A先生との初授業

 七月三十日。この日はA先生との初授業だった。 

 例の女子高生の存在を恐れながらZ先生の授業の為に塾に来たあの日。

 たまたまその女子高生の姿はなく、安心して授業を受けていた。

 ちょっとトラウマは残っていたので少し気まずい授業にはなってしまったのだが。


 その日の帰り、受付に残されて私とZ先生は国語の授業の日程を決めた。


「明日、A先生でどうかな?」


「明日ですか?」


「うん、明日。7時10分からとかどうかな?」


「急ですね」


「急で悪い?」


「はい。でも、空いてますけど」


「じゃあ、明日7時10分。A先生で。絶対に来るんだよ」


「っっっっってえええええええええええええええ!!!!」


「え?だって空いてるんでしょ?」


「ま、まあ、一応。でも急だなって思って」


「ああそう。じゃあ別の日にする?探すのめんどくさいんだよなあ」


「じゃあいいです!明日きますから!」


 その日、早く帰りたかった私は慌てて別日を探そうとパソコンを見やるZ先生を阻止した。


「ほんとに?」


「はい、ほんとです」


「じゃあ、あした7時10分ね」


 そう言われて私とZ先生は別れた。


 それにしても明日か。明日、しかもA先生かあ。初対面ではないけど緊張するなあ。そう考えると不安の波が押し寄せてきた。


 そして迎えた当日。七月三十日。A先生の授業の前にZ先生の授業が入っていた。

Z先生の授業が終わると、一旦受付へと引き戻される。そしてZ先生はA先生の姿を見つけると「A氏にバトンタッチ!」と言って手に持っていた生徒の情報の入っているバインダーをA先生に渡した。


「ああ、ありがとう」


 急なラフな態度のZ先生への反応にはにかみながらA先生はZ先生からバインダーを受け取る。


「じゃ、楽しんでね」


そう言い残してZ先生は消えた。


 私とA先生、2人だけが取り残された。


「今日はよろしくお願いします」


 はにかみながらも私はA先生にお辞儀をすると、A先生も


「よろしくお願いします」


 と私と同じくらいはにかみながらもお辞儀をして返してくれた。


 案内された教室には高校生くらいの少年がすでに座って待っていた。


「じゃあ、ここに座って」


と席を指定され、私は席についた。横にZ先生ではない先生がいることに違和感を感じていた。ずっと不安な状態でいる私。とりあえず、気を落ち着かせる為に自作の英単語ノートを取り出した。しばらく沈黙な状態が続いたが、ついに授業が始まった。


 Z先生の時と同じ様にA先生も気を遣ってまずは隣に座っていた少年に指導を始めた。2人の何気ない会話を聞きながら英単語を頭に放り込んでいく。


 そして私の出番がやってきた。

 横の2人の会話が途切れたなと思った瞬間に英単語ノートを閉じると、ちょうどA先生が私の方を向いて座っていた。私とA先生の目が合った。


「今回が初めての授業だね」


「はい」


「改めまして、Aです。よろしくお願いします」

丁寧に自己紹介をされた。Z先生の最初の授業の時とはまるで大違いだった。


「D村です。よろしくお願いします」


 私も丁寧に挨拶を返した。


「じゃ、早速だけどやって行こうか」


「はい」


「じゃあ、今日はこの教材を使って・・・」


A先生から使い古しの国語のテキストを受け取った。

パラっと開いてみるとくらくらしそうなくらい沢山の文字がずらっと並んでいた。


「どっちが好き?現代文と小説」


「どっちも嫌いです」


即答。


なんでも正直にずばずばと言ってしまう私。実はこの下り、夏期講習の面談の時にもした覚えがある。


塾長に「国語では随筆と小説、二つあるけどどっちが好き?」と聞かれた時、


どっちも嫌いだったので正直に「どちらも嫌いです」と即答をして、その場にいた全員を爆笑させた。


全くおんなじことをよりによって国語の先生の前でやってしまった。


この時、はっと我に返り、A先生のことを傷つけてしまったと後悔した。

でも意外なことにそれを聞いた瞬間、A先生はおかしそうに笑ってくれたのだ。

A先生の笑顔を見て、私はかなり安心した。この人となら、上手くやっていけるかも。そんな気がした。


「そっか、どっちも嫌いかあ」


「国語を学ぶ意味がよくわからないんです」


これも事実。国語なんて漢字が読めればいいじゃん。そう考えている人間だった。


「国語を学ぶ意味がわからないかあ」


あ、A先生怒ってるかな?悪いことしたな。


再び後悔するのも束の間。


「俺も国語教えててよくわからない」


 いや、A先生もわかってないんかーーーい。


心の中でそうツッコミを入れた。


「じゃあそういうA先生は国語は好きなんですか?」


「好きでもないし嫌いでもない」


 「国語、うん、好きだよ」という答えが返ってくると思った私は意外な回答にずっこけそうになった。


「じゃあなんで国語の先生をしているんですか?」


 当然の疑問だ。私は聞かずにはいられなかった。


「うーーーん。俺にもわからない」


そう言って笑うA先生。彼の笑顔に私はこの時、完全にA先生に心を許していた。

 初めてA先生の授業を受けたが、一緒に話をしていて楽しかった記憶がある。

 と言っても大した話はしていないが。


 やはりZ先生のことを探してしまう私がいた。その場にZ先生はいないのに。

 やっぱりZ先生のことが大好きだったんだな、私。




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