第11話 澄香といると普通(?)のラブコメに巻き込まれる
貞彦が目を覚ますと、そこは学校の教室だった。
四十人ほどの生徒たちが授業を受けている。自身が所属している二年F組の教室かと思ったが、違和感に満ちていた。
見たことがある奴もいれば、クラスメイトなのに全然知らない奴もいた。一部の生徒なんか顔が黒く染まっていて、ホラーめいた光景に見えた。
何より、クラスどころか学年が違うはずの澄香と素直が隣の席に座っている。
これはおかしい。
そう思ったところで、右隣の澄香がいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「貞彦くん。私、教科書忘れちゃったんだけど、見せてくれないかな?」
いつも過剰なくらいに丁寧な言葉遣いの澄香がタメ口だった。
貞彦は混乱のあまり、あんぐりと口を開けたままだった。
視界に入ったのは、ちゃっかりと置かれている筆記用具と、数学の教科書。
「って忘れてないじゃん。持ってるじゃん」
貞彦がツッコむと、澄香はあからさまにむっとした。
「貞彦くんはつれないなー。こういう時は、見てみないふりをするものじゃないかな」
「見えちゃったもんはしょうがねぇだろ……」
理不尽に怒られたことで、貞彦は納得がいかない気持ちになった。
「えーい」
澄香は強引に貞彦の机と自分の机をくっつけた。
途端に澄香との距離が縮まり、爽やかな香りに包まれた。
表情の変化どころか、息遣いまでわかるほどに近い距離。
「ちょっ、澄香先輩!」
思わず澄香を呼ぶと、不思議そうに見つめられた。
「先輩? 同級生なのに先輩だなんて。貞彦くんはおもしろい冗談を言うんだね」
くすくすと笑う澄香は、普段の表情よりも身近なものに感じた。
なんとなしに感じる関係の壁や、仮面はどこかに消えてしまった。
より深く、自然体な姿だと思える。
どうするべきかと焦っていると、反対側からも声をかけられた。
「貞彦くん! えーとわたしもくっつきたいからくっつくね!」
「お前はもう少し言い訳を考えろ!」
貞彦がツッコんている暇に、素直はすでに貞彦のすぐ側まで近づいていた。
なんだかベクトルが違う気もするが、素直はどこまでいっても素直な奴だった。
「なに? なんなんだこれ?」
色んな意味で脳が沸騰しそうだった。流れ来る情報量が多すぎて、うまく整理できそうになかった。
ここはどこ?
というか、おれはだれ?
「恥ずかしがってるところも可愛いけど、もっと正直な貞彦くんを見たいなあ」
澄香に耳元でささやかれる。聞いたことのない甘みに満ちた声。
吐き気を催すほどのゾクゾクを感じていると、おもむろに左腕にぬくもりを感じた。
素直に抱き着かれていた。
「貞彦くんに触れていると落ち着くなー」
頬ずりまで追加された。
澄香と素直に挟まれて、思考力はどんどん制限されていく。
数学の公式を書きながら、源氏物語を解説している教師は、貞彦たちの行為を止めようともしない。
周囲の生徒たちも我関せずで各々好きなことをしていた。
貞彦たちが見えていないというよりは、興味の対象とされていないように思う。
毎日通りかかる道端に、ほとんど注意を払わないことと同義なのかもしれない。
この異空間じみた教室にとって、貞彦たちの様子は当たり前のことなのかもしれない。
それでも、貞彦はまだ認めるわけにはいかなかった。
「澄香先輩に素直も、なんだかおかしいって」
「おかしい?」
「そんなに変かな?」
二人はキョトンとしていた。
おかしいのは貞彦の方だ。そう言っているかのごとく。
「ねえ貞彦くん。天動説って知ってる?」
「一応、知ってるけど」
