第31話

 殺す。物騒な単語に空気が静まり返る。

 なにより俺の口からそんな言葉が飛び出したこと自体、驚きだ。

 自分で自分が信じられない不思議な感覚だった。


 とはいえ、俺の発言が決して軽はずみなものでないことを知っている二人は頭ごなしに否定するわけでもなく、かといって即答するわけでもなく、そっと真剣な表情で考え始めてくれていた。


「六日後に上村と雌雄を決することになります。文字通りの死闘です。これから俺はありとあらゆる策を講じる予定ですが、問題は彼をどう始末するかが鍵になります」


 この場合の始末とはそのまま殺人を指すわけじゃない。

 上村を捕獲し、巨木に縛り付けておく方法もある、という選択肢の提示でもあるわけで。


「まず率直な意見を言っていい?」

 と村間先生。「どうぞ」と促すと、


「個人的に言えば上村くんは死ぬべき人間だと思う。ほら、いるでしょ。死にたかったとか、誰でも良かったっていう理由で無差別殺人で捕まった犯罪者とか。ああいう部類の人間に近いと思うの」


 肯定も否定もせずに村間先生を見据える。


「だから私の意見は『死ぬべき』かな?言っている意味わかる?『殺すべき』とは違うの。だってそうなったらハジメくんが手を下すことになるんでしょ?君の手は人の命を救うために使って欲しい」


「黒石はどう思う?」


 上村に対する憎悪はきっと俺と同じ、いやそれ以上だろう。

 まずは彼女の本音が聞いてみたかった。


『私も村間先生に賛成。いなくなって欲しいけれどそれでハジメの手を汚すなら別の手を考えるべきじゃないかしら』


 二人とも殺人には反対と。そりゃそうだ。俺だって上村の息の根を止めることは本意じゃない。できることならやりたくない。そんなことは言うまでもない。

 ただ二人が安易に殺すべきだという答えを出さずにいてくれて内心でホッとしていた。


 だが、この意思決定を持ち出したのには最重要かつ最大に厄介な問題があるからで。

「わかりました。では、命を奪う方向は一旦無しということで考えていきましょう」

 頷く二人を確認してから、俺は続ける。


「誤解しておいて欲しくないので一応弁解しておきますが、俺は上村を殺したくはありません。ただ、生け捕りの場合、色々なリスクを抱えることになります」


「まっ、そうなるよね」

『本当に頭が痛いわね』


「正直に言えば上村を捕獲すること自体はそこまで難しいとは思ってません。今は加代先生と司が知恵を貸してくれますから。三人寄れば文殊の知恵というやつです。彼の不意をつくことだって可能でしょうし、何より負ける気がしません。問題は捕まえたあと」


 例えば洞窟に監禁、もしくは木に縛り付けたとして。

 そうなると当然、


「上村くんを監視する体制を組むことになる、というわけね」


「そうです。『殺さない』という選択をすることはすなわち『生かす』ということです。どこかに頑丈に縛り付けてそのまま放置はできません。だってそれは『殺す』ことと同義ですから。衰弱させて息を引き取らせるというのはいただけません。連日苦しませるぐらいならいっそひと思いにヤるべきです。それはたとえ手を染めてでも、です」


 俺の主張に再び頭を悩ませる二人。

 そう。そうなんだよ。ここが難しいんだ。

 だからこそずっと誰かに相談したくてしたくてたまらなかった。答えを教えて欲しかった。


『気乗りはしないけれど厳重に拘束して必要最低限の世話、水や食料だけを与え続けるのはダメかしら』


 ペンを走らせていた黒石がお絵かきボードを見せてくる。

 言葉を発せないながらもちゃんと作戦会議に参加してくれる姿勢は本当に感謝しかない。


「その場合、QOL――クオリティ・オブ・ライフが著しく低下します。この島で生活することにおいて、それはストレスが相当重くのしかかってくることが想定されます」


「えっとごめんなさい。クオリティ・オブ・ライフ?」

 ああ、それは――。そう答える前にすでに黒石はお絵かきボードを村間先生に向けていた。

 そこには『居住の快適さ』のこと、と書かれていた。


 村間先生には悪いが、黒石が協力してくれるようになったことは正直、結構心強いかもしれない。俺の意図や悩んでいるところを的確に把握した上で思考を練ってくれる。

 有能な参謀を味方に付けた気分だ。


「これから、というか、これからも俺たちはしばらく不自由な生活を強いられることになります。なぜなら俺たちが使うことを許されているのはこの島に漂流したものだけだからです。正直、生活が長引けば長引くほどストレスフルでしょう。いずれ来るそのときは避けられないと思っておいた方がいいかもしれません」


「……私はハジメくんといられればそれほど不満はないよ?」

「なっ!」

 不意打ち。それは不意打ちだった。それがまた嘘を感じさせない自然体だからこそ妙に蠱惑的に感じてしまった。


『わっ、私も!』


「あっ、ありがとう。まぁ、せっかくみんなで作戦会議をしてるんですから、たまにはこういうジョークが入ってもいいですね。何事においても緊張よりもリラックスしていた方が良い結果が出るらしいですし。アスリートたちが顕著らしいですよ」


「ごまかしたな」『ごまかしたわね』

 まさかの息ぴったりである。こういうことには慣れてないんだよ。勘弁してくれ。


「ごほん。話を戻しますよ」

 咳払いを一つした俺は、

「上村を殺さない選択をした場合、最低限の面倒を見なければいけない、というところまで話しました。だが俺は正直すぐには納得できません」


「えっと……それはどうしてなの?」

『自分たちが生き延びることだけに意識と労力を割くべき』


 黒石はお絵かきボードを急いで消して、

『にも拘らず上村の監視と面倒が生活に入ってくることで本来すべきこと、できることを犠牲にしてしまう。それはこの島で生活する上で致命的』

 俺の懸念を代弁してくれた。


「なるほど。本当に難しいね。どうして私たちの方がこんなに悩まなくちゃいけないんだろ。なんか逆に腹が立ってきた」


「気持ちは一緒ですよ、みんな。補足しておくとその他にも色々とリスクを抱えることになります。例えば上村が脱走してしまったときの恐怖、もしくはしてしまったらという不安。そういった感情がまず一つ。次に監禁場所、もしくは縛り付けておく場所の問題です。男一人の自由を奪うんです。よっぽど頑丈でなければいけません。縛り付けておく場合の最大の問題は場所です。考えられるのは森の中ですけど……もうわかりますね?」


「……熊ね」

「もしも例の熊が味をしめていた場合、身動きが取れない上村を襲う可能性が考えられます。これはもう想像もしたくない。じゃあ熊の手が届かないところに縛り付けるのか。そうなれば今度は飲食を渡す度に危険を犯すことになります。真っ先に思いつくのは高いところに拘束する、ですからね」


「ちょっ、ちょっと待って。ハジメくんはこれだけのことをずっと一人で悩んでいたの……?」

「今はこうして二人に相談することができるようになりましたらずいぶんと気は楽ですよ」

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