第四十七話 やっぱり護符体質?

「なんだかなあ……」

「なんでしょう」


 その日の深夜、一緒に艦橋にあがっていた砲雷科の先輩が、双眼鏡で下をのぞきながらつぶやいた。


「数が減ってくれるのは良いんだけど、ちょっとアレはなあ……」


 アレとは、クラゲ幽霊もどきが岸壁から海へと消えていく状況のことだ。整然と行列を作り、お行儀よく海へと戻っていく?というか避難している?というか。とにかく不思議な光景だ。


「なんつーかなあ……」

「俺としては、ここからいなくなってくれるんなら、どんな状態で消えてくれてもかまわないんですけどねー」


 ひたすら海へと消えていくお陰で、おかでウロウロしているヤツの数はかなり減っていた。このペースでいけば、明日の朝にはいなくなっているんじゃないか?と、密かに期待している。


「いやあ、アレはダメだろ。あんな状態で海に入っていかれたら、本当に消えたかどうかわからないじゃないか。もしかしたらまた、ここに戻ってくるかもしれないだろ?」

「そういう怖いことは言わないでくださいよ、先輩」


 実のところ俺もそこは心配していた。猫大佐は、お盆が関係しているようなことを言っていたのだ。ということは、来年の今頃にまた戻ってくる可能性もなくはない。


「その口ぶりからして、お前だってその可能性を考えてるんじゃないか、波多野はたの

「だから、口にしないでくださいよ、考えたくないんだから」


 甲板では俺達と同じように見張りに立っている隊員がいて、連中もクラゲ幽霊を気にしている様子がここからでもわかった。そして船首部分には大佐と相波あいば大尉がいて、隊員達と同じように、海に戻っていくクラゲ幽霊達を見ている。もちろん連中は、大佐と大尉には気がついていない。


―― 皆、どうしてクラゲ幽霊もどきが見えて、大佐と大尉が見えないんだよ。おかしいだろ…… ――


 視線を艦長席に向ければ、そこでは丸くなって寝ている猫神候補生三匹の姿。クラゲ幽霊もどきが見えている先輩も、候補生達のことは気配すら感じないらしい。


―― 本当によくわからないよな。他の護衛艦でも同じなのかな…… ――


 今のところ、比良ひら以外でこの基地に所属している護衛艦の乗員から、猫神やお世話係を見たなんて話は一度も聞いたことがない。もちろん俺のように、他の連中に話していないだけかもしれないが。


―― 幹部だけが見えているわけじゃ、なさそうなんだけどな…… ――


 現に俺が見えているわけだし、黒いボールや幽霊も艦内でそれなりの目撃者がいる。そして今回のクラゲ幽霊に関しては、停泊している他の護衛艦の乗員、ほぼ全員だ。どうして猫神とお世話係の姿だけが見えないのか、まったくもって不思議だった。


「まあとにかく、艦内に入ってこないだけまマシっすよ」

「そりゃそうだ。あんなのに艦内でウロウロされちゃ、落ち着いて訓練もできやしない」

「ですよねー……」


 とにかく明日の朝までには、きれいサッパリいなくなっていることを祈っておこう。



+++++



「おはよう、波多野。昨晩は何事もなかったか?」


 そして早朝、見張りの時間が終わり甲板に出て軽く体操をしていると、山部やまべ一尉が桟橋さんばしを渡ってやってきた。


「おはようございます、航海長。今朝はやけに早いですね。なにかあるんですか?」


 腕時計を見る。普段なら、よほどのことがない限り出てこない時間だ。もしかして突発的な出港でもあるんだろうか?


