50 成層圏突破し、宇宙へ

 常夜の空にあった二個の月、その内の一つは、なんと月に化けた古神ツクヨミだった。

 相棒の狸は、どうやったのかツクヨミを連れて俺の元に帰ってきたのだ。俺の相棒、最高じゃね。

 



 ウオオオオオォ!

 

 

 再び吠えて突進してくるスサノオ。

 お前はゴリラかっての!

 

『響矢?!』

 

 咲良の驚く声。

 俺は構わずツクヨミを前進させる。

 ツクヨミは飛行機のような機体で、常に空中に浮いている。

 低空飛行するツクヨミと、スサノオが正面からぶつかり合い。

 

「月面結界」 

 

 スサノオが後方に吹き飛ばされた。

 ツクヨミを囲む二本の三日月の金環は、浮上のため重力を操作し空気抵抗を減少する用の力場を形成している。早い話が無敵の防御だ。

 

「まだ倒れないか」

 

 森の木々を数本薙ぎ倒し、尻餅を着いたスサノオだが、燃え上がる闘志はそのまま、再び立ち上がろうとしている。

 

「お前の気が済むまで付き合うよ、スサノオ」

 

 俺はツクヨミをスサノオの鼻先まで飛行させた。

 二本の金環をずらし、ツクヨミの腹部からフックを出してスサノオを引っ掛ける。そのまま天空へと上昇した。

 腹の下に暴れるスサノオをぶら下げての空中散歩だ。

 

「常夜の空はどうなってんのかな。宇宙まで行けそうな広さなんだけど」

 

 どこまで上昇しても壁にぶつからない。

 それどころか成層圏突破しそうな勢いだ。

 俺は後ろを振り返って気付いた。

 ツクヨミは常夜から元の世界へ移動している。

 あまりにも滑らかな世界移動レイヤーシフトだったので、世界が変わっていることを意識していなかった。

 

 雲を抜け、球体の地球が見下ろせる位置まで上昇する。

 深い闇に浮かび上がる青い美しい星。

 元の世界の、宇宙から地球を見た写真そのまんまの光景だ。

 

「さすがに、そろそろ帰るかな」

 

 俺はツクヨミを引き返させた。

 雲海に飛び込み、常夜の世界レイヤーに時空移動する。

 元の場所に戻る直前で、スサノオを手放した。

 地上に落下したスサノオは、二個目のクレーターを作る。

 さすがに今度のダメージは大きいらしく、スサノオは動かなくなった。

 

『響矢、ちょっとやり過ぎじゃ……』

「見ろよ、スサノオ壊れてないだろ。丈夫な装甲だよなー」

 

 咲良の突っ込みに、俺は内心「やり過ぎたかな」と焦りながら、スサノオの様子を確認した。

 スサノオは鎧が焦げて見た目は無惨な状態だが、五体満足で大きな損傷は無い。

 

『……こちら二代目アメノトリフネ。降参するから、危害を加えないでくれ!』

 

 不時着した敵側のアメノトリフネから通信が来た。

 

『私は、初代アメノトリフネを指揮する一条恵里菜です。危害も何も、攻撃してきたのはそちらですわ。本来は味方同士、理由のない争いを続けるつもりはありません』

 

 すぐに恵里菜さんが、きっぱりと返答する。

 

『なぜ当艦を攻撃したか、改めて理由を聞かせて下さい』

 

 俺は「なぜって、あの偽物が指示したんだろ」と思ったが、考えてみれば下っ端の部下たちは、どこまで理解して偽物に従っているか不明だ。

 恵里菜さんは、その辺りを確かめたいのだろう。

 

『なぜとは……私はナリヤ様に、久我響矢を名乗り、東皇陛下を誘拐しようとしている逆賊が常夜に潜んでいるので、追いかけて討伐するよう命じられているのですが……』

 

 二代目アメノトリフネの艦長が回答した。

 その声には困惑が混じっている。

 向こうは俺たちが悪役だという認識だから、執拗に抵抗するか皆殺しにされるか、どちらにしても逆に恵里菜さんに聞き返されると思っていなかったのだろう。

 恵里菜さんの溜め息が、通信を通して聞こえてきた。

 

