第二十四話 横須賀 1

『おい、そろそろ時間だ。起きろ』


 顔を尻尾でたたかれた。さっき寝たばかりだというのに、もう起きなければいけない時間らしい。


「うー、マジか。さっき寝たばかりじゃないか……」

『冗談で起こすか、バカ者め。うだうだ言わずにさっさと起きないか。まったく。どうして吾輩わがはいが、お前を起こさなければならないのだ』

「俺の寝るのを邪魔してるのは大佐だろ? だいたい顔の上に乗る必要があるのかよ。ここで寝るなら、せめて横で寝ろよ、横で」


 ブツブツいながら体を起こす。腕にしたままの時計を見れば、交替時間まであと15分。俺が起こしてくれと頼んでいた時間ぴったりだ。こういうところは非常に助かる。あとは、もう少し邪魔にならない場所で寝てくれたら、言うことないのだが。


『その程度のことで寝られないとは、修行が足りんぞ』

「一体どんな修業が必要なんだよ……あれ? 相波あいば大尉は?」

『あやつは、お前の友達を起こしにいった』


 比良ひらのことだ。


「どうやって起こすんだよ。比良は、大佐のことも大尉のことも見えないんだろ?」

『さて、どうやって起こすのか、お前は知らないほうが良いのではないか?』

「どういうことだよ……」


 あの大尉のことだから、比良の害になるようなことはしないとは思うが、猫大佐の言い方に引っ掛かりを感じた。


『さてな。そりより、吾輩わがはいとここで呑気にしゃべっていて良いのか?』

「ああ、まずい! 時間に遅れる!」


 ベッドからはい出すと、毛布をたたむ。半分目が閉じていても、きちんとたためるようになったのは、我ながら進歩だなと思う。


 着替えをして歯磨きをし、顔を洗って一日の用意が完了する頃には、なんとか目は開けていられるまでになっていた。顔を両手で叩いて気合を入れながら、通路を歩いていると、向こうから比良が眠そうな顔をしながら歩いてきた。