「ん? 特になにもないんだがな。副長からクラゲ幽霊が今朝もいるか、ちゃんと見てこいって言われてさ」

「まさかの偵察ですか」


 舷門当番げんもんとうばんをしていた先輩に敬礼をした一尉は、俺の横に立って肩をすくめる。


「そうなんだよ。副長、昨日の夕方にはこっちに戻ってきててな。自分で見にこりゃ良いのに、休暇は今日までだからとかなんとか言ってだなあ」


 まったく融通がきかないよなと、ぼやいた。


「偵察任務、ご苦労様です。ですが見ての通りですよ。まったくいません」


 昨日までならこの時間でも、クラゲ幽霊はうっすらとだが見えていた。だが今はきれいさっぱり消えている。動いているのは、そろそろ朝だと活動を始めたスズメばかりだ。


「マジかー……こりゃまた、副長、ガッカリだな」


 岸壁を見渡しながら一尉は笑った。実は俺も見て驚いたクチなのだ。まさか本当に、一匹残らず消えているとは思わなかった。


「副長、昨日こっちに戻ったんですか」

「ああ。俺にみやげを渡しがてら、偵察のご命令さ」

「みやげ」


 その言葉にピンとくるものがあったのか、一尉は俺の顔を見てニヤッと笑う。


「おい、自分達にもよこせなんて言うなよ? ここの乗員は何人いると思ってるんだ?」

「別にそんなこと、言ってないじゃないですか。ただ、うちの幹部は仲が良くてけっこうなことだなと、思っただけです」

「そりゃそうだろ。俺達が険悪だと、ふねの運航に支障をきたすからな」


 いきなり俺達の後ろで笛が鳴った。艦長乗艦の合図だ。振り返ると、艦長が桟橋さんばしの階段を上がってくるところだった。


「おはよう」


 艦長の声にその場にいた三人が姿勢を正す。


「おはようございます!」

「おはようございます、艦長。今朝はずいぶんとお早いですね」


 一尉が俺が言ったのと同じ言葉を繰り返した。


「んー? いやあ、気になってな。藤原ふじわらが昨日の夕方に戻ってきただろ? それもあって、クラゲ君達がまだいるかなと早めに出てきたんだ」

「まさか艦長まで」


 甲板に立ち、岸壁を見渡しながら呑気に笑っている艦長の様子に、少しばかりあきれてしまった。


「もうすでにお分かりだと思いますが、クラゲ幽霊の姿はまったく見えません」

「そのようだな。藤原はまた見損ねたか」

「副長が幽霊を見ることは、この先もないように思えますけどね」


 艦長が一尉と並んで立つ。


「これは偶然か?」

「どうなんでしょう。副長の護符体質って噂は、案外と事実なのかもしれません」

「それでも、ハワイに行く途中の時のような騒動はあるからな」

「副長がいても出てくる連中は、そうとう厄介な存在ということですかね。外洋に出る時は、艦内神社にしっかり拝んでおきませんと」

「まったくだ」


 幽霊やその手の存在が当然のような口ぶりだ。まあ猫大佐や相波大尉のこともあるし、これまでの体験からして存在を否定するつもりはないんだが、ここまで日常的な会話で話しをされると逆に驚く。そしてそれが、実に海自らしいとも思えてしまうのだ。


「あの、なんで副長は、この手の存在に遭遇しないんですかね? 自分としてはうらやましい限りなんですが」


 後ろから遠慮がちに二人に声をかけた。俺の問いかけに、一尉はあごに手をやって首をかしげる。


「さて。艦長は副長からなにか聞いていらっしゃいますか?」

「ん? いや、特にそういうことはなにも。ただ嫁さんが、航海安全をいつもご先祖様に拝んでいるとは、聞いたことがあるな。……まさかそれが理由か?」

「それが理由なら、副長のご先祖様がヤバい存在なのでは?」


 一尉の指摘に艦長がうなづいた。


「その可能性もなくはないか」

「そんなヤバいご先祖様もちには見えませんがね」

「あの、副長自身がヤバいという可能性は?」


 俺がそう言うと二人は顔を見合わせる。そして二人はほぼ同時に首を横に振った。


「それはないな」

「ないない、まったくない」

「えええ」


 しかも断定口調だ。


「だってあの副長だぞ? どこから見ても菩薩ぼさつ系じゃないか。とてもヤバい人間には見えない。ですよね艦長?」

「ああ。藤原ほど菩薩ぼさつという表現が似合う人間もいないな」

「あの、それってほめてるんですか?」

「もちろん」

「そのつもりだ」


 いやまあ、比良に対する気遣いから見ても、副長が菩薩ぼさつなみに慈悲深いのは間違いないんだが……。


「でも、その菩薩ぼさつ系副長のご先祖様がヤバいってのも考えられませんね。残る可能性としては、副長の奥さん本人がヤバいか、奥さんのご先祖様がヤバいですかね」

「山部、それはちょっと失礼じゃないか?」


 一尉のとんでもない指摘に、艦長が苦笑いをした。


「可能性を指摘しているだけです。別に、そうだと決めてかかっているわけではありませんから」


 だがそこで俺は思い出す。


―― そう言えば大佐、前に副長の奥さんとお子さんには、猫がいているようなことを言ってたよな。まさか副長一家、猫神の親戚みたいなのがいてるのか? 犬神きならぬ猫神き? ――


 昨日の晩のように、猫達がわらわらと副長にいているのか?と想像したら、なんとも言えない微妙な気分になった。


「そもそも、猫好きにヤバい人間はいないからな、山部?」

「あー……艦長の奥様と副長の奥さんは猫友でしたっけ?」


 そんなことを考えている俺の前で、艦長と航海長は呑気に笑い合っている。


―― 大佐も本人に聞けと言っていたことだし、そのうち聞いてみるかな、猫神き疑惑 ――


 呑気にリアル猫談義を始めた艦長と航海長を残し、俺は艦内へと戻った。そして部屋に行く前に、艦内神社の神棚のもとへと向かう。


「おはようございます。昨夜も何事もなく無事に勤務時間が終わりました。クラゲ幽霊も残らず消えました。いつもありがとうございます。今日も一日よろしくおねがいします」


 実際のところ、艦内神社の神様と副長、どっちがクラゲ幽霊を追い払ったんだろうな?なんて考えながら、かしわ手を打ち、念入りに拝んだ。

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