第十五話 砲身清掃

「いいお天気ですねー」

「だよなー、F作業日和びよりなのに、できないのがなんとも残念だよなー」

「ですよねー」


 母港に戻る航路は、いつも以上に波がおだやかだった。そのせいか、比良ひらの船酔いもすっかりなりをひそめている。


「ここが公海でないのが残念ですよ。今日はいい釣り日和びよりなのに」

「うっかりここで釣ったりしたら、密漁だもんなあ……」

「ですよねー」


 めずらしく訓練の合間にできた空き時間。俺と比良は甲板に出て、一息つきながら海をながめていた。そんな俺達の横には、なぜか猫大佐がちんまりと座っている。


「今さ、あの猫神がここにいるんだよ」

「え?!」


 見えない比良のために、大佐がいる場所を指でさす。


「猫神様も海を見ているんですか?」


 大佐の姿が見えない比良が質問をしてきた。


「いや。ほら、前にお前が言ってた香箱座こうばこずわりってやつ? あのかっこうをして、ここで目を閉じてるよ」

日向ひなたぼっこですかね」

「それをするなら、もっと日当たりのいい場所があると思うんだけどな。こんな人が行ったり来たりする場所じゃなくて、それこそ艦橋とか艦尾とか」


『やかましい。吾輩わがはい吾輩わがはいの好きな場所で昼寝をするのだ。お前の指図は受けん』


「好きな場所で昼寝をするからほっとけだってさ」

「猫ってたまに、よくわからない場所で寝るんですよね。その点は猫神様も同じってことですか」

「そうらしい」


 普通の猫と猫神を一緒にするなと怒りそうなものなのに、その点で文句を言うことはなかった。やはり自分が猫だってことは自覚しているらしい。


「うっかり海に落ちても知らないからな」


『余計なお世話だ』


「余計なお世話だってさ」

「猫の身体能力は高いですから。きっと大丈夫ですよ」


 海からの風が吹いてきた。大佐のヒゲが揺れ、鼻がひくひくしている。


「鼻をひくひくさせてる」

「本当に猫そのまんまですね。きっと魚のにおいをかいでるんですよ」

しおのにおいばかりで、魚のにおいなんてしてなさそうだけどなー」


 それに魚のにおいがしたとしても、大佐はリアルな魚には興味はなさそうだ。そんなことを話しながら海面を見ていると、目の前で大きな魚がはねた。


「今の、絶対にマグロですよ。マグロといえば寿司! あー握り寿司が食いたい! 回らないヤツ!!」

「回らないヤツって」


 比良のいいぐさに思わず笑ってしまう。


「だって今回の航海、船酔いのせいでまともに飯が食えた日のほうが、少なかったんですよ。見てくださいよ、作業服もぶかぶかになっちゃったんです。だから戻ったら、その分を取り戻さなきゃ!」

「あー……」


 たしかに今の比良は、出港時より一回りほど小さくなったような気がする。まだ顔がげっそりしていないから救われているが、見ただけで小さくなったと感じるということは、かなりせたということだ。


波多野はたのさんは食べたくないんですか?」

「そりゃ食べたいさ」

おかに戻ったら、少し奮発して回らない寿司屋に行こうかな。あ、刺身も食べたくなってきた」

「やめろよ、俺まで食べたくなってきたじゃないか……あと一日は海の上なんだぞ」


 口の中に刺身醤油の味がよみがえってきて、思わずうなってしまう。


「刺身、握り寿司、あとそれからぁ……スイーツも捨てがたいです、官舎の近くにある喫茶店のチョコレートパフェとか」

「やめろってーー」


 航海中の艦内での食事は昔と比べると、随分と改善されたと聞く。それでも生魚系は、食中毒の危険性もあるのでほとんど出てこない。だがあと一日我慢すれば、生魚だろうがパフェだろうが、好きなものが好きなだけ食べられる。ただし、この二十四時間が思っている以上に長いのだ。


