第15話 聖域の時は動き出す

 まあ当然と言ってはなんだが、普通に怒られた。


 とはいえ、今までの無策な突撃や、ギミックを凝らした手法が、全く意味のなかったわけではなかった。


 ひとしきりの説教を食らわせた後、きつめのお姉さんはため息を吐きつつ言った。


「それにしても、常軌を逸していますね。ここまでするってことは、何か理由があるんでしょ? あなた方の要望を飲めるかどうかは別として、話くらいは聞いてあげます」


 これもカラスの作戦のうちだったのか、貞彦たちには判断できなかった。


 とはいえ、せっかく得たチャンスを逃すわけにはいかない。


 貞彦たちは、今までの経緯について、話し始めた。


 澄香と始まった相談支援部。


 重ねてきた思い出。


 ここに至るまでの軌跡と、ちょっとした奇跡の物語を伝えた。


 貞彦は、今までのことについて、話し終えた。


 その上で、自分自身の願いを口にした。


 今の白須美澄香に会いたいと。


 どのような状態であっても、向き合う覚悟がある。


 そう伝えた。


「ふむ」


 お姉さんは考えるように、あごに手をやった。


 もたらされる言葉は、次へと繋がる言葉か。


 それとも、全ての終焉がもたらされる言葉か。


 固唾をのんで見守る。


「荒唐無稽な話を、すんなりと信じることが大人とは言えません」


 無慈悲に思える言葉が、振り下ろされる。


 まるで火が消えてしまったかのような、静寂。


 貞彦は顔を伏せた。


「ですが、虚言などと全てを唾棄してしまうことも、スマートとは言えません。それに」


 お姉さんは、遠い目をしていた。


 思い出のアルバムを、一枚ずつめくっているように見える。


「澄香お嬢様ともう一度会いたいのは、私だって同じなのですから」


 お姉さんは表情を和らげていた。


「それにしても、話に聞く澄香お嬢様は、随分といい子になってしまったんですね」


 お姉さんは声を抑えようとしながらも、こらえきれずに笑った。


 クールで堅苦しそうな雰囲気は、崩れかけていた。


 普段は快活で豪快なキャラクターなのかもしれない。


「おっと、思い出話をするにはまだ早いですね。私個人としてはどうにかしてあげたいと思います。ですが、所詮は使用人の一人でしかない私には、権限などないわけです。そんなわけで」


 お姉さんは、凛とした佇まいで、貞彦たちに礼をした。


「この件はきちんと、雇用主様と相談させて頂きますね」











 再会は、思いのほかあっさりと果たされた。


 明確に許可が出たわけではない。


 許すという形にすることで、何らかの不具合が生じるのだろう。


 しかし、澄香がいる場所については告げられた。


 読み通り、医療機関だった。


 望みは薄いとわかっていながらも、近所の病院をさりげなく回っていた。


 けれど、澄香のことを見つけられなかった。


 それもそのはずだった。


 澄香がいたのは、海の見える小さな診療所だった。


 診療所にも入院ができるということを、貞彦たちは知らなかった。


「あまり大人数で押しかけることは、いけませんよ。おっと、そもそも行っても良いとは言えませんでしたね」


 お姉さんは、いたずらっぽく言った。


 貞彦と素直は、病室に足を踏み入れる。


 そこには、白須美澄香がいた。


 潔癖すらも思わせる真っ白いベッドの上で、横たわっていた。


 表情からは生気が感じられない。


 色濃い死の色すらも見えるようだった。


 まるで、時が止まっているようだった。


 本当は、すぐにでも抱き着きたかった。


 涙でも流しながら、無様に名前を呼び続けたかった。


 現に、貞彦は今まで、そうするつもりでいた。


 澄香と再会できた時、自分自身情けなさを全て許そうとすら思っていた。


 けど、何もできなかった。


 澄香のいるこの空間は、何人とも犯せない禁断の聖域だ。


 本当はもう、澄香先輩はこの世にいないんじゃないだろうか。


 そうとすら思えるほどの、儚さ。


 貞彦は、押しつぶされそうな何かで、声を出すことすらできなかった。


「……貞彦先輩」


 第一声を発したのは、素直だった。


 話すだけでも精一杯のようで、重苦しい沈黙が再び訪れる。


 その代わりか、素直はゆっくりと澄香を指さした。


「胸元が動いてる。呼吸をしてる。生きてるってことだよね」


 素直は恐る恐る言った。


 間違っているんじゃないかという不安の中、素直は発言した。


 言われて、貞彦も気づく。


 澄香は呼吸をしていた。


 病的な白い肌には、まだ血が通っていた。


 時計の秒針が時を刻んでいる。


 時間は止まってなどいない。動いている。


 そんな当たり前のことですら、思いつかなかった。


 貞彦は、素直の頭に手を置いた。


 素直を安心させようなどという余裕はなかった。


 熱に触れて、生に触れて、自分自身が安心したかった。


 貞彦は、やっとのことで声を出した。


「ああ。生きている。澄香先輩はまだ、生きているんだ」


 言い聞かせるように、貞彦は言った。


 そうだ。生きているんだ。一体何を恐れて、躊躇うことがあったのだろう。


「そう……そうだよね。よかった――よかったよ」


 素直は、やっと感情が定まったのか、子供のように顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。


 貞彦の体から力が抜ける。慌てて、壁にもたれこんだ。


 そう、よかったのだ。


 どんな形であれ、どのような状況であれ。


 そして、この出来事が幸福であるのかすらわからないけれど。


 澄香がまだ、この世界で生きていた。


 今はただ、その事実だけでよかったのだ。


 貞彦は澄香を直視できなくて、天井を見上げた。


 涙が零れ落ちるまで、多少の猶予は得られただろう。


 貞彦から零れだした言葉は、音として発された。


「澄香先輩――よかった」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る