第66話 極大豚鬼王の侵撃

 『ロブナ‐オゴナル』の波動の乱れが生じた日から、一週間が過ぎていた。

 アンコウは、まだワン‐ロンにいる。グローソンからのお迎えがまだ到着していないからだ。


 あれほどグローソンの追っ手から逃げ回っていたアンコウなのに、一度、グローソンに身を任せると決めてしまうと、

 まだ来ないのか、まだ来ないのかと、お迎えを待ちわびるようになってしまっていた。


 逃亡生活に疲れ切ってしまっていたのに加え、何よりアンコウは、極大豚鬼王ビッグオークの襲来が恐ろしかった。


 歴史上、約千年に一度ほどの頻度で発生している ワン‐ロンへの極大豚鬼王ビッグオークの侵撃。それは、このワン‐ロン建国の成り立ちからして避けられない災害。


 記録によると、いずれの時も事前に『ロブナ‐オゴナル』の波動の乱れが生じ、その波動の乱れが生じたときから、実際の侵撃が始まるまでの期間は、

 記録に残されているものでも、ほぼ即日に侵入がはじまったものから、数年に渡って断続的に波動の乱れが続いた後に侵入が始まった事例もあり、規則性はまったくない。


 そして、



「くそったれっ!なんだこれはっっ!!」



 ワン-ロン全体を飲み込む大波のような激しい波動の乱れ。アンコウの怒号のような叫びが響く。

 此度の極大豚鬼王ビッグオークの侵撃は、わずか一週間後に始まってしまった。




 結局、アンコウが心よりお待ちしていたグローソンからの迎え(引き取り?)の使者は、わずかな差で間に合わなかった。

 逗留している屋敷から庭に飛び出たアンコウは、外壁を器用によじ登り、ものすごい速さで屋根の上に駆け上がる。


(この間の比じゃないっ!それに何だこれっ、とんでもない覇気がっ)


 アンコウは屋敷の屋根の一番高いところに到達すると、そこから街を眺める。


「アンコウっ!」

 アンコウに続いて、カルミも屋根の上にやってきた。


「くっ!何だよっ、あれ……何だ……」


 アンコウは、最も強く波動の乱れを感じる方向を見ている。

 アンコウの額から、次々と汗がしたたり落ちる。アンコウの表情は極めて険しい。


「あそこは……東の広場のあたりだな」


 アンコウがいる屋敷からはかなり距離があるが、東の広場といえば、アンコウたちが初めて、このワン‐ロンに入った場所。

 いくつもの幻門ファンゲートが設置されていた場所だ。


 このワン‐ロンで、公に設置されている幻門ファンゲートがあるのは、東西南北中央の5ヶ所の広場のみ。


「何だよあれ………あそこはどうなってんだ」


 東の方角から、とりわけ激しい波動の乱れが感じられる。何かはわからない強烈に強い覇気。それに、


「……あの辺りから、ものすごく濃い魔素が吹き出してきているっ」

 アンコウの目つきが、これ以上ないぐらい厳しい。

「………あそこに、何かいる………」


 アンコウは街の東方をにらめつけながらつぶやいた。

 アンコウと同じく屋根の上に立ち、アンコウと同じ方向を見つめていたカルミが、そのアンコウの独り言に答えるようにつぶやき返す。


「……びっぐおーく」


バッ!と、アンコウはカルミのほうを見た。

「わかるのか!?」


「このあいだ、マグナ‐オゴナルの祭殿で、ちょっとだけ感じた覇気とおなじ。ナナーシュは、極大豚鬼王ビッグオークが干渉してるっていってた」


「く、くそっ、じゃあやっぱり極大豚鬼王ビッグオークの侵撃ってやつが始まったんだな」


 万世の歴史を持つワン‐ロン。その悠久の歴史の中で、約千年に一度の頻度で発生している 極大豚鬼王ビッグオークの侵撃、その恐るべき災害に出くわした。


(ついてないなんてもんじゃねぇよ………)


 アンコウは真っ先に逃げることを考えるが、そもそも逃げられるなら、この一週間のうちに逃げ出しているアンコウだ。


 ここワン‐ロンは、迷宮地下都市。地上世界に戻るためには、幻門ファンゲートを通る必要がある。

 しかし、その幻門ファンゲートは、すべてワン-ロンの統政府の直接管理下にあり、誰一人許可なく出入りすることはできない。


(それでも行ってみるべきか)


