第二十三話 目撃談

「今日は久しぶりに、大佐に邪魔されずに安眠できそうだ」


 大佐を部屋から連れ出してくれた、相波あいば大尉に感謝しつつ着替えていると、いきなりドアを乱暴にたたく音がして、比良ひらの声がした。


波多野はたのさん、起きてますか?」

「なんだよー……邪魔するのは大佐だけで十分じゃないか。なんで比良まで?」


 このまま黙っていたらあきらめてくれるだろうかと、叩かれるドアを見つめる。だが比良はあきらめることなく、ふたたびドアを叩き、さらに呼びかけてきた。


「波多野さん、まだ起きてますよね?」

「起きてるって断定かよ……」


 この調子だと、黙っていたら部屋の中まで押しかけてきそうな勢いだ。


「波多野さん?!」

「起きてるよ! なんなんだよ、緊急事態か?」


 今のところ艦内放送もないしふねも揺れていない。こんな状態でなにかあったとは思えない。


「ちょっと出てきてください!」

「なんだよー、俺、そろそろ寝る時間なのに」


 ドアを開けると、比良に部屋から引っ張り出された。


「どこ行くんだよ」

「ちょっと見てほしいものが!」

「おい、なんかイヤな予感がする。俺はその手の話題はダメなんだって、前に言ったよな?」


 まさか、またあの黒い飛びはねるヤツがあらわれたとか? そんなことを考えて及び腰になった。


「そんなんじゃないですよ!」

「どう考えても、そんなんだろ? だってこんな時間に呼び出されるって、どう考えてもおかしいじゃないか」

「いいから! いま、ワッチに立ってる先輩達がすごいものが見えるって、大騒ぎしてるんです」

「ほら、やっぱりそうじゃないか! 俺は見たくない!」


 その場で足を踏ん張る。


「絶対に見ないと後悔しますよ! 航海科だったら、絶対に関係してきますから!」

「なんで航海科が関係あるんだよ」

「見たらわかります!」

「だから、見たくないんだって……」


 比良はイヤがる俺を無理やり引きずっていくと、問答無用で艦橋に上がる階段に追い立てた。


「なあ比良~~、俺、次のワッチがひかえてるから、早く寝たいんだよ~~」

「それは俺もですよ! でもそんなのより大事ですから! いいから、早く上がってください!」

「ワッチより大事ってなんだよー、てか、押すなって」


 艦橋は深夜ということで必要最低限の灯りしかついていない。だが、なぜかいつもよりそこにいる人数は多く、こんな時間なのに珍しくざわついていた。


「また人が増えるのか? お前達、いい加減にしろよな、ここは幼稚園じゃないんだぞ……」


 かじを任されていた紀野きの三曹が、俺達が艦橋に上がると迷惑そうな声をあげた。


「紀野海曹、操艦そうかんお疲れさまです。俺、比良に無理やり引きずってこられたんですが」

「ああ、そのせいでさっきから大騒ぎだ。外を見てみろ。ってか、そっちに行け。ここでウロウロされたら気が散る」


 三曹はシッシッと手をふる。


「もしかして、他国の潜水艦でも浮上してるんですか?」

「それよりすごいヤツだよ。貴重だから見ておけよ。お前達は初めてだろ?」

「???」


 どうやら三曹は見たことがあるらしい。比良に引っ張られて艦橋の横に出る。今夜は満月で、外はかなり明るかった。月の光に照らされて、海面で波しぶきがたっているのがわかる。


