第9話 澄香先輩はいいとこのお嬢様説
澄香の家は、小高い丘の上部に面する住宅街の一角にあった。
隣接する家はなく、真っ白な壁と格子状のゲートに守られている。ゲートの先には、遠方にあるためか、小さく錯覚する家が見えている。
薄々と感じていた。
なんのためらいもなくタクシーを利用したり、人の家に訪れる際には手土産を買って行ったり。
白須美澄香は、いいとこのお嬢様なんじゃないかと。
推測が確信に変わったけれど、だからといって接する際の態度を変えようとは思わなかった。
チャイムを押すと、ゲートが全自動で開く。あからさまに露出している、監視カメラに迎えられる。警備が厳重なことはわかるが、あまりいい気はしなかった。
合流した澄香に案内されて、家の東に位置する中庭に辿り着く。防火用の蛇口とホース。木に結ばれたふかふかのハンモック。光沢の入ったウッドチェアにウッドテーブル。十人分くらいは同時に焼けそうな巨大バーベキューコンロ。
大人数を呼んで大丈夫だろうかと心配していたが、いらぬ心配だった。
「おっ久田くんも来たんだね」
「よう。お前も準備を手伝えよ」
御剣と天野が近づいてきた。首にタオルを巻いて、噴き出る汗を拭っている。もうすでに準備を始めているようだった。
テーブルの方では、奥霧と香田が日よけのパラソルを組み立てていた。どうやら、男性陣は全員揃っているようだった。
木炭をコンロに移し、人数分のコップや皿を準備する。
「皆様、お手伝い頂きありがとうございますね」
ストローハットをかぶった澄香は、周囲に労りの声をかけた。
貞彦は額の汗を拭いつつ、澄香に近づいた。
「男子はみんな来ているみたいだけど、女子はどんな感じなんだ?」
「ほとんど揃っていますよ。女性陣には、食材の下ごしらえを手伝ってもらっています。猫之音さんと湊さん以外は」
「その二人はどうしたんだ?」
「湊さんはまだいらっしゃっていません。もしも道に迷ったりしていたら、貞彦さんが迎えに行ってあげてくださいね」
澄香に言われて、貞彦は少し心配になった。
紫兎を誘った時に返ってきた返事は、「行けたら行く」という内容だった。
めんどくさがりにとって、行けたら行くは、行かないという意味だ。
しかし、今は紫兎のことを信じるしかなかった。
気になるのは猫之音の方だった。まさかまた、大変なことになっているんじゃないだろなと、貞彦は怪しむ。
「それで、猫之音は?」
「あそこです」
澄香が指さした先には、風に揺れるハンモック。派手な印象のビビッドピンクの隙間から、絹のような繊細さの黒い糸が流れている。
というか、猫之音ネコが寝ていた。
「猫之音、お前って奴は……」
「ふふふ。とても気持ちよさそうに寝ているので、起こしてしまうことをためらってしまいました」
「澄香先輩はそれでいいのか?」
「別にいいと思います。本当は、私一人で準備をしようと思っていたのですが、皆様が自発的に手伝って頂いたのです。皆様はゲストですから、もてなされる側としていて頂ければいいのに、助かりました」
澄香はなんでもないように、手伝いをしない猫之音のことを受け止めた。
貞彦は、部室での澄香と紫兎が話していたことを思い出していた。
何もしないことは、殺人よりも大罪だという思想。
みんなが働いているんだから、猫之音も当然手伝いをするべきだ。
気が付かないうちに、そういった理論で物事を見ていたことに気づかされる。
なんてこった。紫兎の言っていた通りじゃないかと、貞彦は愕然としていた。
「優しさや思いやりは素晴らしいものです。ですが、そのことを強要することは正しくはないように思います」
「そうだな。俺は今、手伝うっていう優しさのつもりのことを、人に押し付けそうになったよ」
ふいに、視界の下方から何かがよぎる。
気が付くと、澄香に頭を撫でられていた。
「ご自分で気づいて反省することができる。とても素晴らしいじゃないですか」
「少しだけ、また紫兎の言っていることがわかったよ」
