第7話 近づく そして見えてくるもの

 白組との敗戦から三日経った。


 こっぴどく負けたことで、反発的に士気が上がるかと思いきや、実際には逆だった。


 ひどい負け方をしたことで、チームの士気はどんどん低下していった。


 本番でもどうせ負けてしまう。


 どんよりとした空気が紅組の間では漂っていた。


 やる気を出すように言ったところで「どうせ勝てないんだから」と後ろ向きに返されてしまう。


 勝ち負けにこだわるのではなく、がんばること自体の意義を説いても「それが何になるんだと」言わんばかりの雰囲気で返される。


 貞彦と素直は、どうしたらいのかわからなくなっていた。


 とりあえずは作戦会議をしようと、貞彦は提案した。


 素直は考えすぎているあまり、出かける気にもならないのだと提案を突っぱねた。


 それじゃあ、素直の家でもいいと貞彦が言った結果、休日に素直の家にお邪魔することになった。






 素直の家は、商業地区に面する住宅街の一角にあった。


 白を基調とした二階建て。車が二台駐車してある。大きな外観状の綻びはなく、ごく普通の一軒家だった。庭もあり草花の手入れもされている様子で、一般的な裕福さを感じた。


 玄関チャイムを押すと、ものの数秒で扉が開いた。


「貞彦先輩こんにちは!」


 素直は普段よりおしゃれをしているようだった。髪の艶が良く、クルッとしたくせっ毛には枝毛も見当たらない。


「お、おう。こんにちは」


「こんなところにいるのもなんだから早く上がって」


「お邪魔します」


 玄関をくぐり、二階の素直の部屋に案内される。


 素直の部屋は、案外シンプルだった。


 原色系のカーペットに、ヒーロー物の学習机。いくつかの漫画が収められた本棚。真っ白なシーツにチェック柄のブランケット。


 男の子の部屋だと言われても、納得できそうな感じだった。


「お茶だよ」


「ありがとな」


 パステルブルーのちっちゃなテーブルを囲む。お茶は二人分。底にサンゴみたいな柄のあるコップ。沖縄の海を想像した。


 何を話すべきか、貞彦は迷う。


 わかりやすく、大丈夫だとか、まだ勝負はわからないとか、気休めの言葉でも投げかければいいのかもしれない。


 それでも、簡単にはそんなことはできない。現実を直視することは辛い。勝てないだろうって。


 かといって、見えもしない希望にすがることも、なんとなく許しがたい。


 ただ黙々と、お茶だけが消費されていく。元気いっぱいな素直も、何故かあまり話さない。自分の城であるはずなのに、迷子になっているかのようだ。


 気落ちしているままじゃ嫌だ。何か楽しい話でも。


 楽しいことと言えば、お泊り会で話した、男子限定のバカ話。誰が可愛いかなんて、他人にとってはくだらなすぎる語り合い。


 それでも、かけがえのない思い出になっている。


 そのことを思いだした時、急に罪悪感が沸き上がってきた。


「素直……あの時は本当にごめんなさい」


 貞彦は頭を下げた。


「え、え? どうしたの突然!?」


「いや、お泊り会の時に女子部屋に突撃したことが、今更になって罪悪感になっているというか……」


「もう気にしていないから大丈夫だよ。というかどうしてあんな流れになったの?」


「実は……」


 貞彦は、誰が何を話したかまでの詳細は割愛して、男子たちが話していたことを説明した。


 素直はやっぱりジト目になっていた。


「男子って本当にバカばっかりなんだね」


「おっしゃる通りです」


「でも実はねわたしたちも人のことを言えないんだよね」


 素直は恥ずかしそうに笑みを浮かべる。いたずらがバレてしまった時のような、申し訳なさとお茶目さが混じったような形。


「それってもしかして、女子たちも同じような話をしていたのか?」


「まあそうだよ。男子の中で誰がかっこいいのかって話ね。内容を話しちゃうのはマナー違反だから言わないけどさ」


「そっか……」


 貞彦は、内容がものすごく気になっていたが、強がって静観に努めた。


「すごく聞きたそうな顔をしてるね。貞彦先輩がなんだか子供みたいでかわいい」


「うるせー」


「誰が言ったかまでは教えてあげない。けどけっこうみんなの話題はあがってたよ。貞彦先輩に対する悪口もあったけど」


「多分だけど、その内訳の八割方は紫兎だな!」


 貞彦はそうであって欲しいと願っていた。


 自分自身が完璧などとは思わないけれど、少なくとも嫌われているわけではないと思っている。


 どうか、実はみんなに嫌われていて『貞彦の奴勘違いしてるよなー超ウケる―』とか言われていないことを切に祈った。


「なんだかナイーブっぽいことを考えてない?」


「エスパーなのか? エスパータイプなのか?」


「わたしは多分ほのおタイプとかじゃないかな。心が狭い貞彦先輩のために一つだけ秘密を教えてあげるよ」


 素直は身を乗り出して、貞彦の耳に顔を寄せた。


「貞彦先輩のことをいいって言ってる人はけっこういたんだよ」


 貞彦は少しだけ嬉しくなった。


 散り散りになりそうな心が、何かで満たされる。


 誰かに思われているだけで、こんなにも心は楽になる。


 自分自身に満足して生きていける強さ。そんな素晴らしい物があれば、他人を必要としたりはしないのかもしれない。


 けれど、人は弱い。自分自身に足りない部分を、求めずにはいられない。渇望せずにはいられない。


 他人を求める弱さがあるからこそ、人は誰かと関わりたいのかもしれない。


「なんだか、ちょっとだけ気持ちが楽になったよ」


 本当は素直を慰めに来たのに、自分が慰められてどうするんだという気持ちもある。けど、素直な気持ちは伝えておきたいと思った。


「心が弱くて繊細な貞彦先輩には苦労するよ」


「俺に比べると、素直は強いな」


 何気ない一言だった。


 てっきりいつも通り「貞彦先輩とは違うからね!」と強気に言い張るかと思っていた。


 素直は沈黙していた。


 落ち込んでいるというのも違う。怒りに燃えているわけではなさそうだ。


 何かを落としてしまったような、そんな顔をしている。


「わたしだって本当は強くないのかもしれないよ」


 素直という人間像が崩れていくように感じた。


 素直だって人である以上、元気な時ばかりではない。当たり前のことだ。


 そんな当たり前が受け入れられないことに、貞彦自身が一番驚いていた。


「わたしはやりたいことをやりたいようにしているかもしれない。でも本当にそれでいいのかなとか実は自分が間違っているんじゃないかなとか思う時だってあるんだよ」


 弱々しい口調。風に吹かれて折れてしまうんじゃないかとすら思う。


 間違っているかもしれないという迷い。貞彦だって感じている。


 正しいことはわからないけれど、間違っていることはわかる時もある。正しさと間違いは裏表なんかじゃなく、表裏一体のように思う。


 貞彦はどう答えるべきか迷っていた。


 まりあだったら、抱きしめればいい。澄香だったら、気の利いた言葉を送ればいい。


 でも、久田貞彦だったら。


 考えがまとまらない。体がうずうずしている。こみ上げてくる物理的な奔流に、思考は乱されている。


 このタイミングで言い出すことが心底情けなかったが、貞彦は勇気を出して言うことにした。


「素直……一つだけ頼みがあるんだ」


「なにかな?」


「トイレを貸してくれ。お茶を飲みすぎたみたいだ」


 素直は呆れたようにため息をついて、苦笑交じりに笑った。

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