何かが始まる予感?

第825話  深く集中

 うむ、昨夜は良く眠る事が出来た。

 疲れが溜まってたんだろうな…色々と…本当に色々と…。

 多分、地球時間で言えば12時間近くは寝てたはずだ。


 前世、地球では毎日せいぜい6時間程度しか眠れてなかった。

 若い頃はもっと眠れていたはずなのだが、離婚した後ぐらいから段々と眠れなくなってきて、病院で眠剤を貰うようになった。

 医者が言うには、過去の自分の行いを悔いたりする事が、精神的にストレスとなっていて、それが不眠に繋がったのではとの事。

 言われてみれば思い浮かぶ事もあったし、色々と後悔していたことも間違いなかったから、その通りなのだろう。

 結局、医者に言われるがままに眠剤を常用する事となってしまった。

 それでも睡眠時間は長くて6時間程度だったのだが…。

 この世界では人々は陽が出る頃には起き出して仕事をし、陽が沈むと家に帰り、床に就く。

 TVで観たどこかの原住民の様な生活だな。

 これは、遅くまで起きている事が、経済的負担となっている為でもある。

 俺の領地や父さんの領地では、街に街灯が設置されていて、夜間も明るい。

 特に温泉スパリゾートでは、深夜まで煌々と照明が点いているのだが、一般的な市民の家や他領では、その様な光景はまずお目にかかる事は出来ない。


 昔、アルテアン領の隣領である町に行った時…えっと、確かあそこの領主はアルビーン男爵だったっけ? の街では、一部の飲食店でのランプの明かりや、兵舎や街門付近で、夜間の警護用に篝火がたかれているぐらいなもんだ。

 その明かりが届かない場所では、夜間は真っ暗だった。

 あの男爵、確か物理的にこの世から消えたんだったっけ? ま、それはいいや。

 一応、男爵が治める街とは言っても、そんなもんだ。

 この世から物理的にバイバイしちゃった馬鹿男爵の屋敷は夜でも煌びやかだったが、あの馬鹿の領地である街は真っ暗だった。

 つまりは、暗闇に乗じて悪だくみする奴らにとっては天国とも言える。

 妖精さんや精霊さんが、あの馬鹿男爵の不正の証拠や金銀財宝を屋敷から全部奪って来させることが出来たのも、この暗がりのおかげでもあるけれど。

 

 おっと話が逸れたな。

 だが、この世界に転生して来た俺は、不眠症など縁遠いのだよ。

 あ、睡眠不足は常々感じてますよ?

 嫁ーずが毎夜のごとく張り切りすぎたりするもんで…。

 んんっ! それはおいといて…何の話だっけ?

 あ、そうそう、昨夜はゆっくり眠れたって事だ!

 起床した俺は、まずは毎朝の日課である鍛錬のため、動きやすい服装に着替えて裏庭に向かう。

 廊下ですれ違うドワーフメイドさんたちと、軽く挨拶を交わして裏口から外に。

 すーはー、すーはー…。

 うむ、静謐かつ清閑な早朝のこの空気、俺は好きだ。

 さて、ではまずは身体を解し、ゆっくりと全身の筋肉や骨格、関節の動きを意識しながら、空手の型をなぞっていこう。

 足運び、呼吸もしっかりと意識し、だんだんと深く型へと没頭していく。

 無断な動きは削り落とされ、型はより一層洗練されてゆく。

 より早く、より正確に、どこに力を入れ、どこで力を抜くのか…それだけを意識して、深く集中する。

 集中すると周囲の物音などが聞こえなくなるとかいう人もいるが、俺の場合は深く集中すればするほど、周囲の小さな気配も感じる事が出来る。 


 …今、イネスが剣を持って屋敷から出て、どうやら素振りをする様だ。

 小鳥が裏庭の木で2羽囀っているな?

 2階の窓辺にはメリルとミレーラが顔を出しているのかな? 

 3階の窓からは母さんとコルネちゃんか…ユリアちゃんはまだ寝てるのか?

 1階の廊下の窓辺にはミルシェとマチルダ、それとユズキかな? ユズカはまだ寝てるようだ…妊婦だから仕方ないか。

 厨房ではドワーフメイドさん達が忙しく動き回っている。

 そんな事すらも手に取る様に感じられる。

 

 ん? ユズカはまあ良いとして、サラとリリアさんは?

 妖精さん達は完全に気配を消せるから感じないのは不自然ではないけれど、あの2人は地下か…? 

 いや、地下からも2人の気配は感じない…だとしたら、あの2人はどこ行ったんだ?


 俺は両足を揃え、拳を両の腰に付け、目を閉じ横隔膜を意識しつつ、ゆっくりと胸に吸い込んだ空気を丹田へと落とす様に呼吸し、そしてそれを今度はゆっくりと吐きだした。

 何度かこの腹式呼吸を繰り返し、体の隅々にまで酸素を送り込み、身体を落ち着かせ、目を開けた。

 隣では、イネスがまだ裂帛の気合で素振り用のデカい剣を振っていたが、俺へと顔を向けると、イネスも剣を収めた。

「トール様、もう朝の鍛錬は終わりですか?」

 イネスがそう語りかけてきたので、俺は小さく頷きながら、

「ああ、今朝はこのぐらいで終わろう。それよりも、ちょっと気になる事がね…」

 俺の言葉に、首を傾げていたイネスだったが、気になる事の内容を言ってないから、そりゃそうだろうな。

 

 さて、それでは俺の気になる事、あの輪廻転生管理局の馬鹿局員2人組がどこ行ったか、きっちり突き止めようではないか。

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