第1話 被害者K

「俺……このままだと死んじゃうかもしれないんです」


 深刻そうな表情で、相談者である二年I組の香田光樹こうだこうきは言った。


 常に緊張状態なのか、体全体は強張っている。よく眠れていないなのだろう、目の下の隈は深く暗い。心境が如実に表れているように感じる。


 相談内容を聞いて、貞彦は困っていた。


 部活動で相談支援を行ってはいるが、人の生死を問われるような問題は、さすがに手に余る。


 自分たちのやってきたことが、全くの無駄だったとは思わないし、何かしらの変化や獲得があったと思っている。


 けれど、人の命を救えるほどにすごいことをしてきたとは、到底思えなかった。


「それは大変なことですね。よろしければ、詳細をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 内容が内容だけに、さすがの澄香も笑みを浮かべてはいなかった。


 香田の表情や雰囲気から、決して冗談や狂言で相談に来たわけではないことが、わかっているのだろう。


「実は俺……ずっと恐ろしくて恐ろしくてたまらない人がいるんです!」


 香田は両手で自分の体を抱きしめ、ガタガタ震えだした。


 思い出すだけで身体反応が出るなんて、ただごとじゃないと貞彦は身構えた。


「一体何が恐ろしいのですか?」


「小学生の頃、とあるいたずらが流行ってて、誰彼構わずに色々な人に仕掛けていた時期があったんです」


「はい」


「こう言うのもなんですが、俺はけっこう成功率が高くて、それで調子に乗っていたんだと思います」


 澄香は続きを促すように、二回首肯した。


「後先なんて考えずに、俺は愚かなことに、あの人にいたずらを仕掛けてしまったんです!」


 香田は頭を抱えた。全力で後悔の念を表現しているようだった。


 しかし、貞彦はどうにも事情を呑み込めていなかった。


 きっと香田の奴も、話をするべきか悩んだ末に、意を決してここにやってきたのだと思う。


 けれども、話をぼかしている部分が多く、出来事を想像しようにも不明瞭なのだ。


「香田先輩。話し辛いのはわかるけど全然話が見えてこないよ。もうちょっと巻きでお願い」


 素直も貞彦と似たような気持ちだったらしく、強引に話の先を促した。


 貞彦が公園で襲撃されて以来、どうにも素直は警戒モードが続いている。


 素直に慕われているであろうことは悪い気はしない。


 けれども、あえて関わると厄介なことになりそうだし、特に報復などは考えていなかった。


「ご、ごめんなさい。それで、いたずらを仕掛けて、それは成功したんですけど……」


 香田は再び口をつぐんだ。


 数秒の沈黙。


 香田は意を決したように口を開く。


「何をされたのかは記憶にないんだけど、気が付いたら全身があざだらけで、骨が軋むような痛みに苛まれた。多分だけど、殴られたり蹴られたり暴力を奮われたんだと思います……」


 香田は再び体を震わせた。


 いたずらを仕掛けたこと自体は自業自得だが、意識を失うほど暴力を奮われたというのは、さすがにやりすぎだと貞彦は思った。


「それ以来、あの人を見るたびに全身が震えあがって、足がすくんで立っていられなくなったんです。ただ見るだけで反応するのに、一回ニアミスして肩が触れた時なんかは……泡を吹いて失神してしまったんです」


 そんなに怖いのかよ情けないと貞彦はツッコみたかったが、さすがに言わぬが花だと我慢した。


「それはとても辛かったですね。強烈な外傷体験によるトラウマ、とでも言えそうですね。同じようなことが起きないように、脳や体が過剰に反応してしまう状態と、言えるのかもしれません」


 澄香は冷静に言った。


 難易度の高そうな相談事でも、冷静さを見失わない姿勢は見習いたい。


「トラウマ……きっとそうだと思います。その出来事が怖すぎて、あの人のことばかり考えてしまうんです。胸がドキドキして、苦しい感じが消えないんです」


「はい」


「あの人のことを考えると、夜もろくに眠れないし、食べ物も喉を通らない。寝ても覚めてもあの人のことばかり。今でも同じ学校にいるせいで、気が付いたら自然とあの人のことを目で追っている自分に気が付いたんです」


