第116話

 朱明は対屋たいのやの、納戸の様になっている塗籠ぬりごめを開けて中に入た。

 この朱明には身に余り過ぎる屋敷には、北と東と西の対屋たいのやが在る。

 かつて未だ地下人じげびとであった正二位が、お妃様の御命をお受けの当時の主上のお召しにより、地下じげではなく、簀子すのこでもなく、東孫廂ひがしまごひさしで、御簾みす越しに御対面頂いたという。それも直答を御許し頂いたというのだから吃驚だ。

 朱明も先日、恐れ慄きながら今上帝に拝謁させて頂いたが、それは異常事態ゆえの特別だ。

 第一現在の今上帝は、決して平常なる状態であられるとは言い難い。

 それが青龍のというものなのだろうが、先例やしきたりなど御気になさる事すらなさらずに、ただ御自身の意のままとなさろうとされる。

 だから今現在いまの今上帝が思し召しになられる事は、宮中の先例やしきたりなど関係なく、全てまかり通るという事で、今上帝が望まれれば、地下人処か賎民すら、宮中に呼び寄せられ、直にお会いになられるという事もあり得る……という事だ。

 そんな状態でないにも関わらず、地下の者が主上に拝謁できるなど、余程のお妃様のお気に入りだ。それもだ。

 まったく正二位は、どんなお方だったのだろう?

 朱明は思いをはせる。

 ……不思議なものばかりが、朱明に遺された。

 不思議な屋敷に、不思議の池の金鱗に、不思議な根付けの孤銀に、額の紅い痣と特別待遇そして………

 朱明は、少し目頭を熱くして天を仰いだ。

 世にも可憐なる瑞獣皇后様との御縁……その瑞獣様は今何処いずこに?

 暫く天を仰いではなすすると、側にある葛籠つづらへ視線を移し蓋を開ける。

 すると孤銀が、根付けから姿を現した。


「如何致した?」


「……何か懐かしき匂いが……」


「……おっ?これは、お父上様の葛籠だ……」


 朱明は仕舞い込まれて、色褪せた衣を取り出した。


「女房達が、忘れ去っていたのだなぁ……」


 感慨深けに言う朱明を、直視して孤銀が葛籠の蓋を指差した。


「朱明様、これを……」


 見ると葛籠に呪が報じられていた跡に、護符が切れて葛籠に貼られていた事が察せられた。









 

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