第10話 今、幸せを感じて

 貞彦は、とても緊張していた。


 白須美家でクリスマスパーティーの開催が決定した。


 ただパーティーをするというのでは芸がない。


 せっかくのパーティーをより盛り上げるために、ちょっとしたひと手間を加えることとなった。


 参加者に送る、手作りの招待状。


 パーティー会場を彩る、キャンドルやカーテン、折り紙を使った装飾品なども飾ることにした。


 澄香は語った。


「パーティーが楽しいのは、その当日だけじゃありません。誰を呼ぼうか、何を飾ろうか、どんな料理を振る舞おうかなど、その準備も含めた全てが、楽しみに繋がるのです」


 澄香の言っていることは、貞彦にもわかる気がした。


 クリスマスパーティーの段取りを進めていき、役割分担まで進んだ。


 今回、貞彦と澄香は買い出し班として、二人で出かけることになったのだ。


 澄香と二人きりになる機会は何度かあった。


 けれど、きちんとした形で、二人きりで出かけるのは、前回のデート以来である。


 決して何かを期待しているわけじゃない。


 けれども、思春期の若さがいらぬ期待を抱かせる。


 年相応に、ドキドキしてしまっていた。


「今日は何を買うんだっけ?」


「ベニヤ板、ペンキ、ハケに、折り紙も二百枚ほど購入しましょうか」


「それにしても、こんなに購入したとして、澄香先輩は大丈夫なのか?」


 参加費として、当日に参加者からいくらか徴収する予定だ。


 とはいえ、回収できる金額よりも、明らかにかかる金額の方が大きい。


 そのことについて言及する者はいなかったが、おそらくは澄香が人知れずに負担をすることになるだろう。


「お金のことなら、心配しなくても大丈夫ですよ」


「でも……」


「お金があることが幸せとは限りません。ですが、お金がないことで目的が達せられないのなら、不幸である可能性は高い。どう思いますか?」


「……一理あるかもしれない」


「お金がないからと言って、不幸であるとは限りません。けれど、お金があることで解決できる問題は多いのです。私にとって幸いなことは、お金に関する心配をしなくても良い、というところでしょう」


 嫌味というわけではなく、澄香は率直に言った。


 事情はわからないが、少なくとも澄香には経済的な不安はない、ということだろう。


 何の遠慮もなく甘えてしまうことは本意ではないけれど、好意を無下にすることも、選びたくはなかった。


「それじゃあ、澄香先輩には特に楽しんでもらわなきゃな」


 お金を負担してもらう分、それ以外のところで、澄香に恩返しをしたい。


 その意図が伝わったのか、澄香は魅力的な笑みを貞彦に向けた。


「貞彦さんがそう言うのでしたら、私はとっても楽しみですよ」






 一通り購入する必要のあるものを、先に見繕う。


 購入しつつ進んでいくと荷物がかさむといった理由から、まずは下見を済ませて、後に一気に購入する作戦をとった。


 下見を済ませた後、一度休憩をとることにした。


 地上十五階、テラス席もある喫茶店に入る。


 大学生らしい集団、パソコンを広げるサラリーマン、読書に励むマダムなど。


 少しだけ場違いな気がして、貞彦は緊張していた。


「そういえば、カフェオレとカフェラテって、何が違うんだろう」


 緊張を悟られない意図もあり、貞彦は無理やり話した。


「カフェオレがフランス語で、カフェラテがイタリア語です。どちらの言葉も、ミルク入りコーヒーという意味です」


 澄香は柔らかな口調で説明した。


 澄香が何かを説明する時は、どこかしら得意げなところに、貞彦は気付いていた。


 そんなところが微笑ましくもあり、おかしくなって笑みを浮かべた。


「そうなのか。じゃあどっちも、同じものなのか?」


「いえ、カフェオレに使われるコーヒーは一般的なものですが、カフェラテに使われるコーヒーはエスプレッソなのです」


「エスプレッソってよく聞くけど、普通のコーヒーとは違うのか?」


「通常のコーヒーは、コーヒーの粉をドリッパーと呼ばれるものに集めて、お湯を注ぎ蒸らして抽出します。エスプレッソは、極細挽きにした豆に圧力をかけて一気に抽出します」


「エスプレッソの方が短時間でできるって感じか?」


「短時間かつ、うまみの部分などをぎゅっと詰め込んで抽出するので、苦いイメージですが濃くてバランスも良い味です」


「なるほどな」


「ちなみに、エスプレッソの生まれた本場のイタリアでは、エスプレッソに大量の砂糖を入れて飲みます。ブラックで飲んだりする日本人は、イタリア人にとっては奇妙に映ることでしょうね」


 澄香は上品に、くすくすと笑った。


 適度に沈黙が訪れる。


 カフェラテが運ばれる。


 口をつけ、その味わいを楽しむ。


 澄香と目が合う。


 思わず、笑顔がこぼれる。


 何か特別なことをしているわけではない。


 気の利いた会話ができているわけでもない。


 それでも、心が温まる。


 昔どこかで聞いたことのある言葉を、貞彦は思い出していた。


 何をするのかが大事なのではない。大事なのは、誰とするかなのだ、と。


「貞彦さん」


「なんだ?」


「幸せは、見つかりましたか?」


 澄香は両手を組んで、その上にあごを乗せていた。


 一枚の絵にしてしまいそうなほど、神々しい瞬間。


 貞彦なりに、真剣に幸せについて向き合ってきたつもりだった。


 幸福とは調和だったり、活動だったり、幻想だったり、様々な見解に触れた。


 お嫁さんになることも、いい大学に行くことも、ともかく楽しそうなことを探すことも、何もかもが正しい。


 幸福に間違いなんてないのだと、思い知らされた。


 澄香の幸せを探そうとしていたら、自分自身が幸せについてのとりこになっているように思える。


 それこそが、澄香の狙いだったのだろうか。


 そう邪推する気持ちがないわけではない。


 だとしても、別に構わない。


 貞彦にとっての幸せとは、例えばの話だが。


「俺は――今のこの瞬間が、幸せだよ」


 澄香は、相変わらず微笑んでいた。


「それは、どうしてですか?」


 何気なく、熟考せず。


 貞彦は、本心を口走った。


「澄香先輩と一緒にいるから、幸せだ」

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