 私はっ!」


 蘭が口に出そうとしているのはつばめへの宣戦布告である。そのただならぬ雰囲気を感じて、つばめらは息を呑み眉をひそめながら蘭の次の言葉を待つ。


「こんな所で何をしているのですか…? 緊急事態ですよ」


 蘭の言葉が切れた一瞬に油小路の声が割って入る。


 ここで油小路と遭うのはよろしくない。彼の実力は前回の戦いでマジボラの全員が承知している。ここで今いるメンバーが油小路とまみえても勝つ事はおろか、逃げ出す事すら容易ではない。

 御影が咄嗟に「ジャズ歌手シャンソン歌手」と唱えて、先程と同様に『魔族兵に連行されるつばめ』の構図を作る。

 

 まだ油小路の姿は見えない。どこかに潜伏してこちらを見ていた可能性も高いが、万が一にもつばめ達の姿を見られていなかったのならば、御影の偽装でやり過ごせるかも知れない。


 やがて入り口側から歩いて姿を現した油小路は、蘭たちを一瞥して無表情のまま口を開けた。

 

「ユリの勇者がアンコクミナゴロシ王国の残党と共に魔王城に攻め込んで来ました。未確認情報ですが魔王軍四天王のうち3人が倒されたそうです。迎撃に出ますよ、一緒に来てください…」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る