第533話  (正月特別篇)ちょっと未来のある日のお話し

 ぽかぽかと良い陽気の、ある日の出来事だった。

 いつもの様に洗濯物をネス湖に面した裏庭に干していたサラ、リリア、ユズカの3人は、これまたいつもの様に他愛も無い雑談をしながら、せっせと手を動かしていた。


 3人の主人であるアルテアン伯爵は、2度にわたる戦を、いずれも味方の被害ゼロで勝利するという偉業を成し遂げた、水と生命の女神ネスの使徒である。

 遠い昔の大戦において、鬼の様な活躍をして名を馳せた英雄にして、このアルテアンの地を領地として陛下より賜ったヴァルナルの長男であり、当時まだ数十人しか居なかった村を、その類稀な頭脳と発想で創りだした数々の品や商売によって、いまや国内随一の巨大な街にまでした、鬼才英才と名高い、まだ少しあどけなさの残る、若干22歳の青年だ。

 かの青年は妻を5人娶り、夫婦仲は非常に良い…いや良すぎるほどだ。

 3人がせっせと皺を伸ばして干しているのは、主人と妻達の寝間着や下着、そしてシーツなどだが、洗濯前はそれはそれは酷い有様なのだ。

 それも毎日なのだから、まだまだ若い彼女達にはたまった物では無い。

 とは言え、ユズカは結婚して5年目の人妻なので、たまった物では無いが、溜まった物は夜には発散(シャレではない)…ハッスルしているらしいのだが。


 もちろん、その被害に遭っているのは、妻と同じ年齢の23歳の青年、ユズキだ。

 ユズキの高い教養と豊富な知識と明澄な頭脳でもって、アルテアン伯爵の仕事を良く手伝っている。

 本職が執事なので、それも職務の内なのかもしれない。

 伯爵の妻達の内4人は、それぞれが伯爵家や義父であるアルテアン侯爵家が直接経営をしている様々な商売の運営を任され、日々奮闘しているという。

 なので主に領内の政策は、伯爵本人と妻の一人であるマチルダ第4夫人と執事であるユズカで執り行っているといっても過言では無い。

 

 この他にも住人はいる。

 その代表的存在として、ドワーフ族の娘が4人使用人として住み込みで働いている事があげられる。

 種族的な問題で、あまり力仕事が得意でない彼女達の主な仕事は、日々の食事の世話や掃除や諸々の買い物やお手伝いなどと、この屋敷に無くてはならないマスコット的な役割も担っている…かも?

 ここの屋敷の住人の誰もが思う事なのだが、この4人の顔は見分けがつかない程、良く似ている。

 まだこの屋敷にやって来たばかりの頃のある日、何とは無しにユズカがたずねた事があるのだが、どうやら四つ子らしい。

 名前は教えてくれなかった…のだが、名前も知らない者を使用人に雇うとは、青年の肝っ玉のデカさにびっくりしたものである。

 まあ、あまり人の名前を覚えない青年だから、大して気にもしていないのかもしれない。


 ああ、あとはペットも屋敷には居る。

 青い大きな狼のブレンダー。

 戦闘時には、背中から透明で美しい剣を無数に生やして、敵に突撃する頼もしい狼なのだが、今は日向ぼっこをしている。

 次は、幼児ほどもある大きな蜂であるクイーンと、配下の蜂達が済むファクトリーと言われるスズメバチの巣の様な物。

 ファクトリーの中には、数え切れないほどの蜂達が入っていて、クイーンの命令あるまで休眠しているらしい。

 一度戦いの場に出れば、統制のとれた動きでもって勇敢に戦い、そのお尻にある鋭く太く毒のある針で敵を倒すという。

 クイーンはそれらの配下の蜂達へ、状況に応じて正確で的確な指示を出す司令塔であるだけでなく、時には敵に直接あたる事もあるそうだが、今はブレンダーと一緒に昼寝中の最中だ。

 そして、良く分からない存在の、尻尾が二又になった黒猫のノワール。

 どうも青年の言葉の端々からは、ダンジョンの主であるモフリーナと念話が出来る様なのだが、食事をしている所と寝ている所しか見た事が無い。

 ちなみに、アルテアン侯爵の屋敷にも、見分けが付かないほど良く似ている黒猫が居るらしい。


 さて、そんな青年…トールヴァルド・デ・アルテアン家ののんびりした午後、洗濯ものを干しているユズキの耳に、屋敷の中から絹を引き裂くとは言い過ぎだが、女性の悲鳴に似た声が飛び込んで来た。

