第五十七話 体験航海 7
艦上で待機していた隊員達が、ヘリを甲板に固定する作業にとりかかる。しばらくして、哨戒ヘリのエンジンが完全に止まった。普段のみむろには哨戒ヘリは搭載されていないが、格納スペースや固定するための装備は、万が一の時のために配備されているのだ。
「ヘリ固定が完了後、哨戒ヘリの任務の説明を聞いていただいてから、哨戒ヘリがどのように護衛艦上で固定されているか、見ていただきます。本来は離着陸だけして基地に戻る予定でしたが、どうやらその予定も変更になったようですね。ただ、中は見てもらえませんので、ご了承ください」
しばらくして固定作業が完了した。ヘリの中にした隊員達が外に出て、固定作業をしていた隊員達と言葉をかわし、見学者達の前にやってきた。
「護衛艦だけでなく、航空隊の紹介もできて良かったですね」
説明を担当している隊員が彼等を紹介し、任務の説明を始める。それを一番後ろで聞きながら、横に立った三佐に声をかけた。
「
「その借り、返す当てはあるんですか?」
「返せと言われる前に、俺達幹部は異動でトンズラだ。返済はお前達に任せる」
三佐は人の悪い笑みを浮かべる。
「うわー……」
「まじめな話、護衛艦の戦闘指揮所の見学より、哨戒ヘリが飛んできてパイロットと話す方が、イベント的には盛り上がるだろ」
「そうですかねえ。俺は戦闘指揮所の見学、楽しみにしていましたけど」
この中で戦闘指揮所に入ったことがあるのは、三佐と
「お前達にはそのうち見学させてやるから、楽しみにしておけ」
「ありがとうございます。ですが気の毒ですよね、今回の見学者。きっと楽しみにしていた人も多かったろうに」
「ま、連帯責任ってやつだな。なにが原因か、彼等が知ることはないが」
「カメラの人、あやしい人ではないんですよね?」
あやしい人とは、たとえばスパイみたいな存在だ。
「それはないと思う。参加規模者の抽選後、ある程度は調べたらしいからな。身元だけで言うなら白だ」
「いつの間にそんなことを」
「昼飯の時間は、飯を食ってるだけじゃないんだぞ、
つまりその時間も、三佐や艦長達は仕事をしていたということらしい。
「すみません。飯を食ってるだけでした」
「まあこれも幹部の仕事のうちさ」
「副長、ヘリ周りの見学を開始します!」
説明をしていた隊員が三佐に声をかける。三佐は手をあげて応じると、見学者達は飛行隊の隊員に移動した。
「行かないんですか?」
「行くさ。だが今日は朝からずっとしゃべりっぱなしなんだ。ヘリのことぐらい、あっちに任せても良いだろ」
「また借りが大きくなるような気が」
「返済は頼むぞ、波多野海士長」
三佐がニタニタしている。
「こんなんばっかな気が……」
「三曹としてみむろに戻ってきたら、返してやってくれよな?」
「まーた、そんな無茶を……え?」
「なんだ」
俺達の様子にまゆをひそめる。
「俺達、三曹になれるんですか?!」
「当たり前だろ。教育訓練をなんだと思ってるんだ。俺達はちゃんと、お前達が海曹予定者課程を修了できる程度の教育はしたぞ?」
「それどころか、途中で落第だって言われるんじゃないかって、ビクビクしていたんです」
比良がボソッと言った。まあ比良の気持ちはわからなくもない。ずいぶんマシになったとは言え、いまだに船酔いは、こいつの中では大きな爆弾なのだから。
「心残りなのは、お前達が立派な三等海曹になったところを、ゆっくりと
ほぼ勤務先が固定されている俺達と違って、幹部達は艦艇勤務と陸上勤務を交互に繰り返しながら、全国の海自基地を異動していく。極端な話、三佐が異動した後、次に俺達が会えるのは、互いに退官してからになる可能性もあるのだ。
『副長さん転勤なんですかー?』
『猫ちゃんはー?』
『猫ちゃんと遊べなくなるのイヤだー!』
転属の話を耳にした候補生達が騒ぎ出す。
『副長さんちの猫ちゃんと、もっと遊びたいです!』
『煮干しも食べたい!』
『ミルクとカリカリもー!』
「餌づけしてるの俺だけじゃないじゃん……」
「なんだ?」
「え? いや、ほら、いま……」
だが三佐の表情はいつもと変わらない。猫神候補生達がこんなに騒いでいるのに、まったく変わらない。
―― 見えてないはずはないんだけどな、副長…… ――
気配を感じる比良はともかく、
「さて、そろそろ行くか。助けを求めているみたいだしな」
三佐はヘリの周囲にいる集団に目を向けると、そのまま歩いていった。その先では、見学者達に説明をしていた隊員が、チラチラとこちらを見ている。あの表情からして、そろそろ話すことがなくなったらしい。
「なんだかんだ言いながら、副長って広報向きだよな」
「言えてますね。けっこう話上手ですし」
「関西人とは違うしゃべりだよな?」
