第49話
「断る、と言ったら?」
「そうですね」
大原は口に指を当て、考える素ぶりを見せたあと、
「人喰い熊にスズメバチ、マムシやテングタケ。森の中は危険がいっぱいです」
「はっ? 何言って――」
「理沙ちゃんはどこに行ったんでしょうね?」
このとき抱いた感情を俺は一生忘れることはない。殺意だ。
「お前っ……!」
「田村くんはお人好しですね。あれだけ冷たくあしらわれたのにまだ理沙ちゃんの心配をしている」
「自分で言っていることがわかってんのか?」
脅しだ。
私に逆らえば香川理沙の命はない、と。そう脅されたのだ。
たしかに大原のことを信じきっている香川なら好きなように操作することができるだろう。
この島で息の根を止めることなんて造作もない。
「俺に何をさせるつもりだ?」
「私と一緒にこの島から脱出しましょう」
そう来るか。
「私たちが手を組めば必ず無事に帰還できます」
「だろうな」
それは俺も思った。嘘偽りない本音だ。大原結衣が味方になればこれほど頼もしいことはない。
「もちろん
そう言って目の前でスカートをめくる大原。
逆三角形の布地が見えるギリギリまでめくったそれは、肉厚の太ももが露わになる。
なんとか意識しないように目を背けるものの、喉がこきゅんと鳴ってしまう。
「結衣ネットはこれだけじゃありません。なんとなんと村間先生と司ちゃんの同乗もサービスしちゃいます!」
通販番組のノリで言う大原。
「香川を置き去りにするつもりか」
「もちろん。私って本当に優しいと思いませんか?恋人の仇から――復讐から手を引こうとしているんです。もはや聖人に足を踏み入れたと言っても過言じゃありません」
香川理沙だけをこの島に取り残した場合。
結末がどうなるかなんて目に見えている。
飲み水もろくに確保できない状況で誰に頼ることもできない。その精神的苦痛は相当重くのしかかることになるだろう。
いくら香川に好意がない俺でも彼女だけを置き去りにする選択肢はない。
「どうしてここまで譲歩してまで田村くんのことを誘っているかわかりますか?」
「……さあ」
「この島に来てからさらに惚れてしまったからですよ」
「はぁっ?」
「上村くんたちから司ちゃんを救うところなんてカッコ良過ぎて濡れちゃいましたよ」
その言葉を聞いたとき、完全に理性が吹き飛んでいた。
気が付けば俺は大原の襟を握りしめ、返し技で体勢を逆転させていた。
「ちょっと待て。今のは聞き捨てならないぞ。まさかお前――司が犯されかけていたときにいたわけじゃないだろうな?」
おそらく俺の目は充血していただろう。目が熱い。
「あれ、どうして田村くんが司ちゃんのことを名前で」
「答えろ大原っ!」
「……はぁ。その場にいましたよ。あの夜、司ちゃんが花を摘みに行ったとき、同時にあの二人も森の中に入って行きましたから。理沙ちゃんは相変わらずアホ面で寝てましたけど。まさかなぜ止めに入らなかった、とでも言うつもりですか?」
「そうだ。曲がりなりにも目の前でクラスメイトが襲われていたんだ。お前ならどうにかできたんじゃないのか?」
なによりあの場に居合わせたことはすなわち中村の最後だって知っていたわけで。
「まさか強姦の現場に乱入しろと? 相手はチカラでは敵わない男が二人です。私ならどうなってもいいということでしょうか?」
「そうは言ってない。お前ならと言ったはずだ。そもそも柔道経験者から一本取れるんだ。本当に敵わない相手なのか疑問だな」
「私はか弱い乙女ですよ。無理に決まっているじゃないですか」
「どうだか」
「――私のモノになってもらえるか。そろそろ答えを聞かせていただけますか」
「断る」
それ以外の答えなどあろうはずがない。
「では理沙ちゃんはどうなってもいいと。大きく出ましたね」
「いいや。それもさせない。悪いがお前をここで拘束させてもらう」
「そうですか……残念です。ではゲームをしましょう」
「ゲーム?」
男の俺に押し倒されておきながら依然として余裕の大原。
それがすごく気持ち悪い。なにより畏怖の念を抱いている自分が情けなかった。
「改めて申し上げますが、私は――大原結衣は一人の女として田村ハジメくんのことが好きです。学校ではいいなと思う程度でしたけど、漂流してこの島で過ごすようになってからはますます惹かれてしまって……きゃっ、恥ずかしい」
恥ずかしい? 恐ろしいの間違いだろ。
「あなたは自分が思っているよりも全然いい男なんですよ?ただの高校生にあれだけ立派な家は建てられません」
新居のことを知っている⁉︎まさか監視されて――!
