第二十五話 横須賀 2
「
「おう。いま終わった」
勤務時間が終わり、着替えたところで
「比良って、陸地に戻るとなるとめちゃくちゃ元気だよな。さっきまで寝たいって言ってなかったっけ?」
「眠いのは変わらないですけど、せっかくの上陸許可ですし」
「俺、外に出ずに寝たい……」
比良に誘われて着替えはしたものの、実はこのままベッドにダイブしたいという気持ちも強かった。もちろん、せまい部屋でそんなことをしたら、とんでもない大事故になるから比ゆ的な意味でだ。
「出かけなかったらもったいないですよ。せっかくもらえた自由時間じゃないですか」
「でもなあ……」
「ほら、波多野さんがいつもやってるオンラインゲームを、ネットカフェでするって選択肢もありますよ?」
「てかさ、自由時間なのにわざわざネットカフェに行くって、めちゃくちゃ悲しくないか?」
たしかに、ゲームの続きをしたいという気持ちもあった。だが今は、誰にも邪魔されずに爆睡したいという気持ちのほうが、圧倒的に強い。
「ここで外出せずに寝ちゃったら、あとで後悔すると思うんだけどなあ。
「あ、それで思い出した。比良、船酔い用の炭酸水もちゃんと補給したのか?」
「あれは自腹なんですよ。なので今日、出た先で買うつもりです。持ち込みの許可は、きちんと艦長からもらってます」
艦長と副長の配慮で持ち込みを許可されてはいるものの、さすがに補給品の中には含めてもらえなかったらしい。
「長い航海だから、何ケースって単位だよな?」
「一日1本換算で持ち込み数を決めてあるので、まあ、少なくとも三十本ですかね」
今回の航海はかなりの長期間だ。更新試験のできによっては、それだけでは足りなくなるかもしれない。
「一人で持つには重たすぎだよな、それ。俺、特に用事ないから、荷物持ちとして一緒に買い出しに付き合うよ」
「ありがとうございます。手伝ってもらえるかもしれないって、ちょっと期待してたんです」
比良が
「比良海士長、波多野海士長、上陸許可が出ましたので、下艦します!」
「おう、気をつけて。日付が変わるまでには戻ってこいよ。それと飲みすぎには注意な」
「了解しました。行ってきます!」
桟橋を渡ったところで、Tシャツとジャージのズボンをはいたオッサンが一人、岸壁をウロウロしているのが目についた。今日は平日、ここには一般の見学者は入ることはできない。ということは、関係者ということだろうか。
―― だけどなんでTシャツとジャージ? そんなのを着るほど、若くは見えないけどな ――
基地で訓練をしていたころは、あいている時間のほとんどを、オッサンが着ているような服装ですごした。ということは、オッサンは海自の訓練生なんだろうか? にしては、年がいきすぎているような気がしないでもない。いや、間違いなくいきすぎている。どう若く見積もっても、入隊する年齢より退官する年齢のほうが近い。
「この
オッサンは俺と比良に目を止めると、ニコニコしながら話しかけてきた。
「はい。まだ教育訓練中の身ですが」
「自分も同じです」
Tシャツ姿の正体不明なオッサンでも、ここでは丁寧な受け答えを心がける。誰がどこで見ているかわからないし、このオッサンだって、ここにいるということは、間違いなく海自関係者なのだから。
―― でも、どこかで見たことある顔だよな…… ――
敬礼をしながら、そんなことを考える。
「
ニコニコしながら、そのオッサンはみむろを見あげた。
「艦長とお知り合いなんですか?」
「んん? んー、そうだね、彼が幹部校を出たてのころに、乗り合わせたことがあるかな」
「かなり昔ですね」
俺の言葉に、オッサンはみむろを見上げながら、懐かしそうな顔をする。
「そうだね。もう二十年は経っているかな」
「あああ!!」
いきなり比良が、俺の耳元で大きな声をあげた。
「比良、声がでかい」
「
「は?」
比良は慌てた様子で姿勢をただす。
「波多野さん、こちらは
「えええ?! 在原海将?!」
比良にならい姿勢を正した。だが時すでに遅し、な気がしないでもない。
「あ、バレてしまったか。こんなかっこうだし、そのへんのオッサンと勘違いしたままでいてくれるかなって、期待していたんだが」
「うわーーーーー、本当に失礼しました!! 申し訳ありません!!」
最敬礼をした俺達を前に、オッサン、ではなく在原海将が笑った。
「いやいや、こんな服装だから、絶対にわからないと思ってたんだけど、意外と私も有名人かな?」
「統合幕僚監部のサイトで拝見したばかりでした!」
比良がかしこまった口調でそう返事をした。ああ、それだ、と俺も
「だけど、制服を着てないからパッと見、わからなかったろう? どこから見ても、正体不明なあやしいオッサンだし」
「あ、いえ、その……」
まさにそのとおりだったので目が泳ぐ。
「秘書官にも言われたんだ。こんなかっこうでうろついていたら、警備担当の隊員に、問答無用でつまみ出されるって」