「そういう話の上手さじゃなくてだなあ……」
俺達も三佐の後に続く。
「あ」
一番後ろを歩く比良が声をあげた。
「どうした?」
「いや、ちょっと波多野さん、お話が」
「んー?」
河内と宗田に先に行ってもらい、その場で立ち止まる。
「どうしたんだよ。まさか船酔いとか言わないよな? いまは停泊中だぞ?」
「船酔いじゃないですよ。そうじゃなくて」
比良は俺の頭を指でさした。
「なんだよ? 帽子がどうしたんだよ」
「帽子じゃなくて、しっぽが見えます」
「……しっぽ?」
「茶色いしっぽと、灰色のしっぽ。それからー……黒っぽいしっぽ。察するところ、チャトラとサバトラと白黒ブチですかね」
俺の視界の上でヒラヒラと揺れている、三本のしっぽ。比良が指摘した通りの色だ。
『比良さんあたりー! 茶色いの僕のしっぽです!』
『灰色のは僕のしっぽ! 猫大佐と同じです!』
『黒いのは僕のですー!!』
自分達のしっぽが比良に見えていることを喜んだ候補生達は、しっぽをばたつかせた。そのせいでそれぞれの毛が飛び散り、鼻がむずむずし始める。
「比良、すごいな。それは間違いなく、こいつら候補生達のしっぽだ。この調子で行くと、そろそろちゃんと見えるようになって、話せるようになるんじゃ?」
「ほんとですか? うわー、うれしいな!」
「見えるってことは、もう触れるんじゃね?」
少なくとも俺は、見えるのと触れるのとは同時だった。
「どうでしょう。猫って不用意にしっぽを触ると、けっこう怒る子が多いんですよ」
『だいじょうぶー!』
『比良さんなら平気ですー!』
『やさしくどうぞー!』
「大丈夫だとさ。ただし優しくな」
「そうなんですか? じゃあ、遠慮なく試してみますね」
比良は恐る恐る、候補生達のしっぽに手を伸ばす。比良の指がしっぽをつかんだ。とたんにその顔が、へにゃっとなる。
「うわー、ふわふわだー!」
『比良さん、さわったー!』
『比良さん、さわれたー!』
『比良さん、やったー!』
「おお、やっぱり。あと一歩だな」
「感激です! あこがれの艦内猫ライフまで、あともう少しですね!」
感激した比良が両手をあげた。
「わー、まて、比良! 気持ちはわかるが、ここで俺に抱きつくな! 絶対に変な噂が立つから!!」
次の動きを察して、慌てて比良の動きを制止する。
「あ、すみません! あまりにうれしくて我を忘れました」
「まったく。ほら、早くいかないと副長にどやされる」
まあ、副長も比良がなんではしゃいでいるのか、わかってるだろうけどな。
「だけど比良、猫神が見えるのは艦内でも俺達だけらしいから、あまり騒がないようにな?」
「わかってます。でも艦内で猫ライフ、波多野さん以外と分かち合えないなんて、本当に残念だになー。あ、そのうち猫神様とお世話係さんとも、話ができるようになりますかね」
「だと思うぞ?」
実際、比良は
「ま、見えないヤツのほうが圧倒的に多いから、たとえ見えたとしても厳重に注意な?」
「了解です」
とたんに鼻のムズムズが本格化してきた。そして大きなクシャミが一発でた。
「見えるようになるのは良いんだけど、毛の存在までが影響してくるってのが、問題なんだよなあ……」
「換毛期には、念入りにブラッシングをしないといけませんね」
「かん?なんだって?」
聞き慣れない言葉に首をかしげる。
「
「それはお世話係の、相波大尉の仕事だな」
「そうなんですか。俺もそれ、したいですけどねー……」
「お世話係の仕事をとったらダメだろ」
「そっかー……しかたがないなあ、じゃあそこはあきらめます」
頭の上で喜んでいる候補生達と一緒に、俺達は哨戒ヘリの説明をうけている見学者のもとへと急いだ。
+++
「では皆さん、航空基地も毎週末は一般開放をしていますので、見学にきてください!」
哨戒ヘリが離陸してみむろを離れた後、残った航空基地の隊員は、来た時と同じように
「体験飛行があれば良いんですけどね。こちらでも広報や総監部に、働きかけてみますね。では!」
彼等がいっせいに敬礼をする。三佐と俺達は敬礼を、そして見学者達は手を振りながら、離れていく
「さて、いよいよ今日の体験航海も、終わりが近づいてきましたね。みむろは
そこで三佐は一度、言葉をきった。そして少しだけ真面目な表情をする。
「この時間は、このあたりも民間船舶の往来も多く、我々もかなり気をつかう航路です。ですので、見学中はむやみに歩き回らないように、お願いします。特に
三佐は注意事項を見学者達に伝えると、彼等を引き連れて艦橋へ上がる階段へと向かう。もちろん最初と同じで、俺と比良が最後尾をつとめることとなった。
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