第37話 赤ん坊、打ち明ける
朝食後、居間に移動して、兄は両親に声をかけた。
「父上母上、お話ししたいことがあります」
「何だ?」
父と母が並んでそれぞれ一人がけソファに座る、それとテーブルを挟んだ向かいに、兄は僕を膝に乗せて腰を下ろした。
いろいろ本日の打ち合わせをする前なので、部屋には料理人を除く使用人全員が揃っている。
間もなく領地へ帰還するヘンリックも、父の後方でクラウスとヘルフリートと並んでいる。イズベルガとヒルデ、ミリッツァを抱いたベティーナは母の斜め後ろ、四人の護衛はいつものように戸口の両脇に立つ。
一同が揃う中で話をしようというのは、兄と僕で相談しての上だ。
「何の話ですか、ウォルフ?」
「はい。ルートルフのことなのですが」
母の問いを受けて、兄は両親の顔を順に見た。
二人とも、話の先にまったく見当のつかない表情だ。
「今まで黙っていて申し訳ありませんが、ルートルフはふつうの赤ん坊ではありません」
「何だ?」
「今こうしていても我々の言葉を完全に理解していますし、話すこともできます。思考力や判断力はどうかすると私以上、大人に匹敵する状態だと思われます」
「何だと?」
目を丸くして。父の視線が、兄の顔から僕へと降りる。
母の方は、きょとんと硬直したような様子だ。
そちらへ向けて、僕は軽く頭を下げた。
「ちーうえ、はーうえ……」
「な……」
「あにうえ、の、いうとおり、れす」
こんな深刻な状況での発言なのに、やはり口がうまく回らない。
それでも、そんな舌足らずの発音を笑う者は、一人もいなかった。息を呑むように、誰もが無言のままだ。
みんなの理解を待つように少しの間を置いて、兄は続ける。
「それだけではありません。これまで半年あまり、私が思いついたと言って持ち出してきた様々のことは、ほぼすべてルートルフから出たことです」
「何だと?」
「説明が少し難しいのですが、ルートルフの頭の中に、たとえて言えばこの世界より進んだ世界の図鑑のようなものがある、というのが近いのでしょうか。たとえばキマメの利用の方法はないかと探してみれば、もしかして近いのではないかというある豆の知識が出てくるらしいのです」
「何と……」
唸りながら、父の視線は僕に向けられ続けている。
まるで、見知らぬ生物を見るように。――まあ、当然の反応だ。
「この辺、すぐに信じろと言っても難しいとは思いますが。ただここでまず受け止めていただきたいのは、ルートルフが言葉を理解しているということです。今まではなかなか周囲に理解してもらえないだろうし、気味悪がられたりするのが怖いという本人の希望で秘密にしてきたのですが。どうしても父上に伝えたい情報があるのです。一昨日攫われたとき、ルートは賊の会話を聞いたというのです」
「何だ?」
「ぼくを、おとうとだからひとじちにする、いってた。がきをおびきだす、って」
「何?」父は、大きく目を瞠った。「つまり、奴らの本当の狙いはウォルフだったということか?」
「ん」
掌で口元を覆って、父は真剣に考える顔になっていた。
とりあえず今、どうしても伝えたかったのはこの一点だ。この事実だけは、僕が言葉を理解しているという前提でないと伝えることができない。
それを納得した上で、一同がこの発言の意味を考えているようだ。
「いや、可能性だけは考えていたが、それが事実だったということだな。ルートルフを人質にして、ウォルフを誘き出す――目的は、ウォルフの命か、身柄を拘束することか。いずれにしても、相手の目的はウォルフがもたらしたことになっている数々の新知識。命を奪って我が領、ひいてはグートハイル王国の発展を阻害するか、自分たちの領地へ連れ去ってそれを独占するつもりか」
「そんなところではないかと思います」
「それが事実なら、ウォルフの警備を固める必要がある。本当にダンスクが絡んでいるなら、まだ諦めない公算が高い。国内の貴族の中にも、ダンスクと秘かに通じている者がいる可能性は否定できない。王都内で誘拐は難しくても、命を狙うならいくらでも方法はある。舞踏会に向かう往復はもちろん、王宮内でさえ安心と思い込むことはできぬな」
父が振り返ると、ヘルフリートが大きく頷いている。
「はい。会場内で、飲食は自由にとる形式ですから毒物の心配はほぼないと思われますが、庭から矢を射かけるなどはまったくあり得ないとも限りません。せめて護衛は二人にして、ウォルフ様のすぐ傍と周辺の両方に目を光らせるべきかと」
「だな」
「それと父上、忘れてならないのは、私の命が狙われているのが事実なら、もしルートルフの実態が相手に知られたら同じように狙われるということです。今までのように人質目的でどこか隠れ家に連れ込むという手間はとらず、すぐ命を奪うかどこかへ連れ去るかという危険が考えられます」
「そうだな。ルートルフの護衛も考え直す。しかしこちらは、この屋敷から出ないようにすればまず心配はない。問題は、領地へ帰る途上だな。それよりもまず、今最優先に考えねばならぬのは、ウォルフの舞踏会の警備だ」
「はい」
「ウォルフの今日の護衛は、二人に増やす。それから、ウォルフたちが王都に滞在する期間、屋敷の警備を増員しよう。ロルツィング侯爵が雇用した経験のある、信用のおける傭兵を紹介してもらえるはずだ。ヘルフリート、すぐに当たってくれ」
「かしこまりました」
ヘルフリートの深い首肯を確認し、それから父は室内の顔ぶれを見回した。
皆一様に、真剣にこの事態を頭に刻み込む面持ちだ。
「ここにいるのは、皆私が心底信用できる面々だ。分かっているとは思うが、今ここで話されていることは絶対他言無用。ことは我が息子たちの命に関わることだ。くれぐれも胸に刻んで、協力を頼む」
「は」「かしこまりました」
緊張の顔で、口々に
未だ反応がないのは、ただ一人。
その母は、黙ったまま兄に向けて両手を差し出してきた。
察して、兄は僕を抱き上げ、その手に渡す。
やや震える手で、僕は柔らかな胸元に抱き寄せられる。
「ああ……ルートルフ」
「は……はーうえ?」
「まちがいない……小ちゃなルートルフですね」
「は」
「小ちゃなルートルフが、ウォルフと一緒に母や領民のために考えてくれたのですね?」
「……ん」
「少しも気づかず、ウォルフばかり褒めていました。ごめんなさいね。ルートルフも偉かったのですね。よくやってくれました。偉いです、ルートルフ。二人とも、わたしの自慢の息子です」
「はーうえ……」
応えかけた声は、思い切り抱きしめられた胸元に消えてしまった。
それまで堪えていたものが、堰を切ったように。ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、全身が温かく包まれていくのだ。
そのまま抑えきれない様子で、母は居並ぶ面々を見回している。
「ね、ね、うちの息子たちは、二人とも偉いですよね?」
「ああ、そうだね」
笑って、父は母の肩を撫でる。
使用人たちも一様に、表情を緩めて頷いている。
皆、思いがけない事態を受け止めきれずに顔を強ばらせていたのが、母の無邪気なまでの喜びようにすっかり毒気を抜かれてしまったとでもいうかのようだ。
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