48 アンリシア視点


「おや、どうかなさいましたか?」

「あ、いいえ」


 考え事に沈みそうになっていたアンリシアは慌てて表情を取り繕う。

 危ない危ない。

 いまはサンガルシア王国の王太后と上級貴族の夫人たちに囲まれているのだった。

 疫病によって国境を閉ざして長い。外の情報に飢えている彼女たちにとってマウレフィト王国の公爵令嬢であるアンリシアは格好の御馳走だった。

 とはいえ聞かれるのはファッションなどの流行のことがほとんどだ。

 上級貴族でしかも既婚者ばかりということでどの女性もアンリシアより年上ばかり。アンリシアも頑張って母国の流行などを紹介するのだが、やはり視点が若者の物に寄ってしまう。

 それでも希少な外の情報ということで喜ばれているのでほっとしていたのだが……。

 油断すると先日のレインから聞いたことが思い出されてしまう。


「おばちゃんたちにせっつかれて疲れてしまったかしら?」

「いえ! そんなことはありません!」


 王太后に気を使われてはいけないとアンリシアはすぐに否定する。


「そう? ならよろしいのですけど」

「はい」

「それにしても……」


 と今度は料理の話に移っていく。

 そのことにほっとしつつ、アンリシアは会話に応えていく。

 その最中でレインから聞いたことを考えてしまう。

 考えまいとしていても気が付くと頭の隅にそのことが浮かんでしまう。


「あの……」

「ええ、どうなさいました?」

「いえ、噂には聞いていたのですが、こちらの国の聖女というものに本当に驚いておりまして」

「あら、そうなのですか?」

「ええ……あの第一聖女という方はどのような方なのでしょう?」

「どう……とは?」

「ああいう方は我が国にはいないものでして」

「あら? あなたが連れていらした方は?」

「彼女は幼いころからの……立場を超えた友人ですので」

「それは素敵ですわね」

「あら、どんな風にお知り合いになられたのかしら、気になりますわね」

「ええ。アンリシア様のお話を聞きたいですわ」

「そうですわ」

「ですわ」

「わ」

「え、ええ……そうですね」


 畳みかけるようにアンリシアとレインとの出会いの話に移行させられてしまった。

 そしてまた別の日のお茶会で。

 今度は貴族の令嬢たちばかりの会だ。

 彼女たちは国外の人物との交流経験がないも同然なのでご婦人方よりも外の情報に興味津々だった。


「第一聖女様……」

「ミーム様! 素敵ですわよね!」


 主催者の公爵令嬢が食い気味に話題に飛びついてきた。


「私、実は疫病に罹っておりまして、聖女様方のお薬に助けられておりますの!」

「そうなのですか?」

「はい。お薬がある限り大丈夫ですの。でも、飲まなくなると苦しくなって息をするのもしんどくなってしまいますの」

「まぁ……」

「あのときは本当に……生きているのが嫌になって……でも死にたくなくて……そんな苦しい思いをしているときにミーム様が私の屋敷に来てくださってご自身で薬を飲ませてくださったの。あの楽になっていく感触……あの方が聖女様なのだと確信いたしましたわ」


 うっとりと語る公爵令嬢の様子は第一聖女に心酔していることが明白だった。


「そうですわ」

「わたくしも」

「わたくしもです」


 参加している令嬢方も次々と賛同する。ほとんどの令嬢が疫病に罹っているのだとわかった。


「人望がおありなのですね」

「もちろんです。あのお方がいなければこの国はとっくに疫病でなくなってしまっていましたわ」

「あの方なら王妃様になられても問題ありませんわ」

「ええ。これほどのご功績がおありなのですから、それに報いるのだとしたら王妃の座しかございません」

「……でも、よろしいのですか?」


 令嬢方が皆そう言っていることにアンリシアは首を傾げた。


「そうなってしまうと皆様方は、陛下とお近づきになることはご希望されないのですか?」


 こんな質問、かつては王太子の婚約者であった自分は他の令嬢にはできなかった。

 未来の王妃候補になるということはそのまま家の繁栄に関わって来る。

 王や王子との結婚というのは貴族にとってただの夢物語ではないのだ。

 故郷のお茶会でこんな話題を出してしまえば、年頃の令嬢たちは笑顔の裏で殺気を噴出させていた。

 ところがどうだ。

 サンガルシア王国の令嬢たちはまるで自分たちとは関係のない恋物語の結末を予想し合っているかのような顔で語り合っている。

 アンリシアの常識ではありえない光景に少しだけ眩暈がした。

 おかしいのはマウレフィト王国なのか、それともサンガルシア王国なのか。


「そんな無粋なことはしたくありませんわ」

「そうですそうです」

「だって、陛下もミーム様に夢中ですもの」

「あの間に入るのは、ちょっと……」


 皆が「火傷してしまいますわ」と微笑んでいる。

 王妃争奪戦を放棄した令嬢方は完全に傍観者となってしまっていた。


「なるほど……」

「あら、アンリシア様、それはなんですの?」


 令嬢の一人がアンリシアが何かを取り出して口に入れる姿を見た。


「これは、私の魔女……聖女が作ってくれる薬です。疫病ではありませんが、私も幼いころから体が弱くて、彼女の作る薬に頼っているのです」

「まぁ、それは……」

「アンリシア様、お可哀そう」


 口々に上がる同情の言葉を笑顔で受け止めアンリシアはそんなことはないのだと作ったばかりの嘘を語っていく。

 この薬はレインと行ったあの森で作ったばかりの薬だ。

 この国で何かを口にした後は必ず飲むようにと指示されている。


「これさえ飲んでいれば大丈夫なのです。それこそミーム様の治療薬と同じように」


 その言葉は真実だ。

 いや、アンリシアのレインへの信頼感は彼女たちの第一聖女への信仰など足元にも及ばないと確信している。

 そして、信頼しているからこそ、アンリシアは第一聖女のことをもっと知ろうと思った。


「……だいたい、分かれ目ははっきりとしたわね」


 ほんの数日間の接触だけれど、違いははっきりとした。

 年配の貴族たちは聖女たちの存在をどこか疎ましく感じ、若い貴族はその逆で心酔している。

 疎ましさに関しては聖女たちの人気が将来、貴族たちの権力を削ぎ落すのではと心配しているからと解釈することもできる。

 いや、以前のアンリシアならそこで思考が停止していただろう。

 だけど、レインから話を聞いてしまった今ではそこで止まることはできない。


「あの方たちは、もしかしたら知っているのではないかしら?」


 レインが言った真実を。

 だから聖女たちに素直な感謝を向けることはできない。慈善の影になにかが潜んでいるかもしれないと恐れているのだ。

 だとすればそのことをダイン王は知っているのか?

 彼は年齢的には若い世代に入ってしまう。あるいは知らないのかもしれない。侍従だといっていたスペンサーも彼と同年ぐらいだった。


「知らないと考えるのが自然よね」


 ある一定以上の年齢の貴族たちはある事実を恐れている。

 その事実が明るみになった場合の民衆の反応を恐れている。


「……かつて国内の魔女を根絶させたという事実を」


 敵は地下よと、レインは言った。

 墓もない土の下から過去が襲いかかってきているのだと。

 病という形をした呪いなのだと。

 土に染みこんだ呪いはこの国の全ての植物に宿り、食物連鎖の末に人間の体で凝縮しているのだと。

 あの森でレインが用意をした護符と薬は、その呪いを排除するための物なのだと。

 そして、第一聖女ミームは魔女の過去を知っている。

 知っているだけでなく、その呪いに操られている。

 第一聖女ミームこそがこの国を覆う疫病の元凶なのだ。


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