 いや、悲鳴では無い。どこか嬉し気にも聞こえる女性の声は、更なる女性の声を誘いだした。

 やがて屋敷から聞こえる女性の声は、明らかに何か異変が起きたと思わせるほど大きなものとなり、その時にはサラもリリアもユズカも、仕事など放って屋敷に、声の元へと駆けだしていた。


 3人が駆け込んだのは、トールヴァルド伯爵の執務室。

 そこでは喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない程に、顔をくしゃくしゃにして泣いている伯爵の妻達と子供達が居た。

 はて? 一体、何事が起きたのか?

 少し遅れてやって来たユズキとドワーフメイド衆やペット達と顔を見合わせ考えていると、

「おお、みんな大きな声を出してごめんごめん。実は、イネスが…その…」

 青年が言い難そうにしていたのを見て、集まった女性陣にはピンと来る物があったが、ユズキには分からなかった様で、頭に疑問符を浮かべていた。

「皆、すまない…じつは、旦那様の…その、何だ…えっと…子供を…妊娠したらしいんだ…」

 そうでは無いかと、薄々感じたり思ったりしていた女性陣も、鈍ちんなユズキもペット達もその報を聞いた途端に破顔し、

『おめでとうございます!』

 一斉にイネス様に向かって、祝いの言葉を述べた。

「ああ、ありがとう、ありがとう! 私もやっとだ…良かった…本当に良かった…」

 そう言うや両の眼から止めどなく溢れ出る涙が、彼女の気持ちを物語っていた。

「ああ、本当に良かった。王都のご両親も喜んでくれるだろう」

 トールヴァルド伯爵も、本当に嬉しそうに笑った。

「ええ、本当に。イネスさんも良く頑張りましたわ」

 そう言って柔らかな笑みを浮かべる第一夫人のメリル様は、御年2歳になられるアルテアン家の長男を抱いていた。

「イネスさん、本当に待ち望んでいましたものね…」

 少し涙ぐみながら声を掛けたのは、同じように御年2歳になられる次男を抱いておられるミルシェ様。

「…よがったでずぅ…うっうっう…」

 1歳になられる長女を抱かれた第三夫人のミレーラ様は、もう泣きすぎて声にならない様だ。

「私達の中で一番子煩悩なイネスが、どれほど待ち望んでいたか…ええ、ええ、分かってますとも、分かってますとも…」

 普段はクールビューティーな第四夫人のマチルダ様だが、混乱しているのか何を言っているのか分からない。

 そんな母親の様子なぞ我関せずと、彼女の腕の中では、同じく1歳になられる次女様が、この騒々しい中でもすやすやと眠っていた。

 

 さあ、そんな立っていないで、妊婦さんなのですからと、皆に世話を焼かれてソファーへと座らされたイネスのすぐ横に、ちょこんと腰かけて、あどけない顔で、

「いねすさまは、ぽんぽんいたいいたいなの?」

 と、心配そうな顔で尋ねるのは、まだ3歳になったばかりの幼い少女。

 きっと、屋敷の中で遊んでいたのだろう。

 この騒ぎを聞きつけてやって来た、私の愛娘である。

 つまりは、私ことユズカと、夫ことユズキとの間に出来た、長女である。

「違うのだ…ユズノちゃん…私のここには、赤ちゃんがいるのだ…」

 幼い少女に、自分のお腹を優しく撫でながら説明をするイネス様。

「あかちゃん! おとこのこ? おんなのこ?」

 万歳しながら胎児の性別を訊ねる少女に、困った顔をしながら、

「えっと、まだどっちかわらないそうなのだが…ユズノちゃんは、どっちがいいのだ?」

 真面目に答えるところは、やはり生真面目なイネス様だからと言うか…

「ん~~~? ゆずの、どっちでもいいよ! おねえちゃんだから、いっしょうけんめいおせわするね!」

 年の割に、しっかりとした自分なりの答えを返す可愛らしい愛娘に、私とユズキはそっと近づき、優しく頭を撫ぜたのであった。


 グーダイド王国の南西の端っこ。

 海に面したこの小さな領地にある美しい湖の畔。

 観光名所にもなりそうな、これまた美しい尖塔を持つお屋敷。

 2度の戦を勝利に導いた青年とその妻達、そして使用人やペットが住むこの屋敷の、とある日の出来事であった。

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