気が付けば俺は大原の首に手を乗せていた。
「加代先生と司に手を出してみろ。タダじゃ済まない」
殺意を向ける俺に大原は目をとろんとさせる。
うっとり。恍惚な表情で俺を見つめていた。
「へえ……田村くんってそんな顔もできるんですね。ますます欲しくなっちゃいます」
「いい加減にしろよ」
「ふふっ。私は貴方のことを諦めるつもりはありません。絶対に服じゅ――攻略してみせます。だからこそのゲームですよ」
「……聞くだけ聞いてやる」
「私は田村くんが欲しい。田村くんは理沙ちゃんを助けたい。どちらが先に攻略できるか勝負しましょう」
「なるほど。お前から香川を引き剥がすことができれば俺の勝ち」
「そのために私たちの拠点に通う田村くんを落とすことができれば私の勝ち、ということです。どうですか?娯楽のないこの島でも十分楽しめると思いませんか?」
香川の命を賭けてゲーム。そんな発想ができること自体信じられない。
だが、どうする。どうすればいい。
香川が大原に依存しきっていることは想像に難しくない。
例えばこの島に生えている毒キノコ。
彼女ならそれを口にさせることなんて余裕だろう。
――人喰い熊にスズメバチ、マムシやテングタケ。森の中は危険がいっぱいです。
クソが。最低な脅し方をしやがって……!
困惑で集中が削がれた瞬間だった。
大原は有無を言わさないスピードで俺の襟を掴もうとする。
とっさに距離を取ろうと後ずさる俺に大原は槍のような蹴りを入れてくる。
躊躇いのない大胆な動きにスカートがふわりと舞う。
俺はそれを身体を仰け反ることで躱し、そのまま後ずさる。
すかさずポケットに忍ばせておいた飛び道具――パチンコに手を伸ばす。
さすがに弓矢を持参するのはあからさまに敵意を示すことになる。
護身としてそれを作っておいたのだが、
俺は信じられない光景を目にすることになる。
ありえない。この島にそんなモノが存在するはずがない。
ハッタリだ。そう思うものの、目を背けることができない。
まるで蛇に睨まれたカエルのような気持ちだ。
なにせ視線の先には銃口を向けられていたんだから。
「ポケットから手を出してゆっくりと上げてください。ふふっ……一度言ってみたかったんですよね、この台詞」
楽しそうに言う大原。嫌な汗が俺の頬を滑り落ちていく。
「そんな玩具に俺が騙されるとでも?」
「試してみます?」
正直に言えばさすがに偽物だと思っていた。
祭りの景品でもらえるような安いモデルガンだろう。
だが、確証を持つことができない。
この島に漂流した際、俺が真っ先に気にしたのは本当に無人かどうかだ。
犯罪者が潜んでいないとは言い切れない。
そして、最悪なことに俺は目撃してしまっているのだ。白骨を。
少なくとも俺たち以外に以前この島に人が住んでいたことだけは間違いない。
「おかしいとは思っているんでしょう?救急バックにコーヒー。そして拳銃です。どう考えても漂流しないであろうモノばかり」
脂汗が止まらない。背中はもうびしょびしょだった。
変に口を開くことが憚られた俺はただ黙って大原の言葉に耳を傾けていた。
だが、こういう状況での沈黙は図星以外の何ものでもない。
「漂流したとき私が真っ先に警戒したのはこの島に犯罪者が潜んでいないか、です」
本当に彼女が味方に付いてさえくれれば、どれだけこの島での生活が楽になったことだろう。叶わぬ願いとは思いながらも残念で仕方がなかった。
「田村くんの方はどうだったんです?いや、どういう判断をしたんですか?」
さて、どう答えるべきか。
正直に言えばこの島に俺たち以外の人間が今も息を潜めていないとは断言できない。
なにせ島が想像以上に大きかったからだ。こうして大原に連れて来られるまで滝があることなんて知らなかった。
俺はあえて直接的な回答を避けて、
「いずれにしてもこの島に長居すべきじゃないとは思っている」
「合格です。実はいたんですよ、この島に。私たち以外の人間が」
「なっ――‼︎」
ありえない、なんてことはありえない。なにせ俺も白骨を発見している。
「と言ってもこの島に漂流してすぐ息を引き取ったようですけど。ちなみに救急バックや
大原の言葉は何が真実で何が嘘か分からない。揺さぶりの可能性も大いにある。
だが、救急バックとコーヒーが差し出された現実から、全てが嘘ということはない。
それらが偶然、漂流することなどありえない。
救急バックや護身銃を持ってこの島に逃亡した人間がいた――全然ありえる話だけに頭が痛い。
「仮にその話が事実だったとして」
「事実ですよ」
「貴重な一発を俺なんかに使っていいのか?」
大原は不敵な笑みを受かべて言う。
「私がどうして滝に連れて来たと思います?」
理由? 理由なんて――。
連れて来られた意味を考える俺の脳に思いつくものが一つ。
滝の音だ。
「銃声をごまかすためか」
「さすがの私も引き金を引くのは人生で初めてでして。この島に私たちの人間がいないと裏付けが取れない以上、森の中で銃声を響かせるのはご法度ですからね」
やられた――! ただの散歩じゃなかったのか。
「銃口を向けておいてアレですが、私は田村くんを殺すつもりはありません。ですので、この発砲がどういう意味なのか、よく考えてくださいね」
「やめっ――」
――バンッ‼︎
と、それは確かに耳に届いた。
銃口には煙がたち、漂う火薬の匂い。
恐る恐る振り向くと、高速で空気を切り裂きながら、顔面のすぐそばを駆け抜けていった弾丸が木にめり込んでいた。
……本物だと⁉︎
「実際に試して見るまでは半信半疑でしたけど、どうやら本物のようですね。いやあ、想像以上の反動でした。生身の人間が太刀打ちできないはずですよ。当たったら村間先生も司ちゃん、一溜まりもないですね。そう思いませんか田村くん?」
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