「ってかさ、比良、そんなんで大丈夫なのか?」

「なにがですか」

「なにがって、航海に出るたびにせてたら任務、続けられないだろ?」


 ぶかぶかになった作業着の腹の部分を指でさす。


「わかってますよ。酔い止めを飲む以外では、酔わないコツをつかんで修得するしかないって、医官いかんからも言われてます」

「そんなコツがあるのか?」

「はい。だから砲術長がいてくれる間になんとかします。大丈夫です、克服した先輩達はたくさんいるって聞いてますし」


 つまり比良は、薬を飲んでもなにも言わないでくれる藤原ふじわら三佐がみむろにいる間に、なんとかするつもりでいるらしい。幹部が同じ部署に留まっているのはだいたい二年。藤原三佐がここに配属されてきたのは今年度ということだから、残りの日数は一年とちょっと。


 船酔い体質なんて、一年やそこらでなんとかなるものなんだろうか。


「大丈夫なのかよ……」

「なせばなるですよ! 克服できたら猫神様に認められて、その姿が見えるようになるかもしれないじゃないですか」


 比良の言葉に、猫大佐が片目を開けてやつの顔を見あげた。そして小さく溜め息をつくと、あくびをしてまた目を閉じる。今のはどういう意味なんだ?


「もしかして立派な護衛艦乗りになる目的より、そっちの目的のほうが克服したい理由の割合を占めてるんじゃ?」

「かもしれません」


 俺があきれた顔をすると、それを見た比良は笑った。



「寿司かあ、いいなあ、俺もおかにあがったら食いたいなあ」



 いきなりの声に二人してその場で飛びあがった。


「航海長! それに副長も!!」


 振り返ると。山部やまべ一尉がニヤニヤしながら立っている。その後ろでは、藤原三佐がハッチをくぐって出てくるところだった。


「寿司、いいよなあ。あ、ここで一番偉いのは副長だよな。副長、どうですか、おかに戻ったら、可愛い部下三人に寿司をおごるって言うのは」


 山部一尉がそう言ったとたんに、その場でノビのびをしていた藤原三佐がイヤそうな顔をする。


「可愛い部下三人て……自分も含めるってどうなんだよ」

「たった一つでも、階級が下であることには違いないでしょう。それに一尉と三佐では、天と地ほど違いますよ、いろいろと」

「いろいろとねえ……」


 三佐は思案顔をした。しばらくしてなにか思いついたらしく、口元だけでニッと笑う。


「考えたんだが、俺は比良におごる、お前は波多野におごる、これが一番自然なんじゃ? ちょうたる者、分隊にいる若いのにおごるのが自然だろ?」

「あー、そう来ましたか……」


 一尉がウームとうなった。どうやらこの勝負は藤原三佐の勝ちのようだ。


「しかたがないですね。それで手を打ちましょう」

「決まりだな。じゃあ比良、帰ったら好きなものをおごってやるよ」

「ありがとうございます!」


 比良が嬉しそうに笑う。三佐はうなづくと俺に目を向けた。


「波多野も山部になにかおごってもてらえ。山部には副長権限で指令を出しておくから」

「ごちになります、航海長」

「まーったく。だったら副長、いつもの回らない寿司屋に行きましょう。こいつら二人だけなら、財布の中にある全財産を食い尽くされることは、まあないでしょうしね」

「了解した」


 どうやら、上陸後の夕飯は豪勢になりそうだ。


「先に謝っておきます! 食い尽くしたら申し訳ありません!」

「自分も波多野海士長と同じく、先に謝っておきます! なにぶん育ちざかりなもので!」


 俺と比良がそう言いながら敬礼をすると、三佐と一尉が愉快そうに笑った。


「ああ、ところで比良、そろそろ砲身清掃ほうしんせいそうの時間なんじゃないか?」


 三佐が腕時計を見ながら言った。


「あ、そうでした!!」


 三佐の指摘に、比良が慌てて自分の腕時計を見る。


「それでは失礼します! 砲身清掃ほうしんせいそうに行ってきます!!」


