第8話

 ――黒い影が追いかけてくる。


 俺にはそう思えて仕方がなかった。

 せっかくのプチ家出だったけれど、その恐怖のほうが勝り、家に着いても母親に黒いモノが追いかけてくる、と泣き叫んでしまっていた。

 その様があまりにも異様だったのか、母親は心配そうに玄関の覗き窓から外を伺った。だけど母親には何も見えなかったらしく、泣いてボロボロになっている俺の顔を、さも、薄気味悪いモノのように見下ろしただけで、さっさと家の奥へと入っていってしまった。


 だけど、その時の俺には、あの影が近くまで来ているってことだけはわかっていた。

 家の中には入って来れないけれど、絶対、近くに潜んでいると。

 何度もそう叫んでも、母親はもう、俺の方を見向きもしなかった。

 

 それ以来、俺は夕方、それも逢魔が時と言われる時間帯に、人気のない所を避けるようになった。

 公園は当然のこと、学校でもそうだった。

 放課後、小学校や中学校の友達との遊ぶ時間も、日が暮れる前には家に帰った。そして高校になってからは、部活もせずにまっすぐに家に帰っていたし、バイトを始めてからは、帰る頃には当然夜も遅い時間になっていて、むしろ夜になってからのほうが怖くなかった。


 今でも、確かに小さい黒い影を『見る』ことがある。

 それらは、大概、ただモヤモヤと浮いているだけで、俺には何の害もなさなかった。小さいモノであれば、手を振り払えば簡単に霧散することを、小学校の高学年の頃に行った宿泊学習の時に知った。

 偶然、同じグループにいた女子の肩の辺りにいた黒い影を、大きな虫か何かと勘違いして振り払ったのだ。その時の散り具合が、パーッとタンポポの綿毛のように飛んでいくのを見て、虫ではなかったことに気が付いたのだ。


 ――しかし。あの逢魔が時に出会ったアレは違う。


 俺が振り払えるような黒いモヤモヤのとは別のモノだと、今ならわかる。アレには触れることなど出来ない。そもそも、近くに寄りたいとも思わない。

 アレからは逃げるしかない。


 だから、そもそも出会わないように、逢魔が時には出歩かないことに限る。


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