眠れる問題児生徒

 夏期講習も中盤に差し掛かり、次第に私の勉強の熱も増していった。


 塾の自習室、カフェ、図書館を転々としながら勉強をし続け、平均でも1日6時間は勉強をする様になっていた。


 中学校の頃、成績が底辺だった理由で学校に呼び出されて、学校の先生に勉強時間を聞かれたことがある。私はその時、決まって「1時間くらいです」と嘘をついた。本当は勉強なんて中二になるまでろくにした記憶がなかったが・・・。


 それでも3時間勉強して大満足していた私。当たり前の様に6時間以上も机に向かっていられる様になったのは著しい成長であり、それは全て塾とそれを支えてくれた家族のおかげだった。


 この日は朝一番から一日中、塾の自習室に籠もって勉強を続けていた。

 

 8時半に塾が空いてから私は数学を解き続け、ついに勉強時間は8時間を超えた。

8時間以上べんきょうしたことはよくあることではあったが、この日はZ先生の授業があった。8時間勉強した「酉」みたいなものとして。


 机の上に出してあった数学の教材を一旦リュックに押し込み、チャックを閉めた。

そしてよろけながら自習室の席を立ち上がった。トイレに行く時くらいしか自習室の席を開けることがなかったので、立ち上がった瞬間にめまいがした。


 さあて、行きますか。Z先生の授業に。


 心の中で自分に話しかけ、使っていた自習室の机を綺麗にしてから、自習室を後にした。


 案の定、廊下は人でごった返していた。人混みをかき分けながら、Z先生の授業に向かった。



 8時間も勉強した後に授業があったので、私は完全に疲れ切っていた。

 隣にいた少年は推定私よりも年下の子だった。

それを確認してから、私は初めて授業前に机に突っ伏した。


 疲れた。何もする気になれない。


 そう思っていると、視界が今いる世界から遠下がっていく様に感じた。

 

 このままじゃ寝ちゃう!


ぼんやりとそう思った時、


「はーーーい、お姉さん、起きて下さーーーい」


 Z先生の声がした。わかってた、Z先生が私が突っ伏した後からずっと私の横にいたこと。


 でも机での寝心地があまりにも良すぎて起き上がる気になれなかったのだ。

 相当疲れて硬い机が寝心地が良いと、麻痺してしまったのだろう。


「起ーーーきーーーて」


 次の瞬間、寝心地の良かったのに、椅子が揺れ出したのがわかった。


 何これ!?


 驚いて飛び起きるとZ先生が笑っている姿が目に映った。


「やっと起きた」



「先生、今日私、めっちゃ勉強したんです」


「めっちゃ勉強したってどんくらい?」


「8時間」


「あーーー、まーーー勉強したんじゃん?」


 反応薄い!


「私、今までそんなに勉強したことなかったんです!」


「ああーそうなんだー」


「はい」


「で、」


「はい?」


「授業やるよー」


 鬼ーーーーーーーーーーーーーーーーー!


 Z先生は私からすれば「神様」だと思うこともあったが、時に「鬼」へと化することもあった。


「いや、先生!今日勉強頑張ってめっちゃ疲れてるんです!だからちょっと寝かせて下さい!」


「むーーーりでーーーす」


「お願いします!」


「むーーーりで・ってちょっ、お姉さん!」


 私にはこれ以上、Z先生に言い返す気力がなかった。私の視線はすでに真っ暗。


 私は突っ伏してしまっていた。意識が遠下がっていく。


「しょうがないなー、じゃ、10分だけ」


 そう言ってタイマーをピッピッとさせている音が微かに聞こえた。

 記憶はそこからしばらく途絶えた。


 次の記憶はタイマーが「ピピピッ、ピピピッ」と鳴った音だ。


 それでも私の疲れは癒えていなかった。

 