 そう言って敬礼をすると、艦首のほうへと走っていった。


「じゃあ俺達はそれの見物をしにいくか。副長は? 行きますか?」

「いや、俺は艦橋に戻る。そこから見てるよ」

「了解しました。じゃあ行くか、波多野」


 俺と山部一尉が艦首にいくと、そこでは単装砲たんそうほうの整備がおこなわれていた。そして比良を含む砲雷科の数名が、先に金属製のブラシがついたクリーニングロッドのお化けみたいなものを持って待機している。こいつらが砲身清掃ほうしんせいそうを任されている連中だ。


 上を向いていた単装砲たんそうほうの砲身がゆっくりとおりてきた。大きさは違うが、要領は銃火器の清掃と同じで、砲身の中をロッドで清掃するのだ。この作業をおこたると、砲身の中に火薬のカスがたまり、最悪の場合は砲弾を発射したとたんに暴発する可能性があった。あの長いロッドを見ているとふざけているのか?と思いがちだが、護衛艦の砲雷科にとっては大事な作業なのだ。


「あ。あんなところに……」


 いつの間にか猫大佐が単装砲たんそうほうの上にいた。しかも、なぜか砲身の上を先端のほうへと歩いていく。


「あれ、なにをするつもりなんですか?」

砲身清掃ほうしんせいそうだろ?」

「いえ、そうじゃなくて、単装砲たんそうほうの上にいる……」


 猫大佐のことなんですが、と続ける。すると一尉は〝ん?〟と首をかしげた。


単装砲たんそうほうの上? なにかいるか?」

「え?」

「ん?」

「あの……?」

「いいよな、砲身清掃ほうしんせいそう、楽しそうで。あれを次の一般公開から、見学者の前でやったらどうだろうな。艦長に提案してみるかー」


 そう言いながら一尉はニタニタと笑った。


「あの、見えてるんですよね?」

単装砲たんそうほうがか? 当たり前だろ」


 どうやら、猫大佐のことをはっきりと口にするつもりはないらしい。


「性格悪いんだからなあ……」

「なんだって?」

「いいえ、なにも」


 砲身の先に座った猫大佐は、クリーニングロッドが向けられるとスポンジを猫パンチした。もちろん他の連中には大佐の姿は見えないから、誰も猫パンチには気づいていない。だが、パンチのせいで微妙に先端が揺れるているらしく、なかなか思うように砲身の中へブラシを入れることができないでいた。


「あれはさすがにダメでしょ……」


 しかも、真剣な顔をして何度も前足でブラシを叩きのめしている。


「ま、なにごとも鍛錬たんれんだな」

「どんな鍛錬たんれん……」


 たんに清掃のじゃまをしているだけじゃないかと、心の中で突っ込みを入れた。


 しばらく猫大佐と砲雷科との攻防が続き、やっとのことでブラシが砲身の中におさまった。比良達はほっとした顔をすると、そのまま何度も出し入れをして砲身の清掃を開始する。その間も猫大佐は、出たり入ったりする棒にパンチを繰り出していた。


「もしやあれは、単にじゃれているというヤツだったのか……?」


 大佐の姿をながめながら、思わずそうつぶやいてしまった。



+++++



「あ、白玉ぜんざいだ」

「そうか、入港ぜんざいが出る日だったんだな、今日は」


 その日の夕飯にぜんざいがついていた。普段とは違う甘いデザートに、全員が嬉しそうな顔をしている。


 海自では、訓練や任務が終わり母港に帰港する時、入港前日にぜんざいを出す習慣があった。これは砂糖が貴重だった時代のなごりで、一般の乗組員達をねぎらうためのものだったそうだ。今の時代、出さないふねもあるらしいが、みむろは古き良き時代の伝統を、しっかりと受け継いでいるふねなのだ。


「二十四時間後には久し振りの母港だなあ」

「久し振りに揺れないベッドで寝られる」


 そんな声が、あちらこちらからあがっていた。

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