 香田はまくしたてるように言った。


 なんとなく気持ちはわかるのだが、発言内容にはおかしさを感じた。


 素直も同様の想いがあるのか、怪訝な顔をしている。


 夜も眠れないし、食欲も減退。寝ても覚めてもそいつのことを考えている。気が付いたら目で追っている。


 そんなのはまるで。


「香田さんにとっては不可解な感じを抱くかもしれませんが、私の印象をお伝えします。それではまるで、恋をしているみたいではないですか?」


 澄香は言った。


 自分が考えていたことと同様の内容を言ってくれたことで、貞彦は感謝した。


「そそそそそ、そんな。ここ、恋だなんて。ありえないです」


 香田は青ざめていた。


 客観的な反応は恋をしているようなのだが、本人は納得がいかないらしい。


 澄香は、幾分か表情を和らげていた。


「香田さんのお気持ちはわかりました。それで、香田さんは私共に相談をすることで、最終的にどうなりたいのですか?」


 澄香は優しい声色で聞いた。


 相談だけでなく支援を行うにあたり、例によって目標を定めるための質問だった。


 香田はしばし考え込んだ。


「あの人に――恋愛をさせて欲しいです」


 ようやく回答が返ってきたと思えば、あまりにも予想外の答えで貞彦は混乱した。


 素直も意味がわからないらしく、腕を組んで考え込んでいる。


「香田さんの考えをより具体化させるために、いくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」


 澄香は微笑むが、目は笑っていなかった。


 思考の回転を表すように、澄香の親指は絡み合っていた。


「はい。大丈夫です」


「もしその方が恋愛をするとしたら、香田さんの恐怖が和らぐのでしょうか? もしそうだとしたら、どういった理由からですか?」


 澄香は言った。


 香田の掲げた目標と、恐怖心との関連が確かにわからなかった。


 どのような答えが返ってくるのか、貞彦は注目した。


「あの人が攻撃をするのは男性だけなんです。それは嫌悪感や恐怖心から来るものかもしれないと推測しています。恋愛をすることで、そういった気持ちがなくなれば、俺が攻撃される可能性は減るかなと思います」


 香田は答えた。


 彼の主観と推測によるものであるため、真実かどうかはわからない。


 しかし、彼なりの理屈は持ち合わせているようだった。


「もしお答えするのが嫌であれば、お答えいただかなくても結構です。小学生の時に流行っていたいたずらとは、どのような行為だったのですか?」


 香田は、いたずらの内容は具体的にはしなかった。


 それはきっと、言いたくないことであり、意図的に隠したのであろうと、澄香は推測しているようだった。


 やはり聞かれたくないことだったらしく、香田は顔をうつむかせていた。


「今はまだ、お伝えする勇気がありません。いえ、深刻なものじゃなくて、本当に子どものいたずらといったものなんですけど……」


「大丈夫ですよ。どうしても言いたくないことは、言わなくても良いのですから」


 澄香は安心させるように笑みを見せた。


 いたずらの内容については、現時点ではわからないまま話を進めることとなった。


「それでは、最後の質問です。香田さんを脅かすあの人とは、一体どなたなのですか?」


 澄香は一番重要な質問をした。


 香田の願いをそのまま叶えるとしたら、そもそもの相手を知らなければいけない。


 香田の言う相手とは、一体どんな奴なのだろうか。


 年上か年下か。男性への嫌悪などの情報から、女性である可能性が高そうだ。暴力的な様子があるということは、不良かなにかなのだろうか?


「彼女は、俺と同じ二年I組に所属しています」


 初めて彼女と称したことで、同級生の女性だということは判明した。


 貞彦は、予感めいたものを感じた。


 つい最近、同学年の女子生徒から膝蹴りをお見舞いされた。


 偶然の出来事ではあったが、香田が相談に来たことで、運命めいたつながりを感じてしまう。


 まさか。


「皆さんも知っているかもしれません。いつも寝ていてすっごく髪が長い」


 あっ。


 貞彦は確信してしまった。


「猫之音ネコさんです。俺はもう、彼女が怖くて怖くて仕方がないんです!」


 確信が正解に変わった瞬間、貞彦は立ち上がり、いきなり香田の手を握った。


「わかる!」


 同じように被害にあった者同士のシンパシーだった。


 貞彦は、香田とは友達になれそうだと、嬉しく思っていた。

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