「あ、伊勢いせ曹長まで」


 そこには立検隊たちけんたいの伊勢曹長がいた。


「別に好奇心にかられて出てきたわけじゃないぞ。俺は正真正銘しょうしんしょうめいのワッチだ」

「あ、そうだったんですね。ワッチ、お疲れ様です」

「おう」


 階段下で懸垂けんすいをしている姿ばかりを見るので忘れがちだが、本来、伊勢曹長は砲雷科に所属している人だった。


「おい、紀野ー、そこから追い出したい気持ちはわかるが、こっちはもう定員オーバーだ。これ以上は無理だからな」

「わかってますよ。次から来る連中は階段から蹴落として、艦橋に上がらせません」


 なにやら先輩同士で物騒なことを話している。それほど、今の艦橋には人が押しかけていた。昼間なら甲板にでることも可能だが、今は深夜、満月で明るいとはいえ、さすがにこの時間に甲板に出るのは危険だ。


「波多野さん、あそこです」


 比良が指をさした。


「んー?」


 比良が指をさした先。そこは海だ。そしてそこには「なにか」がいた。


「なんだ、あれ?」

「だから、あれがすごいヤツなんですよ」


 月あかりとは明らかに違う、青白い光が海面の下に見えていた。しかもかなりの長さだ。


「もしかして、ホタルイカの大群?」

『わだつみ様ですね』

「わ……っ?」


 すぐ隣に大尉があらわれて、そいつの正体を教えてくれた。だが他の連中には大尉の姿は見えていないから、慌てて口をつぐむ。


「わだつみって、なんなんですか?」


 ひそひそと質問をした。


『海の神様ですよ。日本の近海に何頭かいて、北海道から沖縄までをゆっくり周回しているのですよ』

「へえ……」

『こんな陸地に近い海域を泳いでいるとは、珍しいこともあるものだな。たいていは海流に沿って周回をしているのに』


 手すりの上に飛び乗った大佐が、海面に見えるそれを見下ろしながら言った。


「なにか悪いことが起きる前兆とか、言わないよな?」

『さて。それはわだつみ殿に聞いてみないとわからんな』


 大佐の返事はない。


「聞けよー、なにか起きたらどうするんだよー」

『どうして吾輩わがはいが聞かなければならんのだ。気になるならお前が聞け』

「無理そうだから頼んでるんじゃないか」

『それのどこが頼んでいる態度なのだ』


 大佐の返事に、ブツブツとつぶやきながら、その光を見おろす。


「比良、あれ、わだつみっていう、海の神様だってさ」


 俺の横で、身を乗り出すようにして海面を見ていた比良に声をかけた。


「え、波多野さん、知ってたんですか?」

「そうじゃなくて、物知りな神様とお世話係の大尉殿が教えてくれた」

「ああ、そこにいるんですね、猫神様とお世話係の大尉さんが。なるほど、海の神様なんですか。ああ、でも、わだつみって、なんとなく聞いた覚えがあります」


『上がってくるぞ。揺れに気をつけろ』


 大佐がそう言ったと同時に、海面が盛り上がり、それが顔を出した。クジラでも恐竜でもない。どちらかと言えば、俺がプレイしているオンラインゲームに出てくる竜のような、なんとも不思議な形をした生き物だった。だが不思議と怖いという感情は浮かばない。きっと、相手が海の神様だとわかっているからだろう。


「あれが、海の神様……」


 船体が波を受けて大きく揺れる。その場にいた連中は、あわてて手すりや窓枠を持ち、体を支えた。それは顔をこちらに向け、クジラの鳴き声のような甲高い声をあげる。しばらくふねとならんで並走していたが、やがてゆっくりと海中へと戻っていった。最初に海中から見えていた光も見えなくなり、もとの静かな海原うなばらに戻る。俺達はしばらく声を出すことも忘れ、その場に突っ立ったままだった。


