第67話

【村間加代】


 田村くんから地図と熊撃退ガンを預かった私は黒石さんが監禁されているであろう鍾乳洞に向かっていた。

 呼吸するのも忘れて必死に駆けつける。

 ……中村くんの埋葬した方角にあるということは、こっちでいいのよね。


 恥ずかしながら私は地図に弱い女。

 別に男受けを狙って克服しなかったわけじゃないわ。

 純粋に苦手なの。


 とはいえ、田村くんの話によれば鍾乳洞は海水で満ち引きするようだし、迷って間に合いませんでした、なんてのは絶対にあってはならないことよ。

 必ずこの家で四人で会いましょう、なんて言っておいて教師の私がたどり着かないなんて笑い話にもならない。


 私は神経を研ぎ澄ませて慎重に、丁寧に地図を読み込んで歩を進める。

 道がわからなくなったら、確実なところまで戻って足で稼ぐしかない。

 気が付けば私の全身は汗まみれになっていた。


 しかし、そのおかげで、地図音痴にも拘らず、目的地に早く辿り着くことができたようだった。

 目の前には壮大な鍾乳洞の入り口が見える。まさしく一寸先は闇。

 けれどここで私が最も恐れていたことが起きてしまう。


「嘘でしょう……?」

 何と鍾乳洞の入り口付近に想像以上に大きい動物。

 見覚えなら一度だけある。


 上村くんが仕留めたという死体を見たことがあるからだ。

「ふぅ……落ち着きなさい村間加代」

 私は浅くなった息を元に戻すため、深呼吸する。


 そして田村くんの言葉を思い出す。

『もしも熊に遭遇した場合、難しいとは思いますが落ち着いてください。大声を出したり、慌てて走り出すのはご法度です。熊も防衛反応として襲ってくる可能性があります。そして何より想像以上に速いです。個体によっては時速数十kmで迫ってくることもあります』


「慌てず、騒がす、冷静に。大丈夫、私にはハジメくんが付いている」

 私は田村くんが受け取った熊撃退ガンを握り締めながら、自分に言い聞かす。


『基本的には近付かない。ゆっくりと距離を取るのが鉄則です。くれぐれも刺激を与えるようなことは避けてください』


 私は草陰から熊が立ち去るまで息を潜めていると、

「えっ、ちょっと……!」

 期待に反して鍾乳洞の中に入ろうとしていく。


 たちまちパニックに陥ってしまう私。

 どっ、どどどどうしよう⁉︎

 あの中には黒石さんが拘束されているって……身動きが取れない状態であの熊がもし中村くんを襲った個体だったとしたら――。


 私の額に嫌な汗が噴き出してくる。

 決して刺激してはならない。けれど見過ごすこともできない状況。

 まったく予想していなかった状況に情けなくも誰かに頼りたい気持ちに襲われる私。


 いや、何を恐れているのよ私は……! 田村くんは……司ちゃんは私たちのために命を張っていたのよ⁉︎ なのに教師の私が彼らに庇われたままこんなところで怖気付いていいわけないじゃない! 


 命に変えても彼らを守るのが私の使命でしょうが!

 ふぅー、ふぅーと呼吸が荒くなる。

 なにせこれから私は田村くんから絶対にこれだけはしないでくださいと忠告されていたことをしようとしているのだから。


 さあやるわよ私。これをしたが最後。もう引き返せない。まさしくデッドオアライブ……よし!


 決意した私は熊撃退ウォーターガンを準備しながら、

「うわああああああああああぁぁぁぁーっ!」

 距離はそのままに声を張り上げる。


 驚いてどこかに行ってくれればベスト。

 もしもそうじゃなかったら――。

 熊はすぐに私の存在を認識し、突進してくる。


 それは田村くんから聞いていた『威嚇突進行動ブラフチャージ』と呼ばれるものだろう。

 ああ、もうなんで逃げてくれないのよ……!

 そんな不満と恐怖を唇を噛み締めることで追い払う。


 銃口を突進してくる熊に向けながら再び田村くんの言葉を思い出していた。

『いいですか先生。もしも、もしも運悪く熊に襲われるようなことがあったらやるべきことは――』


 どうか生きて帰れますように。

 その願いを抱きながら熊と対峙することになった。

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