「あー……あ、失礼しました!」
たしかにと納得しかけて、あわてて口をつぐんだ。
「もちろん、好きでこのかっこうをしているわけじゃないんだよ。コーヒーをこぼしてしまってね。クリーニングをしてもらっている間、これを着てくれって渡されたんだ。いやあ、懐かしいね。これを着たのは、それこそ何十年ぶりって話さ」
統幕長がどうしてそんなかっこうをしているのか?の謎はとけた。
「あの、大友艦長でしたら、艦隊司令部に出頭されました。艦長に用がおありなら……」
比良の言葉に、海将は首を横にふる。
「いやいや、大友君に会いにきたわけじゃないんだ。もうちょっと古い友人に会いに来たんだよ」
「艦長より古い? ……先任伍長の
「いや。ああ、来た来た」
海将が視線を向けた方向を見ると、なんと、猫大佐が艦をおりて、こちらにやってくるところだった。
「あ、猫大佐」
「え? 猫神様ですか?」
「ああ。艦からはおりることができないようなことを言ってたけど、そんなことなかったんだ」
猫大佐は海将の前までくると、ニャーンと鳴いた。
『久しぶりだな、在原。しばらく見ないうちに、随分と頭が白くなっているな』
「俺の頭の色、あんたの毛の色と変わらなくなったろ?」
『ハゲなくてなにより。制帽のせいでハゲるのではないかと、よく心配していたからな』
「おかげさまで、俺の頭髪は健在だ」
俺は猫大佐の声が聞こえない比良に、その会話の同時通訳をする。それを見た海将は、ゆかいそうな表情を浮かべた。
「大佐、こっちの
『ああ、そのとおり。久しぶりにかまいがいのある若造が乗ってきた。だがこっちの若造は、まだ
大佐はそう言うと、比良の足元に来て、靴を前足で踏みつけた。
「?!」
比良は最初の俺がそうだったように、なにかを感じたらしく、変な顔をして自分の足元を見る。
「波多野さん?」
「比良が猫神様の姿が見えないのは、修行が足りないせいだってさ」
「修行すれば、俺にも猫神様の姿が、見えるようになるってことですか?」
「そうらしい」
とは言ったものの、なにをどう修行すれば良いのか、さっぱりわからないが。
「あまり大佐の言葉に乗せられるなよ? 真面目に受け取ると、酷い目に遭うからな?」
『失敬なことを言うな』
大佐は鼻にシワをよせると、腹立たしてげに尻尾を振り回した。
「だが、あんたの言葉を真に受けたせいで、俺は随分と苦労した。まさか出世レースのど真ん中に放り出されるとは思ってなかったぞ」
『だが
「俺はここまで偉くなりたかったわけじゃない」
『
海将まで「バカ者」呼ばわりとは、まったく猫神様には恐れ入る。
「あの、お話の途中で申し訳ないのですが、統幕長と猫神様は、どういった経緯で知り合ったのですか?」
二人のやり取りを比良に伝えると、比良が海将に質問をした。
「私が初めて護衛艦の艦長を任された時に、その
「そして大佐は、みむろの神様になったと」
「
海将の経歴を思い浮かべる。
「海幕に
「ああ。私の執務室にだ。異動になるたびについてくるんだからな。猫は家につくと言うのに、この猫神様ときたら、なぜか私にとり
『失礼な!
さて、どちらの言い分が正しいのだろう。二人の言い分をそれぞれ比良に伝えると、ヤツもこの二人の言い分をどう受け取ったらよいものかと、微妙な顔をした。
「ああ、上陸許可が出ているんだったね。話し込んでしまってすまない。ここは私とサバトラ大佐で話をつけるから、二人は自由時間を楽しんできなさい。
「ありがとうございます。では失礼します!」
「失礼します!」
俺達は敬礼をすると、その場を離れた。離れていく途中も、海将と猫大佐が、どっちがどっちにとり
―― まあ普通に考えたら、猫大佐が海将にとり
「波多野さん」
「んー?」
「俺、頑張って修行します。で、猫神様をモフモフできるようになります!」
「ああ、うん。まあ、そういう目標があるのも良いことだよな」
頑張りどころがなにか違うような気がしないでもないが、比良が頑張ると言っているのだ、ここは同期して精一杯、応援しようと思う。
「でも、まずは船酔いの克服からですよね」
「だよな。炭酸水、自腹ってことは、できるだけ安いのが良いってことなんだよな?」
このへんに遅くまでやっているドラッグストアはどこだろう?と考える。
「副長の奥様指定の強炭酸水なので、そこまで安くないんですよ」
「自腹なのに?」
「大丈夫です。えっと、ここだけの話にしてくださいね」
そう言って、比良が声をひそめた。
「これの費用、副長が半分、出してくださってるんです」
「そうなのか。それはたしかに、俺とお前だけの話にしておいたほうが良さそうだな。だけどそうなると、ますます頑張ってテストでは良い結果を出さないとな」
「そうなんです」
「航海科にできることなんて限られてるけど、頑張ってサポートするから、頑張れよ」
「はい!」
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