「……すっげーの見たな」

「見ましたねえ……」

「潜水艦じゃないよな?」

「あんな潜水艦、見たことありませんよ」

「だよなあ」


 たしかにあれは、比良の言う通り、航海科の任務に関係してくるかもしれない。あれだけ大きいのだ、うっかりぶつかりでもしたら、大変なことになりそうだ。


「あれってレーダーに映ってるのか? いや、水中にいたからソナーのほうか?」

『そんなものでとらえられるわけがなかろう、バカ者め』


 猫大佐があきれたように言った。


『残念ながら、古今東西ここんとうざい、我々の作り上げた装備では、わだつみ様達を探知することはできませんね。見つけることができる唯一の手段は、肉眼のみです』

「人間の目でしか見つけられないのか……」

「そうなんですか?」

「って、言ってる」


 大尉の声が聞こえない比良に通訳をする。


「ところで、あの神様は、なにをしているんでしょうね?」

「日本の周りを回ってるって言ってるけど、たしかに不思議だよな。あの神様は、なにをしているんですか?」


 大尉に質問をする。


『なにを、とは?』

「えーっと、単に日本の周りを泳いでいるだけなのかなって」

『ああ、そういうことですか。わだつみ様は海の神様として、日本の周囲を回遊しながら、この国を守っているのですよ』

「守っている……日本を守ってるんだと」


 比良に伝えた。


「猫神様の他に海の神様までいるんですか。ってことは他にも、山の神様とか、川の神様とかいるってことですかね」

「まあ、トイレの神様やカマドの神様がいるぐらいだしな」

「ああ、そうですよね。お米にも神様がいるって、祖母から聞いたことがあります」


『だから言うだろう。日本には八百万やおよろずの神がいると』

『我々は、思っている以上に、様々な存在に守られているのですよ。もちろん、その中には猫大佐も含まれているわけです』

『そうだ。だから吾輩わがはいのことはもっとうやまえ』


「たくさんの神様に守られているんだから、猫神様もうやまえってさ」

「どううやまえば良いんでしょうね。波多野さんはともかく、俺には見えないわけで、ブラシをすることも、猫じゃらしで遊ぶこともできないわけですし。あ、神棚にカツオ節やマタタビをそなえるとか?」

『マタタビはいけません。大佐が酔っぱらいます』


 大尉がすかさず口をはさんだ。


「マタタビは厳禁らしい」

「じゃあ、上陸した時にカツオ節を買って、神棚におそなえしますね」


 比良の言葉に、猫大佐は満足げな顔をして、俺の顔を見た。


『お前も少しはこやつを見習え。吾輩わがはい達はこの国を守る神なのだぞ』

「でも日本を守っているというわりには、領空侵犯したりEEZに進入したり、好き勝手に入り込んでくる連中がいるじゃないか」

『バカ者め。そういう者を追い払うのはお前達の仕事だろうが。吾輩わがはいらが相手にするのは、この世ならざる者達だ。自分達のことは自分達でやれ』

「なんだよー、ガッカリだ」


 神様というものは万能だと思っていたが、そうでもないらしい。やはり現実世界のことは、現実世界の俺達でなんとかするしかないようだ。


「おい、もうそろそろいいだろ? お前達、さっさと艦橋から出ていけ。人が多すぎだ」


 海の神様を見た興奮がおさまってきたところで、伊勢曹長が声をあげた。そして外に出ていた俺達を、艦橋へと追い立てる。だが艦橋は艦橋で、かじを握っている紀野三曹が迷惑そうな顔をして、俺達をにらんでいた。


「はい、お帰りはあちら! 伊勢曹長と俺に階段から蹴落とされたくなければ、さっさと出ていけ」


 そう言って、後ろの階段を指でさす。その場にいた当直と無関係の乗員が、ゾロゾロと階段をおりていく。


「まったく。せまい艦橋にどんだけ押しかけてきたんだよ。一体、誰だ? 最初に声をかけたおしたのは」

「すみません、多分、自分です」


 紀野三曹のもんくに、比良が申し訳なさそうに言った。


「海士連中は初めての遭遇だったから、興奮するのはわかるけどな。だが、次からはこういうことは許可しないからな」

「はい。申し訳ありませんでした」

「じゃあ、さっさと寝ろ。早朝には横須賀に入港だ。波多野、お前もさっさと部屋に戻って寝ろ。ワッチ、遅れてきたら承知しないからな!」


 俺と比良も、問答無用で艦橋から追い出された。

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