 突っ伏し続け、まだ寝ようとする私。Z先生の気配はなかった。


 きっとお隣くんは真面目に勉強してるんだろうな、偉い。

もうろうとする意識のなかで私はそう考えていると、自分の横に気配が戻ってくたことを感じた。


「あれ?もう10分のタイマー鳴った?」


「もう、なりましたよ。でもこの人、まだ寝てます」


 そんな会話のせいで目が徐々に覚めつつあった。


「ねー。ぐっすりだね。でも時間は時間だし・・・」


 また椅子が揺れるのを感じた。


「起きろーーー起きろーーー、10分経ったよーーーおーーーい」



 ここで笑った変人だと思われちゃう。

 ここで笑うものかと必死で唇を噛んだ。


「・・・起きないんだけど、この人」


 すんでの所で笑いを堪えた。


「じゃあ、こうしましょ」


 すると一緒に授業を受けていた少年がある「賭け」を提案してきた。


「じゃんけんして、えっとー・・・俺が勝ったらあと10分寝て、Z先生が勝ったら起こしましょう」


「よし、じゃ、それで。でも起こしちゃうから小声でね」


 そして私が突っ伏している横で2人はじゃんけんを始めた。


「最初はグー、じゃんけんぽん!」


 小声でじゃんけんをする2人のやりとりがおかしすぎて、また笑ってしまいそうになった。


 結果は見ていなかったので知らないが、Z先生が


「じゃ、あと5分」


 と言っている声が聞こえた。

 

 そして再び、タイマーをセットする音。

 同時にまた自分に眠気が襲ってきて。意識が薄れていった。




 どれだけ時間が経ったのだろう。机の揺れで目を開けた。目を開けると自分の腕の隙間から、わずかに教室の光が差し込んでいた。


 ここ、あ。塾だ。


 そう思っていると椅子の揺れが更に激しくなった。


 それでも耐える。眠気って強いもんだ。


「まだ起きないんだけどこの人。流石にまずいっしょ、20分も寝てるんだし。ってかどんだけ起きないんだ。この人」


「相当疲れてるんでしょうね」


「まあ、だろうね。ここで8時間勉強したって言ってたし」


「やばっ」


 少年の驚く声。


「でも、流石にやばいから。ここで起こす」


 そう言って一旦止めていた手を再び揺らし始めた。今までにない激しい揺れだ。


「起ーーーきろーーー!!!」


 これ以上、揺れに耐えきれなくなった私は笑いを堪えながらもさっき起きたかの様にむっくりと起き上がった。眩しい光が自分の目に差込み、呆れて笑うZ先生とこっちを見ている少年の姿が眩しかった。


「もう10分?」


 寝ぼける私。


「もうってもう15分も寝かせてるんですけど?」


「嘘お!」


「ほんと」


「今何時ですか?」


「とっくに授業始まってから20分も経ってるんですけど!?」


 ふざけた顔をして言ってくるZ先生。それでも私はまた机に突っ伏そうとした。


「おいおいおいおいおい」


 椅子をはげしく揺らして阻止するZ先生。


「何ですか?」


「だから授業だって!!」


「授業?」


「授業だよ!もう15分も寝かせてるんだからやるよ!」


「あと、10分・・・」


「だめ!」


「お願いします!もう眠くて無理なんです!」


 必死で懇願するとZ先生はあっさり許してくれた。



「・・・しゃあねえなあ。じゃ、あと10分だけだよー」


「ありがとうございます!」


 再び私の視界は真っ暗になった。


 せっかくZ先生に10分もらったにも関わらず・・・


 だんだん体勢が辛くなってきた!ピンチ!


 目はもうばちばちになってしまっていた。疲れてはいるのに眠れない!

 これじゃあ、10分間、突っ伏し耐久勝負じゃん!


 10分もの間、辛い姿勢と戦うことになった。


「相当疲れてるだろうなー」


「そうですねー」


 2人の優しい会話を聞きながら、必死でタイマーがなるまで耐えた。


                  ーーーーーーーーーーー


 そしてまた10分が経ち、タイマーが鳴った。


「起ーーーきーーーろーーー」


 そう言って椅子を揺らされる。

 1回目はふざけて反応をしなかったが、2回目でむっくりと起き上がった。

 

 再び、Z先生と少年の姿が眩しい。


「え?もうですか?」


 わざとそう言ってみる。そしてまた突っ伏そうとした。


「おいおいおいおいおい!」


 今度は突っ伏そうとした机の上にZ先生の持っていた数学のテキストが置かれた。

構わずその上に突っ伏すと勢いよく椅子が揺らされた。あきらめて再び起き上がる。


「もうですかって、もうすでに授業の半分寝てるんだよ!?ねえ!?」


 そう言って変な顔をしてくるZ先生。私は爆笑せずにはいられなかった。


「ねえ!?なんで笑ってるの?」


「先生の顔が面白いんですもん!」


「うーーわ。最低だな!ってかやるよ」


「はい」


 これ以上抵抗のしようがなくなったので、私はあきらめてリュックからいつもの勉強道具を取り出した。


「それにしても全然起きなかったね」


「私、どこでも寝れる特技あるんですよー、しかも今日めっちゃ疲れてたんで」


「やば」


 そう言って授業を始める。





 この後は何事もなかった様に授業が終わる・・・はずだった。


 



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