「大丈夫です。過ちも間違いも、絶対的に取り返しのつかないことは、そう多くはないものです。貞彦さんが日々成長していることを、とても嬉しく思いますよ」
澄香の笑顔に励まされて、貞彦の表情に柔らかさが戻っていた。
バーベキューパーティが始まる直前、来ないんじゃないかと懸念されていた紫兎も合流した。いつも通りのうさ耳パーカー姿は変わらない。
男どもが代わる代わる火の係を引き受ける。今は奥霧が肉だけでなくしいたけも並べていた。
「あっ。久田先輩。お疲れっす」
奥霧は
「久しぶり。最近はミュージックフェスティバルの準備をがんばっているみたいだな」
「自分がやりたいって言ったことっすからね。俺ががんばんないと、峰子先輩にも申しわけないと思います」
「そうだな。俺も出来る限りは手伝うから、無事に成功させられるといいな」
「はい。ありがとうございます」
奥霧は頼もしく頷くと、一転して尊敬の眼差しを貞彦に向けた。
「それにしても、久田先輩はさすがっすね」
「何が?」
「猫之音先輩に天美カナミと言えば、一年生の間でも有名人すから、俺でも知ってます。それに、まさか『りあみゅー』のメンバーとも知り合いだなんて」
「あいつらって、有名なのか?」
方向性は違うが、あの三人は三者三様で容姿がいいことは認める。しかし、それ以外のことについては、貞彦はまだほとんど知らなかった。
「ライブハウスに突然現れた新星だって、少しずつ話題になってるんすよ。正統派のバンドのような雰囲気なのに、パフォーマンスにも長けていて、徐々に人気を獲得しているんすよ」
「そうだったのか」
相談に乗っておきながらも『りあみゅー』のメンバーの実力も、実際にどんな曲を演奏するのかも貞彦は知らなかった。
興味がないわけではない。むしろ逆である。
興味があるからこそ、練習の場面を見てしまうことがためらわれる。全てを出し尽くす本番になって、彼らの真の実力について知りたいと、貞彦は思っていた。
奥霧が語る熱を感じて、貞彦はますます本番を楽しみに思った。
「ミュージックフェスティバルでも、トリを飾ってもらうようにセットしているんすよ」
「それは、楽しみだな」
「でも何より驚いたのは、湊紫兎先輩がいることすよ」
奥霧は興奮気味に言った。
肉が焦げそうになっていたので、貞彦は肉をひっくり返して回った。
「紫兎がいるからって、なんでそんなに興奮しているんだ?」
「知る人ぞ知る歌姫の湊紫兎を知らないんすか?」
「いや、お前が知る人ぞ知るって言ってるじゃん。知らない人も多いじゃん」
「特にライブをやったりしているわけじゃないのに、なぜか噂だけが流れているんすよ。その歌声を聞いたものは感情を揺さぶられ、いかなる悩みや困難からも解放されてしまう」
「それはさすがに、胡散臭いな」
「誇張はあるのは間違いないすね。けど、俺もたまたま湊先輩が歌っているところを聞いたことがあって、その場で泣き崩れました。まるで天使の祝福を受けているような、悪魔のささやきに耳を貸しているような」
「その感覚は、なんとなくわかるな」
初めて紫兎の歌を聴いた時、理由もわからず涙が溢れてきた。
ただの才能という言葉で片づけられない。大げさかもしれないが、まるで魔法にかけられたようだった。
そうとしか言えないほどの、原因不明の陶酔。
けれど、その時の紫兎のつまらなそうな顔の方が、印象に残っている。
「まさか湊先輩に会えるなんて思わなかったっすよ。あーサイン欲しい。ダメならせめて罵って欲しいっすね」
「お前そんなキャラだっけ!?」
貞彦は思いっきりツッコんだ。
奥霧は音楽全般が好きらしいと言うことが、この時になって初めて知ることができた。
そして、相変わらず紫兎のことを貞彦は考えていた。
どいつもこいつも、紫兎の歌を聴くことで感動する。
勝手に、自動的に感動する。
紫兎にとっては、定められた運命染みた展開が気に食わないんだろうか。
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