第十話

「一難去ってまた一難だな。……お前ってホントーに」

「ほっといてよ、結構気にしてるんだからサ」

 あたしはうーん、と唸る。

 ほんとに、損な性分だわ……あたしってば。

 実はあの時の『僕は』の続きが結構気になっている。けれど、そんな事聞いて、詮索好きな奴、なんて思われたくない。

 そんなのは建前。

 本当は、あの時の。

 荒んだ眼が何を言い出すのか、聞くのが怖かったんだ……。

 ピンクのクッションにつっぷするように顔を埋めた。そしてまたあたしは唸りだす。

「う—————……」

「なんなんだよそのうーうー言ってんのは」

 音楽室はすっかりあたしの部屋として定着してる。完全防音に改造してあるとかで、ここでは何を言っても話しても、隆介にはけして聞こえないのだ。

 だから、不安を声に出してしまう。

 なんだかワケのわからない、唸り声にしてしまう。

 隆介は。

 一体、何なんだろう。どんな両親がいて、どんな家庭で育って、どーしてこんなトコに一人で住んでるんだろ。

 あたしはそれを知ろうとして、

 知りそうになったけれど、それが知ってはいけないような気がして。

 結局手を引いてしまった。

 後悔しちゃうぐらいならちゃんと聞けばよかったのかもしれない。けれど聞けなくて。

 不意に、手元にあったキーボードを上にのった楽譜ごと引き寄せる。えいっ、こういう時は弾くにかぎるわ。

「……♪……♪……♪・♪・♪……♪・♪……」

 これは、隆介の曲の中で一番難しい曲。

 指がカタイ所為なのか三連符がちゃんと弾けなくて、どーしても不協和音になっちゃう。

 …あたしは、隆介と交わる事で、二人一緒に不協和音になっちゃうだろうか。それとも、ちゃんとキレイな響きになれるかな。

 ボーッとそんなことを考えながら、ゆっくりとある決意が心の中で固まっていった。

 もしも、まだ一度も成功していないこの曲が成功したら。

 聞いてみよう、続きを。聞いてみて、確かめよう。

 ちゃんと響く事が出来るか――。


 一枚。二枚。三枚。楽譜の枚数よ。

 ラスト。とりあえず、まだトチッてない。

 失敗したい、どこかで思ってる。訊くのは怖い。トチッて、あたしの指。怖いから、まだ訊くのは————……。

「……あ」

 あ、って思っちゃった。

 だって信じられナイでしょ? 間違っちゃえ、って思った時に……こんなに綺麗に……

 成功、しちゃった。

 今までやろうと思って出来なかったのに。

 どこかで失敗したいと思っていたのに。両手、重なった三連符がキレイにハモッて、すごくキレイに響いちゃったよ。ルワンとあたししか聞いてないのが残念なくらい。

 ……しょーがない。

 隆介は明日お休みだし、もう一回聞いてみよう。もう一回だけ聞いてみよう。

 そして、どうにか聞かせてもらおう……。


「隆介————?」

 その朝、あたしは朝食が出来たことを伝えるべく、隆介を呼びながら二階への階段を上り、部屋に行く。珍しいな、寝坊なんて…そんなに疲れるバイトしてるのかしら。

「お」

 あたしは階段の途中にある窓から外を見る。木からキレイに色づいた葉っぱがパラパラと落ちていく。

 …秋、かぁ…。

 すごくキレイなコレの事、『紅葉』っていうんだっけね。

 葉っぱが赤く染まってるから紅葉。名は体を現す、よく言ったものだわね。

 階段を上がってすぐの隆介の部屋は、いつもは片付いてる部屋なのに、今朝はなーぜーか、ひどい散らかり様。丸められた紙くずの洪水があちこちに出来ちゃってるわよ…。ゴミ袋という秘密兵器を出さなきゃね、コレは。