 極大豚鬼王ビッグオークの侵撃は、多くの魔獣の侵入を伴うという。この後、ワン-ロン全域が、大混乱に陥るのは必死だ。


 ワン-ロン・ドワーフたちは、ナナーシュらワン-ロン統政府が一週間前、極大豚鬼王ビッグオーク侵撃の可能性を公表した時、多くの民衆が戦う意志を声高らかに宣言するという気概を見せた。


(でも、全員が戦えるわけじゃない)


 なかには、必ず戦えない者もいるだろうし、少数でも逃げる者もいるはずだと、アンコウは考えている。

 ワン-ロンは大きな街、人口も多い。全体の割合としては一部でも、数でいえば、決して少なくない人数が逃げ出すだろうとアンコウはみていた。


(必ず幻門ファンゲートに人は殺到するはずだ)


 アンコウは、波動が激しく乱れ、強烈に強い覇気と、ものすごく濃い魔素を感じる東の広場の方角から目を転じ、ここから比較的近い北の広場のある方向を見た。


「………とりあえず、北の広場に行ってみるか」


 アンコウは、もはや行動することを躊躇ちゅうちょする時間はないとみた。

 わずかな時間の判断の遅れが、死に直結する事態だと認識した。


「カルミ、北の広場に行くぞ」


 アンコウはごく当たり前に、カルミにそう声をかけたが、


「そっか、カルミはあっちに行くよ」


 カルミはごく自然にそう言って、街を指差した。

 カルミが指差した方向、それはこゆい魔素の立ち昇り始めている東。


「!……何しに行くんだ……」

 カルミを見るアンコウの目が、いぶかしげに鋭くなる。


「カルミは戦うよ」


 カルミはこの一週間のあいだにも、一度ナナーシュを訪ね、話をしていた。

 ナナーシュはかなり疲れているようだったが、カルミが来てくれたことをとても喜んでいた。ナナーシュはカルミのことを案じ、地上の家に帰ってはどうかとも言ってくれていた。


