第四十二話 ゴロー二曹、ほえる
艦橋にあがると、窓辺で猫大佐が昼寝をしていた。へそ天状態のそのかっこうは、どこから見てもオッサンだ。
―― 神様としての、威厳もなにもあったもんじゃないよなあ…… ――
しかし、見えているであろう艦長や航海長達は、よく気にならないなと感心する。幹部にとって
―― 慣れって怖い ――
俺は当分、慣れられそうにない。
「おう、清掃は終わったのか?」
「はい。終了しました」
「しかし今日は暑いなあ。もう梅雨明けか?」
副長用と書かれたうちわを手に、扇風機の前に立った一尉がぼやく。
「どうなんでしょう。天気予報では、まだ一週間ぐらいは雨降りが続くだろうって、言ってましたけどね」
「最近は、気がついたら明けていたって感じだからなあ。よし、エアコンつけるぞ。うちわと扇風機だけでは我慢ならん。寒いヤツはジャンパーを着ろ」
一尉の言葉に、その場にいた全員が歓声をあげる。風が通りにくい停泊中は、計器類のこともあるので早めにエアコンをつけるのが常だった。しばらくして、艦橋内が心地よい涼しさになる。猫大佐はエアコンの風が当たるのが気に入らなかったのか、艦長席に移動して丸くなっていた。
「そういえば
航海図をデスクにひろげ、これまでの航海訓練での航路を確認していると、一尉が俺を呼んだ。
「なんでしょう?」
「お前が掃除の時に話していたレインボーかき氷だけどな」
「え、そんなところから話を聞いていたんですか?」
すでにそこから艦長達に話を聞かれていたと知って、心の中でかなりびびる。
「停泊中で静かだったんだ、あれだけ騒いでたら聞こえるだろ」
「そりゃまあ、今日はエンジンとまってて静かですけどね……」
そこまで騒いでいたつもりはないんだが。とにかく評価に響かないことを祈るばかりだ。
「それでレインボーの件だが、みむろのオッカサンのところで、期間限定メニューに加わるらしいぞ?」
「マジっすか!!」
「みむろのオッカサン」とは、俺が入隊するきっかけとなった「みむろカレー」を提供している喫茶店の奥さんのことだ。つまり徒歩圏内、普段の休みに行ける場所!
「なんでも娘さんが帰省していてな。期間限定だが、あっちで食べたのを再現してくれるそうだ」
「あれ、テレビで見て気になっていたんですよ。さっそく
「気が早いぞ、お前。まだ提供することが決まったぞって話だ」
一尉が笑った。
「こっちでは提供している店がないから、半分あきらめてたんですよ。あそこなら普段の休みに行けるじゃないですか。いつから食べられるようになるんですかね? あ、サマーフェスタで提供とかないですかねー」
「さすがにサマーフェスタは、カレーだけで手一杯だろ。当日、どれだけの人数が来ると思ってるだ」
空自の航空祭ほどではないが、ここの地方隊のサマーフェスタも地域のイベントとして定着しているせいもあり、毎年かなりの来場者がある。名物の海自カレーも、昼すぎには出店店舗すべてが完売になってしまうぐらいだ。そしてもちろん、みむろカレーも出店することになっている。
「とにかく、どんなレインボーになるのか楽しみです!」
口コミで広がってしまう前に、なんとしてでも食べに行かねば!
