第1話 素直は可愛い

「覚えてろー」


 と負け犬のような捨て台詞を吐いて、善晴は去って行った。


「えっと、彼と素直はどんな関係なんだ?」


「善晴くんはクラスメイトだよ。普段はあんな感じじゃないんだけどな」


 素直は首をひねっていた。


「じゃあ普段の彼はどんな人なんだ?」


「クラスで学級委員をやっていて正義感が強くて真面目な男子だと思う」


「正義感が強くて真面目ねえ」


 素直の抱いた印象が、間違っているわけではないと貞彦は思う。


 きっと彼には彼なりの正義感があり、その気持ちに従って行動をしているように思う。


 間違っているわけではない。


 相談支援部としての活動は、楽しくも刺激的であると思っている。


 しかし中には、他人に迷惑をかけてしまっていると思える出来事もないわけではない。正しいことか間違いだとかは置いておいて、風紀委員が暴れ出したり、ネコが暴走して男子生徒を襲撃したことは事実である。瑛理に至っては、学校全体の生徒にいたずらを仕掛けている。


 もしもの話をするならば、相談支援部の関りがなければ、おそらくは起きていない出来事なんだと考えられる。


 他人に迷惑をかけてしまうことを、貞彦は正当化することはできなかった。


 かといって、善晴が正しいと言ってしまうことには、違和感を覚えていた。


「普段の吉沢さんが、決して悪い人間性を持っているわけではないということは、察することができます」


「そうなんだよね。クラスで勉強が苦手な人には丁寧に教えているし残っている生徒がいたら手伝ってあげたりしてるからね。悪い人じゃないんだけどなあ」


 素直は不思議そうに言った。


 人間関係の好き嫌いもはっきりしている素直が、善晴のことを認めている。


 いきなり貞彦を諸悪の根源だと言い放つことには、釈然としない。


 善晴を信じることはまだできない。


 けれど、素直が言うことであれば、信じられるように思えていた。


「この中で一番吉沢さんのことを知っているのは、素直さんですね」


「そうだね」


「それでは素直さんにお聞きします。吉沢さんはどうして、相談支援部が悪の組織だと言い放ったんだと思いますか?」


 澄香は微笑みつつ問いかける。


 合っているかどうかはわからないが、一つの答えが思い浮かんだ。


 善晴はあくまで、悪いのは相談支援部だと決めつけていた。素直自身が悪いなどとは、一言も言っていない。


 さらに言うと、澄香ではなく貞彦に対して敵意を向けていた。諸悪の根源だと、独善的な物言いで。


 貞彦を見据える、憎々しさに覆われた瞳。悔し気に歪む口元。強く握られた拳。


 その理由については、なんとなく想像ができると貞彦は考えた。


 しかし、素直は思いのほか答えには辿り着かないようだった。


「うーん。善晴くんにとっては悪いことをしちゃってたからかなあ」


 素直は悩まし気に言った。


「発言的には、その通りですね。しかし、それはあくまで出来事に対する評価ですね。そのような評価を下す理由について、考えてみることも良いのかもしれません」


「理由かあ」


「はい。どうして吉沢さんは、素直さんにここにいて欲しくないと言っていたのでしょうか?」


 素直は再び考え込んだ。


 じっと考えていることが苦手らしく、頭をかきむしったり、うろうろと歩き回っていた。思考と行動が似たような動きをするらしい。


 苦悩というタイトルをつけることができそうで、貞彦は少しだけ面白がっていた。


 ついにはソファーでブリッジを始めた素直は、突然「あっ」と声を上げた。


 貞彦は澄香との二人ババ抜きを中断した。


 ちょうど八回目のババの引き合いだったため、辞めるにはちょうど良かった。


「善晴くんは正義感が強いからクラスメイトが悪いことをしようとしていたから止めようとしているのかな」


 素直は自信満々に言い放った。


 澄香はニコニコしている。少しだけ笑顔が固まっている。


 貞彦はため息をついて、素直の頭に手を置いた。


「素直は可愛いな」


「ほんと? えへへーありがとう!」


 妙なところで勘が鋭いのに、自分のこととなると、的がズレているように感じる。


 素直を部活動から離したい理由。わざわざここまで言いに来た理由。


 そして、貞彦に対して突っかかってくる理由。


 どう見ても、善晴は素直のことが好きなんだと思う。


「素直さんにとっての答えを、否定するつもりはありません。それがきっと、素直さんにとっての真実なのですから」


「なんだか含みのある言い方だね」


「素直さんは可愛い。そういうことですよ」


「澄香先輩にもほめてもらえた。やったー!」


 素直は部室内を走り回って、喜びを表現していた。


 貞彦にとって、素直は不思議な存在である。


 猫のように気まぐれで好きなようにしていたり、犬のように真っすぐに尻尾を振って、懐いてくれているように見える。


 そして、鋭い一言で時々傷つけてくる。やばい、思い出しちゃったと、貞彦の狭い心は傷ついていた。


「なあ澄香先輩」


「なんですか貞彦さん」


「善晴くんのことなんだが、どう見ても……その」


 貞彦は口をもごもごさせていた。


 善晴はきっと、素直のことが好きなんだと思う。


 そんな簡単な一言も、張り付けられたように口から出せない。


 たった一言、おそらく間違っていないはずの内容。


 それでも言い辛い理由はきっと、自分自身にあるような気がする。


「貞彦さんは本当に、素直さんのことが好きなんですね」


「へ?」


 ズバッと言われて、貞彦の心臓はバクバクと早鐘を打つ。


 心を見透かされたようで、なんだか居心地が悪く感じる。


「そりゃ嫌いなわけがないし、素直のことは好きだけど、なんていうか」


「貞彦さんもとても、可愛らしいです」


 ニコニコとした笑顔の中に、からかうような色を見つける。


 貞彦は、どうしていいかよくわからなくなっていた。


 思い出すのは、夏の海での出来事。


 人生の意味を語る、澄香の儚げな表情。波にさらわれて、どこかへと消え去っていくのではないかと、心配が押し寄せる。


 思えば、最近の澄香は、自分がいなくなった後について考えているように思える。


 部活動について、決定権を貞彦に任せたこと。自分が前に出るのではなく、サポートに回るように一歩引いた姿。


 それでも、どうしても忘れられない激情。過ぎ去った思い出。あと一歩で触れられそうだった、澄香の深淵。


 貞彦は、澄香の真意を測りかねていた。

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