「さすがだね。地球は止まっていて、空の方が動いているんだって考え方が世界の常識だった。でもね、貞彦くんも知っている通り、実は地球の方が動いているんだよね」
「そんなの、当たり前のことだろ」
澄香は蠱惑的に笑った。
「今の私たちには当たり前の常識でも、昔はそうじゃなかった。雨を降らすのに雨ごいは関係ないし、世界を支配しているのは聖典じゃなく貨幣だし、魔女もヴァンパイアも鬼もいない。けれども、かつては常識であり、真実とみなされたんだよ」
いかにも澄香が言いそうなことを、澄香は言った。
「そーだよね。今まで本当だと信じていたこともどうなるかわかんないよね。真実はあるのかもしれないけどわたしたちが見えていているものが本当とは限らないんだよね」
素直も澄香の意見に同調しているようだった。
かつて信じられていたことが、科学の力が進むにつれて解明されたものが増えていった。
今日までは物理法則に支配されている世の中も、いつひっくり返るのかわからない。
ぐらぐらとして不安定な足場でもがいている。
常識とは、とても儚いものかもしれないと、思わされていた。
「貞彦くんの常識から考えると、こんな私は嫌いなの?」
澄香は貞彦に顔を寄せた。
「貞彦くんにとって積極的なわたしはわたしじゃないのかな?」
素直は両腕を貞彦に絡ませ、体を密着させた。
『ねえ』
二人分の声が重なる。
脳髄に響く蜜のような毒に、溺れてしまいそうになる。
溶かされてしまったのは、おかしいという思いだった。
朝の通学路。眠気を堪えながらいつもと変わらぬ道を歩く。
貞彦は大きくあくびをした。月曜日の気だるさが毎週のように訪れるので、たまには休んでくれてもいいと皮肉めいたことを思う。
「せんぱーい」
控えめながらも、よく通る可愛らしい声が聞こえたが、貞彦は振り返りもしなかった。
「せんぱいってば!」
さっきより近くで聞こえた気もするが、眠気と戦っていてそれどころではなかった。
それにしても、朝っぱらからこんな熱心に呼ばれるなんて、せんぱいとやらは大層良いご身分なのだろうと貞彦は考えていた。
「無視しないでくださいよぉ」
突然目の前に現れた誰かに、涙目で迫られた。
誰かと思えば、後輩の大見美香子だった。
「悪い悪い。俺は今、人生最大の宿敵と戦っていてだな」
「宿敵って、一体誰なんですか?」
「睡魔」
「私は、睡魔よりも劣る存在なんですか……」
しゅんとした表情で美香子はうつむいた。
いつまで経っても甘えん坊の美香子は、高校生になっても貞彦にべったりだった。
ちょっといじわるをしすぎたかな、と貞彦は思う。
いじけたりすねたりする表情が可愛くて、ついいじわるをしてしまう貞彦だった。
「悪い悪い。お前の可愛い顔が見たくってな。ついいじわるしちゃったよ」
貞彦は美香子の頭に手を置いた。
美香子は頬を膨らませていたが、なでなで攻撃を加えると次第にふにゃっとなっていった。
「えへへ。先輩になでられちゃった」
貞彦が歩き出すと、美香子は慌てて貞彦の隣に並んだ。
全く。いつまで経っても子供みたいなやつだ。
貞彦は溜息を吐きつつも、表情は晴れやかだった。
「はあーダルい」
語りだすと止まらない物理学教師が、効果てきめんな睡眠魔法を詠唱し始めたので、貞彦は体調不良を装い保健室へと避難した。
保健医はたまたま不在だったので、チャンスとばかりに保健室のベッドを占領したのだった。
ふかふかのベッドに身を落としていると、堕落の心が際限なく増長される。
このまま午後の授業はサボっちまおうかなと考え、貞彦は眠りに身を委ねようとした。
いい感じに意識が途切れ、いざ素晴らしき睡眠の世界へ!