「おはようございます、波多野はたのさん」

「おはよう。今朝はお互いに、ゾンビみたいな気分だよな」

「海の神様を見た興奮も、この時間までは効果がなかったみたいですね」


 神棚の前にくると、二人でいつものようにかしわ手をうち、手を合わせた。


「「今日も一日、無事に航海と任務が終わりますように!」」


 一礼をして、艦橋へと急いだ。


「ところでさ、比良」

「なんですか?」


 歩きながら比良に質問をする。


「お前、今日は起きる時間にアラームを鳴らしたのか?」

「先輩がワッチに立っている時なら、アラームを使うんですけどね。今日は先輩も寝てたので、なにもしてないです」

「よく起きることができたな、それで」

「そういう時に限って、誰かに揺り起こされてる気がするんですよ。ああ、ほら、いきなり足がビクッてなることがあるじゃないですか。あんな感じで」


 方法は謎のままだが、やはり大尉が比良を起こしてくれたらしい。


―― 大尉、比良にはずいぶんと過保護だよな…… ――


「へえ……」

「どうしてですか?」

「いや、昨日の今日だろ? よく起きれたなって不思議でさ」

「寝坊しなくて良かったです」


―― まさか幽霊に起こされてるとは思いもしないだろうなあ……ま、俺は神様に起こしてもらっているわけだけど ――


「そういう波多野さんはどうなんですか? やっぱり猫神様が?」

「あの神様は、起こすより寝るのを邪魔するほうが圧倒的に多いけどな」

「ははは、それは気の毒というかうらやましいというか」


 そんなことを話しながら、艦橋に続く階段をあがった。


「おはようございます、ワッチ、はいりまーす」

「おはようございます、ワッチ交替の時間です」


 昨夜からかじを任されている紀野きの三曹が、俺達の声に振り返った。


「なんだ、波多野、比良。ゾンビみたいな顔をしているな」


 俺達の顔を見た三曹が笑う。


「ゾンビみたいな気分だからですよ……」

「それは自業自得だ」

「俺は寝たかったんですよ、比良に無理やり引っ張ってこられただけで」

「だって、あれは一見の価値大ありじゃないですか」


 そんなことを話しながら、それぞれ交替することになる先輩のところへと向かう。ふねの現在位置、航路に変更はないか、気象海象で変わったことはなかったか、深夜に引継ぎ事項はなかったか、などなど。それをすませると、先輩は「じゃあ任せる」と言って、艦橋を出ていった。そして比良が引き継ぎをした先輩も、「お先に」と三曹に声をかけ、おりていった。


「今から寝られる先輩がうらやましい……」

「横須賀に入港したら、明後日あさっての出港まで少しはゆっくりできるだろ。それまで耐えろ」

「うっす」


 ヘッドセットをつけると、レーダーを見つめる。外は明るくなってきていて、そろそろ夜明けだ。だが陸地でもそうであるように、海の物流をになう船に夜も昼もない。こんな早い時間でも、レーダーには多くのタンカーや貨物船、そしてフェリーが映っている。外で監視に立っている比良の目と、計器を見る俺とでそれを監視をしながら、みむろは横須賀に向けて航行を続けた。


「おはよう」


 日がのぼりはじめたところで、いつもより早い時間なのに、艦長の大友おおとも一佐が艦橋にあがってきた。おそらく、横須賀入港が迫っているからだろう。


「おはようございます!」


 その場にいた全員が敬礼をする。


「紀野海曹、なにか変わったことは?」

「特に起きていません。航海は順調です。このままでいけば、予定通りの時間に入港できると思われます」

「そうか。それはなにより」


 そろそろ、朝飯を食った隊員達が活動を始める時間だ。なんとなく艦内がざわついてくるのが、ここからでも感じられた。そのうち、副長の藤原ふじわら三佐と航海長の山部やまべ一尉もここにあがってくるだろう。


「ああ、起きたと言えば」

「ん?」

「深夜にわだつみがあらわれました」

「ほう、それは珍しいな」


 三曹の報告に、艦長がほほ笑んだ。


「初めて見る隊員達もいただろう」

「ここにいる波多野と比良も含めて、初めてわだつみを見る若い連中が艦橋に押し寄せて、ちょっとしたパーティ状態でしたよ」

「ああ、それで眠そうな顔をしている連中が多かったのか」


 艦長は合点がてんがいったという顔をする。


「入港したらゆっくりできる時間をやるから、その時間を利用して体を休めておけよ? 明後日あさってからは、休みなしの長い航海が続くからな」


 浦賀水道うらがすいどうまであと少しというところで、藤原三佐と山部一尉が艦橋にあがってきた。


「おはようございます。艦長、お早いですね。てっきり艦長室におられるものだと」


 艦長が艦橋に立っているのを見た三佐が目を丸くした。

 

「部屋のコーヒー豆が切れてしまってね。手持ち無沙汰ぶさただからあがってきたんだ」

「そうだったんですか。では今回は横須賀で積み込むコーヒー豆を、いつもより多めにしておいたほうが良さそうですね。補給長に増量を頼んでおきます」

「ああ、そうだな。よろしく頼む」


 三佐がメモ帳を取り出してなにやら書き、それを再びポケットにしまいこむ。


「本艦はこれより、浦賀水道にはいります」


 三曹が報告をする。


「早い時間とは言え、船の交通量はそれなりに多い。比良、おかしな動きが少しでも見えたら、報告は早めに出すように」


 三佐が外にいる比良に声をかけた。


「了解しました!」


 もちろん相手は商船だけではない。こんな時間でもマニア達の船があらわれる可能性がある。どこで情報を仕入れるのかわからないが、以前にあった訓練中の遭遇のように、どうしてこんな場所で待ち伏せを?と、首をかしげてしまうことは珍しくなかった。


