第7話 男二人で……何か起きないわけが

 瑛理は言いたいことを言いたいことを言って、地震で退場した。相変わらず物事を引っ掻き回す、はた迷惑な奴である。


 瑛理の言葉を受けた後、ゆずコンビの様子は明らかにおかしかった。


 柚希の気遣いに、柚夏はそっけなく答えるようになっていた。


 どんなに心配の言葉をかけても、柚夏は「大丈夫だから」としか言わなくなった。


 さきほどの瑛理の言葉を気にしているようだった。


 なんてことをしてくれたんだと、貞彦は瑛理を憎らしく思った。


「ちょっとあっちの壁の方も調べてみるね」


 柚夏は荷物入れの棚に昇り、壁を叩いて調べ始めた。怪我をしても大丈夫なように、今までは男子が中心で調べていた場所だ。


「柚夏。危ないぞ!」


「大丈夫!」


 柚夏は張り切った様子で壁に耳を当てたり、触って様子を探っている。


 慣れていない様子ではあるが、一生懸命さは伝わる。


 しかし、その張り切り様を見て、貞彦は心配になった。


 柚夏の奮闘は、空元気であるように見える。


 そしてそういう時は大抵、足元をすくわれるのだ。


「あっ」


 貞彦が危惧した通り、柚夏は足を踏み外してバランスを崩した。


 柚夏は目を閉じて、衝撃に身を備えた。


 しかし、衝撃は訪れない。


 柚希が咄嗟に柚夏を受け止めて、柚夏がけがをすることを寸前で食い止めることができた。


「ふうっ。だから言っただろ。危ないって」


 柚希は安堵に息を吐いた。


 間一髪で、最悪の事態は避けられた。


 柚夏はほっとしているかと思いきや、不満気な表情をしていた。


「私って、そんなに頼りないの?」


「そういうわけじゃない。けど、ちょっとだらしないところはあるし、この探索は危険も伴うから、危ないことをして欲しくないってだけで」


「それって、私を完全には信用していないってこと?」


「だから、そうじゃないって」


 貞彦は、二人のやりとりを静観していた。


 どちらの言い分もわかる。


 危ない目にあって欲しくはない柚希。自ら役に立ちたいと思う柚夏。


 それの何がいけないのだろう。いけないことなんて、あるわけがない。


 けれど、どうして気持ちはすれ違ってしまうのだろう。


 柚夏の瞳がキッと吊り上がった。


「柚希に頼らなくても、私だってがんばれるよ!」


 柚夏はそう言って、柚希を振り払って駆けだしてしまった。


 すれ違う瞬間、柚夏の瞳に浮かび上がる涙を、貞彦は見てしまった。


「柚夏!」


 柚希が引き留めても、柚夏は止まることはなかった。


 教室から立ち去る。


 三人は慌てて追いかけたが、再び起きた地震により足が取られてしまった。


 揺れが収まって廊下に出た時には案の定、柚夏の姿は消えていた。


 貞彦は困っていた。


 恐れていた出来事が、実際に起きてしまっていた。


 今まではたまたま、はぐれなかっただけで、いつだってこの事態が起きたとしても不思議ではなかった。


 でもまさか、仲違いのようなタイミングで離れてしまうなんて、運命の女神がいるとすれば、大層ないたずら好きなんだと思った。


「なあ澄香先輩……どうしたもんかな」


 貞彦は澄香の方へ視線を向けた。


 そこには誰もいなかった。


「っていねえ!」


 貞彦はツッコんだが、ツッコミを入れている場合でもなかった。


 柚夏どころか、今度は澄香まではぐれてしまったらしい。


 教室には、茫然とした柚希と、愕然とした貞彦だけが残されていた。






「なあ柚希くん。元気出しなよ」


「ありがとう久田さん……」


 貞彦と柚希は、廊下の端で体育座りをしていた。


 柚夏に拒絶のような態度を取られて、かなりショックだったらしい。


「彼女だって別に、柚希くんのことを嫌いになったわけじゃないと思うんだ」


「そうだとはわかってるんだ。わかってるんだけど」


 柚希は項垂れた。


「僕が柚夏を信じてあげられなかったから、いけないんだ」


「信じていないっていうよりは、ただ心配だっただけだろ」