「うー?」

 あたしはその中の一つを拾い上げて広げてみる。

「……?」

 それは、

 五本の線の束がいくつも引かれた楽譜……だった。

 ぐしゃぐしゃにして、何度も何度も失敗している。


「ゴミ広げなーいっ」

「うわひゃっ!?」

 後ろからあたしの持ってた紙を摘み上げて丸めなおしてしまったのは、遅まきながら眼をさました隆介だった。

「なに? もォゴハンの時間だっけ?」

「う、うん」

 そう言ってあたしは隆介を見上げた。

「着替えるからダイニングで待ってて、すぐ行くからね」

「……」

 隆介を見上げて…あたしは眼が離せない。

「リィ? どしたの?」

「あ、な、なんでもないっ!」

 あたしははしたなくもバタバタと部屋を出て行った。

 スランプ、なのかな。だとしたら、あたしのせい? あたしのせいで、隆介は曲を書けなくなった?

「ヘン……」

「え!? 変? ヘンかしらあたしって!?」

 あたしはポソリと呟かれたルワンの言葉にメチャクチャ過敏に反応してしまう。

「イヤ、朝っぱらから何ハイテンションしてんだ? オレが変って言ったのはこの花だよ」

「へ? な、なんだ……」

 朝のルワンのお仕事となっているのは、食卓の花瓶にお花を生ける事。面倒くさいって渋ってるケド、なんだかんだ言って結構拘ってるのよねぇ。

「やっぱ白をこっちにしてピンクを中央に……イヤ、なんかソレもなぁ……」

「あれ? コスモスなんかどこにあったの?」

「マンションの下の道に生えてた」

「……遊歩道に植えられてたのを盗んだのね……」

「花泥棒は罪にならないんだろ?」

「なるわよ!」

 あたし達もいー加減日本人になりつつあるのね…(ホロリ)。

 なんか、この頃ホントに。

 いろんな事を実感して、噛み締めてる。

 コレは重症だわね……。

「リィ、今日のゴハンなーにー?」

 二階からそんな声が響いてきたので、あたしは階段の下で二階に向かって叫ぶ。

「朝は和食だけどー?」

「おかず何ー?」

「お味噌汁と卵焼きと鮭の塩焼きー」

「卵に小麦粉入ってたり鮭が甘かったり醤油と八方汁間違ったりしてないー?」

「してないわよ!」

 うぅ……こっちも前科があるのよね。フンだ、イイじゃない砂糖と小麦粉間違ったって (イヤ致命的以上の間違いだけど) !

 そうだ、あたしってばトンデモナイ料理オンチだったのよね。

 お掃除も出来なかったし、お洗濯だって手で洗った方が上手って程にトンでもなかった。

 なのに、今はちゃーんといろんな事出来るようになったんだ……。

 色々、出来るようになったんだなぁ……。


「……ど?」

「ん、おいし」

「やったぁ! これでちょっとは隆介の味に近付けたかな?」

「あっはっは、無理無駄無情」

「ぐぁっ、ヒドイ……。打ち消し三連発でくるワケなの?」

 あたしは思わずよろめき……。

「で、何があったのさ?」

「へ?」

 ……よく、わかんない言葉に混乱。

 あたし、いつもコイツには混乱させられっぱなしなんだな……ううぅ(泣)。

「だっていつもよりカラ元気がヒドイんだもの。何か……隠し事?」

「う~~…」

 なんか、なぁ……。

 毎回毎回、あたしが頑張って勇気を振り絞ろうとすると、必ずコイツが先に助け舟を出してしまう。

 これじゃ、あたしは。

 どんなコトにも、自分の勇気をつかえないじゃん……。

 ああ、でもちょっといいのかもね。『あの時』までに出来るだけ勇気を溜められるし。

 勇気を、この身体の中に溜め込んで——そうしておけるけれど——なんだか、釈然としないわね。


「その……さ?」

「ん?」

「こないだの……続き、聞きたい」

「どれ?」

「ルワンが居なくなった次の夜の――――……」

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