そう思っていた最中。
「ウェーイ!」
幸せな一時を容赦なく破壊する声が聞こえた。
ぎしぎしとベッドが軋み、驚いて飛び起きると、何者かが貞彦に覆いかぶさっていた。
「……何してんだよカルナ」
カルナは挑発するような表情をしていた。
「いやーたまたまサダピーを見かけて、サボり魔くんを注意してやろうと思ってさ。サボりはいけないじゃん」
「今は授業中だろ。お前がここにいるってことは、バッチリサボってんじゃねぇか」
「サダピーったらスルドイ―。マジウケる」
言葉を返されたにも関わらず、カルナはケラケラと笑っていた。
カルナは貞彦を押し倒すような格好を崩さない。
四つん這いで前かがみになっている。カッターシャツのボタンは上二つが外されており、貞彦の目の前には秘密の谷が揺れていた。。
「サダピーったらどしたの? なんか照れてる?」
「いや、お前……胸が……」
貞彦の発現を理解して、カルナの瞳はますます愉快な色を帯びた。
「なんだか――今日はあちぃよね」
わざとらしくカルナは言うと、シャツのボタンを更に一つ外した。
適度に焼けた健康的な肌色が面積を増す。
じっと見ていたらこいつのペースに飲まれる。
そう思ってはいるものの、理性は本能に勝てなかった。
目の前の巨大な山脈からは、うまく目を逸らせないでいた。
「そんなに情熱的に見ちゃってぇ、超ウケるんですけどー」
カルナはそのまま貞彦に抱き着いた。
より肌が密着し、ダイレクトな柔らかさが脳に響いていた。
「ちょっとからかうだけのつもりだったけど、今日はこのまま……サボっちゃおっか」
囁くように言われて、悔しいが貞彦は誘惑に屈した。
いつか絶対に仕返ししてやると、そう心に誓いながら。
放課後になったところで、貞彦は勢いよく教室を飛び出した。
クラスメイトの澄香や素直からできるだけ早く退避したかったからだ。
なぜかはわからないが、授業中だけでなく、休み時間や移動時間でもやたらと絡んでくる。
体を密着させたり、卵焼きをあーんしてきたり、両隣で挟まれていると、他の生徒の邪魔にもなってしまうのだった。
クラスメイトの太田と甲賀には「また美少女サンドイッチだよ……」と風評被害を受けた。サンドイッチということは、俺たちは食われてしまうのかと、貞彦は思った。
ともかく、少しでも気が休まるように安息の地を求め旅立ったのだ。
顔のない生徒たちを追い越しながら、はてどこに行こうかと考えた。
美香子といいカルナといい、今日は随分と交流が濃密だったように感じる。嬉しくないといえば大嘘になる。
しかし、青春ゲージは急上昇なのだが、精神のダメージもがんがん急上昇。少し癒しが欲しいなあと、身勝手ながら思った。
無意識的な選択があったのか、気づいたら生徒会室に辿り着いた。
扉を開けると、「きゃあ」という可愛い悲鳴が響いた。
悲鳴の理由を探るために周囲を見渡す。
峰子が着替えをしていた。
「さ、貞彦くん。見ないでくださああい」
「ご、ごめん」
慌てて扉を閉めた。
なんてこった。峰子の着替えを目撃してしまった。
貞彦は罪悪感に襲われながらも、脳内ではちゃっかり峰子の着替え姿を思い返していた。
腕をクロスさせて首元まで体操着を脱ぐ途中で、それはもうバッチリと上半身の柔肌が見えてしまうわけでして。
意外というかなんというか、峰子先輩ってけっこうたまらんボディというか。
エロ親父のようなことを貞彦は考えていた。
「どうぞー」
着替えを終えたのか、峰子は貞彦を呼んだ。
生徒会室に入ると、峰子は何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべていた。
わずかに顔が朱色に染まっているが、悟られないように隠しているようだった。
「ミネミネ先輩、さっきはごめんな」
着替えを目撃した件を詫びると、峰子はあからさまに表情をひきつらせた。
「な、なんのことですか? 今日貞彦くんと会うのは、今が初めてじゃないですか」
口ごもりながら峰子は言った。
どうやら、さきほどの出来事をなかったことにしたいらしい。
貞彦は、峰子の思惑に従うことにした。
「そうだったな。勘違いだった」
「そうですそうです。わかってくれれば良いのです。せっかく来ていただいたんですから、ちょっとお茶でも……きゃああああ」
せっかく空気を戻しつつあったところで、峰子は床に転がっていた体操着を踏みつけて転んだ。
不思議な力が働いたのか、スカートが都合よくめくれていた。
ブラと揃えられたパステルカラーを目にした瞬間、貞彦の意思とは無関係に脳内フォルダに保存されていた。
「み、みないでえええええ」
峰子のドジっ子ぷりには参ったもんだ……。
可愛い後輩。積極的なクラスメイト。挑発的なギャル。ドジっ子な先輩。
バカみたいな日常。騒がしくて忙しない。時折休みたいとすら思うほど、誰かに囲まれている。
けれど、世界は今日も平和である。
貞彦はそう思った。
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