『……あなた方は騙されています。本物の久我響矢は、私たちと共にいます。その薄紫の古神ツクヨミの操縦者が、本物の久我響矢ですわ』

『馬鹿な! いやしかし、ツクヨミだと……ツクヨミ、まさか三貴神のツクヨミですか?!』

『ツクヨミに乗っている事がまさに本物の証でしょう。信じられないなら、彼の行動を見て頂ければと思います。響矢くん』

 

 艦長同士のやり取りを聞いていると、途中で俺に話が振られた。

 俺はツクヨミをスサノオの近くまで降下させ、ハッチを開け外に出ようとしたところだった。

 もうちょっとでツクヨミを停止して通信チャンネルを落とすところだったぜ。

 

「はい?」

『スサノオを元の姿に戻して、中の操縦者を助けてあげるつもりよね?』

「もちろんです」

『二代目アメノトリフネに乗っている人達にも、様子を見せてあげようと思うのですが、良いかしら?』

「ご自由にどうぞ」

 

 俺はその返答を最後に、ツクヨミを停止した。

 胸部ハッチを開けて外に出る。

 黒く焦げて大の字に横たわるスサノオの足元に立った。

 ツクヨミから「ポン!」と音を立てて狸が出てくる。

 狸は俺の肩に飛び乗り……ずり落ちた。

 

「おいおい」

 

 俺は狸が地面に落ちる前にすくい上げて、小脇に抱える。

 

「ツクヨミを持ってきてくれて、ありがとうな、たぬき」

 

 礼を言うと、狸は目を潤ませて、鼻水をびろーんと垂らした。

 

「さて、と」

 

 スサノオは怪人チェーンソー男の格好のままだ。

 この状態だと、狸は憑依できないようだ。

 駄目元で焦げた装甲に触れると、ガタンと音を立てて胸部ハッチが解放された。操縦者が操縦している間は開かないのだけど、スサノオは操縦者がいない状態らしい。

 

 俺はスサノオの胴体によじ登り、開いた胸部ハッチから中に飛び込んだ。中はシステム起動した状態で、赤い「怒」の文字がスクリーンを埋め尽くしている。

 球体の操縦室の床に、青年が倒れている。

 青年は憔悴した様子だったが、俺の気配を感じたのか、顔を上げた。

 

「……僕の、縁神の、コヘビが……声が聞こえなくなって……まさか、死んでしまったんじゃ」

 

 青年は自分の縁神の心配をしていた。

 荒れ狂っていたスサノオに憑依していた縁神がどうなったか、俺も気にならないではない。

 

「大丈夫。俺が確かめるよ」

 

 青年を安心させるため、軽く肩を叩くと、俺は操縦席に向き直った。

 

「鎮まってくれ、スサノオ」

 

 操縦席のアームレストの勾玉に、手首を乗せる。

 その瞬間、俺とスサノオは繋がった。

 怒涛のように流れこむ感情。不安と懐疑。憤怒と寂寥。

 波のようなそれを、俺はただ穏やかに受け止める。

 

 津波のような感情が流れ去っていく。

 空間を埋め尽くしていた赤い「怒」の文字が次々と消えていった。

 操縦室を満たしていた不気味な赤い光が、清涼な青い光に生まれ変わる。

 

『嵐神スサノオ…再起動しました』

 

 古神の外側が、ガチャガチャと切り替わる音がした。

 チェーンソー男の姿が解除されて、元の格好いいスサノオに戻ったようだ。

 俺はそのままシステム終了を命じた。

 操縦室が暗くなるが、ハッチを開けたままなので、真っ暗にはならない。

 停止シークエンスが終了すると、スサノオに囚われていた縁神が解放される。

 倒れた青年のすぐ側に、白い小さな蛇が現れた。

 

「コヘビ……!」

 

 青年は這いつくばったまま、蛇の縁神に手を伸ばす。

 

「ありがとうございます! あなたは……?」

「俺? 俺は、久我響矢」

 

 そういえば偽物扱いされてたんだっけ。

 ややこしいな。

 俺は、目を丸くする青年に手を差し出した。

 

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