閑話・裏話 エンルム家の今 その②

ロイは自分もこのままではいけないと酒を断った。

ロイが好んで飲んでいた酒は高級品、エンルム家の経済を圧迫していた事に漸く気付いたのだった。

ヘレンも所有していた装飾品、宝石、ドレスを売り払い家計の足しにする。


夫婦で共にエンルム家を再興しようとする情熱が確かに宿った。



だが、しかし――――――……。




「父様!何故馬車が無いのですか!?これでは僕は歩いて登校することになってしまいます!!」


まだ中級貴族に堕ちて、エンルム家が落ち目だと理解できていない息子が居た。


「ここから学校までそう遠くはない、問題無いだろう?」


「馬車で行かなければ笑われてしまいます!!父様は僕が、エンルム家が笑われても良いのですか!?」


アルフォンスはこう言っているが、実際のところ中級貴族に格下げになったのに上級貴族の頃の仕様の馬車に乗ってくる方が笑われていた。

いつまでも上級貴族だった頃が忘れられないんだ――――――と。


ロイは曇り無き眼で息子を改めて観る。


太い…………ぽっちゃりだなんて可愛いものじゃない、デブだ。

ルシードというストレスが無くなった事でアルフォンスは激太りしていたのだ。

そして汗が凄い、鼻にツンと来る臭いが執務机を挟んでいても漂って来て、ロイは不快感に顔をしかめた。

隣に並んで立つミレイユは何故かそんな臭いが気にならないらし――――――否、同じような臭いがミレイユからも漂って来ている。

彼女の場合は修道院での生活で毎日風呂になんて入ることが出来なかったこともあり、徐々に体臭に鼻が慣れ、自らが放つすっぱい臭いが感知できなくなっていたのだった。


「アルフォンス、いい加減に現実を見つめるのだ。我が家は中級貴族に格下げとなった、そして以前から常々言っている様に経済的にも余裕が無い。そのだらしない身体を痩せさせるには丁度良い運動になるだろう、ミレイユはもう一度淑女教育からやり直した方がよさそうだ。ヘレンに頼んでおく、しっかりと学び最低限の礼儀は身に着けて置くように……………良いな?」


二人を射殺さんばかりに睨みつけたロイの迫力に、二人はそれ以上何も言えずに只々頷いた。



こうしている間にも、エンルム家とスティレット家の差はどんどんひらいていった。

飛ぶ鳥を落とす勢いのスティレット家、いつ家が取り潰しになるかという賭けの対象となってしまっているエンルム家、もういっその事貴族という地位を捨てた方が楽な生活が出来ただろう。

けれどエンルム家の誰も、そんな事を考えもしなかった。


徐々にエンルム家で働く者達が減って行き、立ち行かなくなるのにそう時間はかからなかった。


そしてロイにとって信じられない話を耳にする。


ルシード・スティレットが中央府の貴族になるらしい――――――。


その噂をしていた者の肩を掴み、ロイが問い詰める様にして顛末を聞いた。

そして悔しさを滲ませながら家に帰ると、椅子に座りがっくりと項垂れた。


「アナタ?どうかしたんですか?」


最近見る事の無かった夫の絶望漂うその姿に、ヘレンは心配になり訊ねた。

ロイは先ほど聞いたばかりのルシードの話を語って聞かせた。


「どうして…………?何故ルシードばかりがそのような幸運に恵まれるの…………?」


この言葉をミューレやオーズ――――――スティレット家に仕える者たちが聞いて居れば、今までの仕打ちに比べればもっと多くても良いくらいだ!!と声を揃えて言いそうなものだったが、この場にそんなものは居なかった。


そして、ルシードの父親にも会っておきたいと大吾とフェリシア、そしてアーサーが訪れた。


その報せを受け、ロイはもしかしたら自分たちにもツキが巡って来たのではないかと夢想したが、無論そんな事は無い。

大吾たちは幼い頃のルシードへの仕打ち、そして何よりルシードを自殺未遂にまで追い込んだ元凶――――――ミレイユが此処に居ると聴いて、エンルム家の挨拶など建前に過ぎなかった。


そして大吾たちが到着して早々、アルフォンスとミレイユがやらかす。


「ルシードなんかを中央府の貴族などにするのならば、アレよりも優秀である僕を取り立てて下さい!!きっと英雄様の傍に居るに相応しい活躍をしてみせます!!」


会うなり突然大吾に向けてそう言い放ったアルフォンスにロイは顔を覆った。


「ほぉ………ルシードねぇ?」


アルフォンスの言葉を大吾が嗤う、嘲り嗤ったその意味をアルフォンスは正しく理解できていない。

笑顔を見せてくれた事から手ごたえを感じてしまったのか、


「そうです!昔からルシードよりも僕の方が優れていたんです!きっとその場に僕が居ればアイツよりももっと活躍していました!!」


大きく突き出た腹を更に突き出して自慢げに語るアルフォンス、その滑稽さにフェリシアはもう笑いをこらえるのに必死だった。


そんな最中、


「アーサー様は未だ婚約者も居られないのですよね!?それならば私なんてどうでしょう!?」


媚を売るような上目遣い、胸を寄せる様にして強調するようなポーズ。

取り入ろうとする気満々だった。

そして中央府の上級貴族の令息に対する物言いとしては不敬罪でその場で処刑されても文句の言えない態度だった。


アーサーは反射的に向かいかけた手を剣から離し、大きく息を吐いた。


「御断りするよ。僕にも選ぶ権利と言うものがあるからね」


穏やかに聴こえる言葉の裏で、アーサーはずっとこめかみ辺りが痙攣していた。

呆気に取っれるロイはミレイユの愚行を止められない、それが更に酷い醜態を晒すとも知らずに……………。


「そう言わず、一度私と二人っきりで話をしましょう?そうすればきっとアーサー様も私の良さに気付いて下さいますわ!」


まるで品の無い娼婦のようなその振る舞いに、フェリシアは見るからに顔を顰めて「下品な………」と呟いた。

幸か不幸かその呟きはアーサー一直線のミレイユの耳には届かなかった。


大吾はルシードから彼らについて話しを聞いていたものの、此処迄とは予想していなかった。

ルシードが話を盛っているだけと考えていた節もある。

けれど実際に会ってみてまだ10分も経たない間の言動に大吾は理解した。


この家はダメだ――――――と。


「ロイ・エンルム殿、このような歓迎を受けるとは思わなかった。今後貴殿らが息災である事を願っておこう」


そう言い残して大吾たちは早々とエンルム家から去って行った。

残されたロイたちは呆然とし、それを見送った。


この日の出来事はすぐさま貴族たちの間で噂となり、


「やっぱエンルム家はヤベー」


そう思わせるのに充分な威力を持っていた。


そして、エンルム家は一気に衰退し、年越しを待たずして取り潰しとなったのだった。

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