「でも心配をしてしまうってことは、心の奥では柚夏のことを信用していなかったのかもしれない。僕はいつまでも、柚夏を子供扱いしてしまっていたんだ」


「今までそういう関係だったんだから、急に変えるなんて無理があるって」


「柚夏……柚夏が心配だ! お腹を空かせていないかな、拾った物を食べちゃってないかな、あちこちを散らかしていないかな!」


 柚希は心配と落胆のあまり、混乱しているようだった。


 おろおろと首を振り、深刻な表情をしている。


 その姿はもう、幼馴染としてではなく、まるで母親のようだった。


「……訂正するわ。やっぱりちょっとは離れた方がいいのかもしれない」


「久田さんの鬼! 柚夏と離れるなんて、僕に死ねって言っているようなものだ」


「そこまで言ったらもう完全に共依存だけどな!?」


 あまりにも混乱しているらしく、自分が何を口走っているのかわからないようだった。


 普段の彼ならば、きっとこんなことは言わないだろうと思える。


 柚夏との関係が変わることに、言いようもない恐怖を感じているのかもしれない。


 貞彦は、柚希の姿を見て、かつての自分を思い返していた。


 ちょっとした事故で、素直と仲違いしかけたこと。


 急に近づきすぎたことで、澄香とは逆に距離が出来てしまったこと。


 苦しくて悩みの尽きない日々だった。


 色々な紆余曲折があって、がむしゃらに出来ることをし続けた。


 その結果の、今がある。


 出来事が起きるのは、いつだって突然だ。


 何かが起きた時に、それを茫然と見つめているだけでは、きっとダメなんだと思った。


 幸せがこの瞬間にしかないのであれば、チャンスもきっと、今この瞬間にしかない。


 何かが変わろうとしている二人にとって、今がきっと大切な時なのだ。


「俺さ、澄香先輩と一回気まずくなったことがあったんだ」


 貞彦は頬をかきながら言った。


 柚希はわずかに顔を上げた。


「それは、どうして?」


「今までゆっくりゆっくり仲良くなっていったのに、いきなり近づきすぎちゃって、なんだか距離感がわからなくなったんだ」


「でも、今はあんなに仲が良さそうだ」


「ああ。でもその時は、めっちゃ会い辛くて、二週間以上避けちまってた」


「久田さんも、辛かったんだな」


 貞彦は思い出す。


 澄香に会うのが気まずくて、なんだか怖くて、避けてしまっていた日々を。


 その間に、なんだかわっちゃわっちゃとしていて、新しい友達も出来た。


 そしてまた仲良くなれたことで、もっと澄香のことを知りたいと思った。


 その過程は、決して無駄なものだったわけじゃないと、今だから思う。


「まあでも、結果的にはもっと仲良くなれたような気がするんだ。その出来事には痛みも伴ったけど、その分澄香先輩の新たな一面も知ることができたんだ」


「新たな一面か。いつも僕に甘えっぱなしだったのに、自分からやってみようってがんばっているのは、久しぶりな感じがするな」


 柚希は顔を上げる。その瞳は、どこか遠くを見ているようだった。


 貞彦の知らない、二人だけの思い出に浸っているように見えた。


「柚夏を、探さないとな」


 柚希は立ち上がる。もう気弱な表情はなりを潜めていた。


「ああ。その意気だよ」


 その時、スピーカーからノイズ交じりの音声が聞こえてきた。


 耳を澄ますと、思いっきり聞き覚えのある声だった。


「マイクテスマイクテス。あーあー。聞こえているかい皆の者! 落ち込んでいても埒が明かないから、せめてみんなを元気づけてやるぜ! 俺の歌をきけえええええ!」


「やめろバカ!」


 瑛理とサヤの声だった。


 解決の糸口が見つからないようで、やけくそになって放送室を占拠しているらしい。


 サヤが止めたにも関わらず、勢いだけの歌声が校内に響き渡っていた。


「あいつはほんと、どこまでもマイペースな奴だな」


「だね。でもちょっと、元気が出てきた気がするよ」


 貞彦と柚希は、苦笑交じりだが、笑顔を浮かべた。

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