「波多野もできるだけ広範囲を見ろ。マニアでなくても、たまに暴走族なみに突っ走っている漁船がいるからな」


 山部一尉が俺に指示をする。


「了解です」


 接近してくる船に警戒をしつつ、みむろは浦賀水道を進み、米国海軍の施設沖を通過。そして横須賀の艦隊司令部がある港へと入った。どうやら今回は、不届きな連中とは遭遇しないですみそうだ。接岸する予定の場所に入ると、みむろの入港を手伝ってくれるタグボートが近づいてきた。


『おはようございます。大友艦長。相変わらずみむろは時間に正確で驚かされますよ』


 タグボートの船長から通信が入る。


「おはよう。うちの航海科は優秀なんだ」


 艦長の返事に、相手は笑い声をあげた。


『朝から、色気のない惚気のろけをごちそうさまです。では接岸作業に入ります』


 ロープが艦とタグボートの間でわたされ、二隻がつながれた。接岸作業が始まると、猫大佐が艦橋にあらわれ、いつもの場所に陣取った。そして尻尾を振りながら、作業を見守る。その姿はすっかり護衛艦の艦長きどりだ。


「何十年かしたら、護衛艦もドローンみたいに、前後左右を自由自在に動ける時代になるんですかね」


 作業を上から見下ろしながらつぶやいた。俺の呟きに、三曹が顔をしかめる。


「そんな動きをする艦なんてあまり見たくないけどな。不便でも古臭くても、船は今のままが良い」

「接岸作業が短縮されてもですか? 人の手も少なくてすみますし、便利になると思いますけど」

「気持ち悪いだろ、前後左右に動く船なんて」

「そうかなあ……」

「接岸は便利になっても、操舵そうだはコンピューター制御になって逆に複雑になりそうだしな。やっぱり俺は今のままがいいな」

「あー、なるほど」


 そうこうしているうちに接岸が完了した。何度見てもタグボートの職人技には感心させられる。岸壁のボラードに、しっかりともやいが結ばれた。接岸作業が完了すると、艦長がマイクを手にした。


「艦長だ。みんな、お疲れさんだった。当艦は明後日みょうごにちの早朝、ハワイに向けて出港する。それに向けて本日の夕刻より、全員に順次上陸許可を出すので、ゆっくりと羽をのばしてほしい。それまでは各自、各々の任務を果たすように。以上」


 そう言うと、副長にマイクを渡す。


「副長だ。機関はそのまま。総員は明後日みょうごにちの出港にそなえ、艦内の総点検にかかれ。航海の途中で、他国の曳航船えいこうせんの世話になるような無様ぶざまな事態になりたくないなら、念入りに点検をするように。各部署の責任者は、点検後の報告をそれぞれの長にあげろ。以上」


 マイクのスイッチが切られた。


「では藤原、司令部に出頭だ。山部、留守を頼むぞ」

「了解しました」


 艦長が副長をともなって艦橋をおりていく。艦長が不在の時は副長が残ることが多い。だが今回は少しばかり勝手が違う。今回の目的は兵装の更新試験。それもあって、砲雷長でもある副長も、司令部に顔を出さなくてはならないのだ。


「いってらっしゃい、副長。おみやげ待ってますよ」

「そんなもの、買う時間があるわけないだろ? 上陸時間に自分で買えよ。俺はお前には、絶対におごらないからな」


 一尉が階段下をのぞきながら声をかけると、三佐の笑いを含んだ返事が返ってきた。


「ちっ、またおごらせそこねたぜ」

「こりませんね、航海長」


 一尉はまだあきらめていないようだ。


「お互いが異動するまでに、絶対に副長におごらせてやるんだ」

「なんだか頑張りどころが違うような気が……」


 三佐と一尉の異動まであと一年。無事に副長が逃げ切れるよう応援すべきか、それとも一度でも航海長がおごられるよう応援すべきか、実に迷うところだ。

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