+++++
「お疲れ様っす」
「おう、お疲れ。気をつけて帰れよ~」
「うぃーす」
勤務時間が終わり、
「飯、なににしようかなあ……」
そんなことを考えながら、ゲートへと向かう。なにをするにしても、今の白い夏の制服ではどこへ立ち寄るのも危険だ。まずは自宅に戻り、着替えてからどうするか考えよう。
「あ、
ゲートに向かっている途中、ゴローをつれた壬生三曹が歩いてたので声をかけた。俺の声に三曹は立ち止まったが、ゴローのほうはそれよりも先に気づいていたらしく、尻尾を激しく振っている。この地方隊には何頭か警備犬がいるが、それなりに関わりがあるせいか、俺にはゴローが一番かわいく見えた。
「ああ、
「はい。これから帰宅して飯食って寝ます」
「だって、ゴロー。波多野さんはお仕事が終わったばかりなんだから、遊べないんだよ?」
三曹の横で、尻尾を降っていたゴローの顔つきがシュンとなる。
「ごめんなー、ゴロー。今日はさすがに走り回るの無理だ」
『クーン……』
―― ううう、本当にゴローはかわいいよな。うちの大佐とはえらい違いだよ……ちょっとぐらい相手をしてやろうかな…… ――
しょんぼりした表情にほだされそうになった。だがその点は、壬生三曹のほうが厳しかった。
「ダメだよ、ゴロー。私達は今、パトロール中なんだからね。遊べるのはパトロール以外の時だって言ったよね?」
「ああ、そうか。今日は訓練ではなく、業務時間中なんですね、海曹もゴローも」
「そうなんですよ。なので、遊ぶのはまたあらためて」
「了解です」
ハンドラーである壬生三曹の言葉は絶対だ。ここで俺が勝手にゴローを相手にしてしまうと、ゴローと三曹の間にある信頼関係が崩れてしまう。かわいそうだが、今日はがまんだ。
「あ、そうだ。今年のサマーフェスタ、ゴローも皆さんに、仕事ぶりを見てもらうことになりそうなんです」
ゲートに向かって二人と一頭で歩いていると、三曹が突然、口を開いた。
「え、そうなんですか?」
「はい」
サマーフェスタの当日、基地では様々なイベントが行われる。航空基地では機体の展示や飛行展示、護衛艦上では
「おお。いよいよ、ゴローも展示デビュー」
「はい。ゴローがデビューってことは、私もデビューなんですけどね……もう今から緊張しちゃって」
「あ、そうか。ハンドラーと警備犬はペアですもんね。俺、あいてる時間が訓練展示とかさなるようなら、見に行きますよ、壬生海曹とゴローの展示」
俺がそう言うと、三曹がとんでもないと首をブンブンと横に振る。
「やめてくださいよー、知ってる人に見られたら緊張しちゃうじゃないですか!」
「見えないようにこっそり行きますから。あ、でもゴローに見つかっちゃうかな」
「ああ、それは言えてます! ゴローの集中力がそれたら大変です! だから波多野さんは、別の警備犬の時に見に来てください!」
「えー……」
あまりにハッキリと言われてしまい、ちょっとショックだ。俺だって、ゴローが頑張っているところが見たいのに。
『ウーーッ』
それまでおとなしくしていたゴローが急に立ち止まり、いきなりうなり声をあげた。俺と三曹は驚いて、周囲を見渡す。だが基地に面した道路を車が走っているぐらいで、不審な人物は見えない。
「ゴロー、どうした?」
『ウウウーッ』
三曹はゴローの横に膝をつき、注意深く周囲を見渡す。ゴローの目は俺の背後に向けられていた。だが俺の後ろは
「トンビかカラスでも飛んできたのかな」
たまにトンビが、隊員が売店で買ったパンをかっさらっていくことがあった。もしかしたら、そんな不届きなトンビが飛んでいたのかもしれない。
「それにしてはうなり方が普通じゃないですね。なんだろう」
注意深く周囲を見渡しながら、無線機に手をのばす三曹。
『ワンワンワンワンッ』
ゴローが思いっ切り吠えた。その声の大きさに、門に立っていた隊員や
「おいおい、ゴロー。もしかして、俺を不審人物認定したのか?」
「そんなことありませんよ。ゴローは波多野さんの顔とにおい、ちゃんと覚えてますからね」
ひとしきり吠えたゴローは、急に吠えるのをやめ、俺の顔を見あげて尻尾を振り始める。気のせいか得意げな顔をしていた。この顔つき、一体どういう意味なんだ?
「……おい、なんで吠えたんだ、お前。しかもその顔、どういう意味なんだよ」
「すみません、波多野さん。もしかしたら私の教育が行き届いていないのかも」
三曹が申し訳なさそうな顔をした。
「いやいや、壬生海曹のせいじゃないですよ。この顔、ほめてほしそうに見えるし。俺達が気づかなかっただけで、弁当狙いの不届きトンビが迫っていたのかも」
もちろん、狙われるような食い物はなにも持っていないが。
「上に報告はあげておきますね。もしかしたら後日、波多野さんに事情を話してもらうかもしれません」
「問題ないですよ。その時は遠慮なくどうぞ」
「じゃあ、お疲れ様でした。気をつけて帰ってくださいね」
「そちらもパトロール、お気をつけて。じゃあな、ゴロー。あまりはしゃぎすぎて、壬生海曹を困らせるなよ?」
一度だけ頭をなでると、俺はゲートから外に出た。
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