第33話 赤ん坊、侍女と話す 2

 一度閉じられたその目が、侍女の方に戻る。


「それで、その、命令したというのは、誰なんです? やんごとなき方とか」

「いえ、その……誰というか……複数、なんです。侍女何人かの集まりで、冗談めかして……言う通りしないと、ここにいられなくだろう、と」

「かの王女殿下のお部屋、ですか」

「……はい」

「ぎゃくに、ぼくをこまらせておいだしたら、そっちにもどれるって?」

「……はい」

「なるほろ」

「ですから、その……昨日のこと、わたしに責任あるんです。セリアさんを止めるか、すぐに声を上げていれば……」

「ん……」

「セリアさん辞めさせられて、わたしだけ残るわけにいきません。女官長に事情を話して、辞職いたします」

「ふうん……」


 首を傾げて、僕は文官と顔を見合わせた。

 相手も、何とも困惑の表情だ。


「こういうの、じしょく、だとう、おもう?」

「申し訳ありません、妥当かどうかについては何とも判定基準が思い当たらず。見ない振りしろとか、集団で冗談めかして脅迫とか、おそらく女性の社会特有なのではないかと」

「ああ……」

「ナディーネ嬢の行動は、そのまま罪に問われるものではないと思います。要は、あのとき私に事を告げるのが少し遅れた、というだけで。あとは本人と、主のルートルフ様の考え次第かと」

「にげたな」

「申し訳ございません」

「……せんそうにまけて、たいしょうはそのままで、したのへいしだけしょけいって、おかしいとおもうんだよね」

「はい?」

「なでぃねやめて、ぼくのせいかつ、よくなる、おもう?」


 相手を変えて侍女に問いかけると、「さあ」と首を傾げられた。


「にょかんちょ、じじょうはなして、かいぜんされる?」

「何とも……難しいかも……」

「いまのじょうきょう、だれかのいし、はたらいてるなら、かわらないよね。むしろ、あっか、かのうせい? いちどしっぱい、つぎもっとくふうして、やりなおす」

「……はい、かもしれません」

「しょうじき、いま、そっち、かんがえたくない」

「ルートルフ様には、こちらに頭を集中していただかないと困ります」

「だよね」


 思わず、苦笑。

 溜息つき、前を見直す。


「なでぃね」

「はい」

「せきにんとって」

「はい」

「せめて、ぼくのせいかつ、げんじょういじ、してくれない?」

「はい?」

「せきにんとって」

「………」

「にげるの、みとめない」

「……はい」


 すっかり、俯いてしまっている。

 それを見ながら、ヴァルターは頭をかいている。


「先日調べさせてもらったのですが、ナディーネ嬢は実家に仕送りをしなければならない状態だそうですね」

「……はい。このところだんだん、両親の健康状態が悪化しているので」

「その意味でも、ここは留まるべきでしょうね。残ることで居心地が悪いということは理解できますが、ここはルートルフ様に誠心誠意仕えることが最善と思いますよ」

「……はい」


 生後一年余りという身で、人を説得などという大それたこと、できようはずもない。

 せいぜいが脅迫紛いに、都合が悪い流れを引き留める、その程度だ。

 それだって、根本的な解決になりようもない。そもそも相手の意に染まない選択を強要するのだから、当然の話だ。

 この場合、たとえナディーネを傍に留めたとしても、別に状況の好転は望めないだろう。

 今さらこんな赤ん坊に対する、尊敬や忠誠心が生まれるはずもない。

 おそらくのところ事前に後宮侍女たちの間には、「身の程を知らぬ下級貴族の子が入ってくる」「担当につけられるのは貧乏くじ」といった認識が行き渡って、その上での異動だったと思われる。

 そんな悲観的心境での宮仕えに、今回の事態で居場所を留められても、仕出かした行為の後ろめたさと、脅迫紛いに強いられた鬱屈がそこに加わる程度だろう。

 だからとにかく、この先の好転は望めない。状況悪化をわずかにでも抑えられたら、と僕としては思うばかりだ。


 ナディーネには考える時間を与えて座らせ、僕とヴァルターは昼食にした。ナディーネは、食欲がないという。

 食事をしながら、ヴァルターの報告を聞く。

 孤児院院長、工房の親方、商会会長、三名とも、近所の評判など悪い噂は聞こえないということだ。むしろ皆、お人好しで損をしているぐらい、という評判らしい。

 院長には子どもたちの雇用条件などを説明し、同意する一筆をもらってきた。

 親方と会長には雇用の事実を告げ、それに絡んで相談事項があるからと、午後からこちらに招いてある。

 ついでに王太子の指示で、工房に作業小屋の建築を依頼してきた。


「簡単な建造でいいという注文なので、今日午後から着手して、明日中には完成する予定ということです」

「ん、りょうかい」


 昼食休憩の終わりを迎えて、ナディーネはこちらに歩み寄ってきた。


「お言葉に従い、仕えさせていただきます。よろしくお願いいたします」

「ん。それじゃ、よろしく」

「では午後からもナディーネ嬢には、ルートルフ様に付き添ってもらうことでいいですかね。昨日に続いて今日も、ナディーネ嬢には後宮外の勤務の認可をもらっているわけですので」

「それはいい、けど」


 ヴァルターに応えて、僕は侍女の顔を見た。

 それからまた、文官に向かい戻る。


「この、こうきゅうそとのあつかい、とくべつなんだよね?」

「そうですね。王宮庁の担当を通して、昨日と今日、女官長に認可をもらっています」

「このあと、なでぃね、ひるま、こうきゅうに、いにくくない?」

「あ……」

「ああ、これまでは王女殿下の部屋の手伝いに行っていたということでしたが、そうなるでしょうね」

「……はい」

「これからずっと、このへやでのきんむ、できない?」

「わたしは、はい、そうしていただければ」

「うーん、しかし……そういう前例はないでしょうね。後宮の侍女がこちらで働くなど」

「ぜんれいなど、くそくらえ」

「……ルートルフ様、また……」

「ぜんれいない、ほんらいつきそいのいる、あかんぼう、はたらかせているんだから」

「ああ、まあ、そうなりますか。赤ん坊に付き添い、考えてみたら当たり前ですよね」

「ん」

「その線で、強く要求を出してみますか。しかし実際にはルートルフ様、手がかからなすぎて、私一人でも身の周りのお世話はたいしてする必要もない現状なのですが。実際に毎日ナディーネ嬢に来てもらっても、することなくて身を持て余すなんてことにならないでしょうか」

「してもらうこと、ある」

「あるんですか」

「ばるたに、じ、ならって、いくらでもかくことある」

「必要ならお教えしますが、そんなに字を書く仕事があると?」

「そこらの、としょかんのほん、かきうつす」

「本を書き写すんですか? 何のために」

「ほんを、ぼくのものにする」

「ルートルフ様、そんな嗜好があったのですか」

「ん」

「まあ、そういうお望みでしたら。ナディーネ嬢、そういう仕事でも、ここですることでいいですか」

「はい。喜んでさせていただきます。字を教えていただけるなら、ますますありがたいです」

「きれいなじ、かけるように」

「はい、努力します」


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