「落ち着いたらいつでもワン-ロンに遊びに来られるようにするから」

 と、言ってくれたのだ。


 カルミは死んだじいちゃんに、

「友達が困っていたら、全力で助けてやれ」

 と、言われたことがある。


 ナナーシュは、カルミにとって初めての友達だ。だからカルミはナナーシュに、

「帰らないよ、ナナーシュのちからになる」と伝えた。


 ナナーシュはそれを聞いて、カルミに安全なところに行くようにと説得したが、カルミが首をたてに振ることはなく、最後にはナナーシュは声を震わせながら、

「……カルミ、ありがとう……」

 と、言っていた。



「じゃ、行くね」

 カルミはあっさりそう言うと、屋根から下りようと動きだす。

「お、おいっ、カルミっ!」

 反射的にアンコウがカルミを呼び止める。


「なに?」

 と言って、振りむいたカルミの目。

 真っすぐに迷いなくアンコウを見ているその目には、燃えるような闘気が宿っていた。


 カルミは、ただの6歳の子供ではない。6歳にして、戦いというものを知っているハーフドワーフの戦士。


「………………いや、」

 アンコウは止めるのをやめた。


「……俺はそっちには行かないぞ」

「うん」


 カルミは、別にアンコウについてきてもらいたいとは思っていない。

 戦うか戦わないか、どこで何と戦うのか、それはそれぞれが決めることだと、カルミは思っている。


 そんな感覚がいつどのようにして身についたのかは、カルミ本人にもわからない。

 それは、まるで生まれつきカルミに魂に宿っている感覚のようだ。


「終わったら、アンコウのところに戻ってくるね」

「………ああ、好きにしたらいいさ」



 屋根の上からカルミの姿が消えるのを見届けた後、アンコウの姿も屋根の上から消えた。





青幌精霊法術師団あおほろせいれいほうじゅつしだん赤幌重装騎士団あかほろじゅうそうきしだん黄幌槍剣白兵隊きほろそうけんはくへいたい

 以上各部隊の先兵部隊の東広場への出陣っ、開始いたしましたっ!」


 勢いよく駆け込んできた伝令人が大きな声で告げる。

 その大声が響いた広間には、ナナーシュをはじめ、ワン‐ロンの有力家臣の面々がずらりとそろっていた。


「うむ、引き続き、兵の移動を急がせよ」

「はっ!」


 伝令と受け答えをしていたのは、ボルファスだ。

 ナナーシュの側近、分厚い筋肉に覆われたダルマのような体、頬からあごを覆うような立派なヒゲ、見た目は50歳ぐらいの中年、将軍ボルファス。


「ナナーシュ様、東広場の幻門ファンゲートより、侵入を図ろうとしている極大豚鬼王ビッグオークへの先陣部隊に引き続き、このワン‐ロンの全戦力を動かす御許可をっ」


「………ええ。ボルファス、皆も、」


 ナナーシュの声に反応して、ナナーシュの足下に居並ぶ者たちが、一斉にナナーシュを見る。

 ナナーシュが自分の体の大きさには合わない大きな玉座から、スッと立ち上がり、皆を見渡す。


「万世のこのワン-ロンの歴史の中で、幾度となく繰り返された極大豚鬼王ビッグオークの侵撃も、そのすべてを我らワン‐ロンの祖先たちは跳ね返して、今があります。

 ならば、今回も同じこと。必ずや極大豚鬼王ビッグオークを打ち倒し、湧き出てくるであろう魔獣どもを一匹残らず排除しますっ!

 このワン‐ロンの統治者、太祖オゴナルの正統後継者、ナナーシュ・ド・ワン‐ロンの名において命ず、このワン‐ロンに仇なす魔獣どもを、たとえ死しても一匹残らず狩りとれっ!」


「「「「はははーーーーーっ!!!」」」」


 ナナーシュは玉座の高台から下り、歩き出す。

 ナナーシュの足下に居並んでいた者たちが、戦意をあらわに、一斉に広間から出て行く。


 ただひとりボルファスだけが、まだナナーシュの後についていた。


「ボルファス」

「はっ」


極大豚鬼王ビッグオークが、このワン‐ロン内に侵入してくること自体はもはや避けられない。間違いなくそういう力を持っている個体だから。

 私はこれからロブナ祭殿に行き、『ロブナ‐オゴナル』に干渉している極大豚鬼王ビッグオークの力の排除に努めます。私はやつのロブナ‐オゴナルへの干渉による悪影響を最小限に食い止める。

 だからボルファス。前線の指揮は、あなたに任せます」


「ははっ!承りました。ではナナーシュ様、大精霊の御加護があらんことをっ」


 そう言うとボルファスも皆の後に続いて広間を去り、ナナーシュは自分の戦場へと向かった。





~~ロブナ祭殿~~


「ナナーシュ様っ、ロブナ-オゴナルがっ!」


 ロブナ祭殿の護祭官たちが、群がるようにナナーシュに走りよる。


「わかっているっ。皆、落ちついてっ!」


 鋭い目つき、これ以上ないほどの真剣な表情でナナーシュは、ロブナ祭殿最奥部『ロブナ‐オゴナル』が設置されている大魔石卵の間に足を踏み入れる。

 ロブナ‐オゴナルを中心に渦巻くように乱れる力の波動。

 目には見えぬが、目に見える以上に鮮明に、ナナーシュはそれを感じとっていた。


「ナナーシュ様っ、我々ではどうしようもございませんっ」

「…………わかってる。皆、さがっていて」


 なすすべなく多くの護人官たちが立ちすくむ中、ナナーシュは意を決し、波動の激流の中に足を踏み入れた。

 ナナーシュは海を割り開く聖人のごとく、波動の奔流の中を 『ロブナ‐オゴナル』に向かって歩みを進めた。


「くっっっ」

(す、すごいっ、ここまで干渉されるなんてっ)


 顔をしかめ、全身から得体の知れない汗を吹き出しながらも、ナナーシュは『ロブナ‐オゴナル』の設置されている台座に登り、その前まで進み止まる。



「ああっ……ナナーシュさま」


 多くの護祭官たちが、そんなナナーシュの姿を必死の思いで見守っている。


 ナナーシュは、目の前にある濃透紫色の卵形の巨大魔石‐ロブナを挑むように睨むように見つめる。そして、ナナーシュはゆっくりとロブナ‐オゴナルに両手を伸ばし、その手のひらを当てた。


 そして……ナナーシュの天をも破る様な気合声が祭殿に響いた。


「ああぁぁあああーーっ!!」

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