第10話 甲賀の乱
峰子との関りが終わり、翌週となった。
カルナと奥霧へのアプローチが終了したことで、どうなったのかについて、貞彦は気になっていた。
今度はきちんと様子を見ることの許可をとって、実際の姿を見せてもらおうかと考えていたその時。
「大変。大変だよー!」
相談支援部室に飛び込んできたのは、素直だった。
珍しく血相を変えている。
「どうしたのですか?」
澄香が聞くと、素直は呼吸を整えて、口を開いた。
「甲賀先輩が、甲賀先輩が」
「甲賀先輩が、どうかしたのか?」
素直は、割と信じられないことを口にした。
「甲賀先輩が暴れてるんだって!」
急いで現場に駆け付けると、甲賀は複数の人物に取り押さえられていた。
「離せ。離しやがれ貴様らあああああ」
顔は真っ赤に紅潮し、組み伏している男たちを振り払おうともがいている。
ものすごい力がかかっているようで、組み伏している男子たちも、振り回されていた。
「一体、何があったんだ?」
貞彦は教室の隅で怯えている、二年生の風紀委員に詳細を尋ねた。
「こ、小鹿さんと奥霧くんが戻ってきてから、二人は見違えるようにやる気になってて、良かったなーって私たちは思ってたんだ。けど……」
「けど?」
「甲賀先輩が『俺が間違っていたというのかー』って叫びだして、机を叩いたり壁に頭をぶつけだしたりして、私たちも怖くって……」
本当に突然のことだったんだろう。気が弱そうな風紀委員は、震えで立っているのもやっとな様子だった。
「大丈夫だ。俺たちが来たから安心しろ」
そう言ってしまって、貞彦はしまったと後悔した。
部外者ではないとはいえ、これで完全に逃げられない。
「貞彦先輩珍しくかっこいいね!」
「貞彦さん、素敵ですね」
素直と澄香に賞賛されたことで、ますます逃げられなくなった。
覚悟を決めるしかないと考えたが、まずは最低限の情報収集からだった。
「ちなみに、紅島先輩とカルナと奥霧はいないのか?」
少しだけ震えが収まった風紀委員は答える。
「まりあ先輩は『私の愛が足りなかったんだ~』って泣きながらどこかに行っちゃった。小鹿さんと奥霧くんは、まだ来てないよ」
貞彦は頭痛すら感じた。
なんとなく、甲賀だけでなく、紅島まで何かしらの騒ぎを起こしていそうな予感がした。
もう、うちの学校の風紀委員は終わりじゃねぇのか。
貞彦はそう悟った。
そうだとしても、まずは目の前の甲賀の件について処理することが優先だった。
恐る恐る、貞彦は甲賀の近くまで移動した。
「甲賀先輩。落ち着いてください」
甲賀は、ようやく貞彦たちの存在に気づいたようだった。
「久田あああああ。貴様らはあいつらに何をしたんだ!」
「何って……別に俺は何もしてないですけど」
「嘘をつけ。やる気のなかったあいつらが、急にやる気を出し始めたんだぞ。呪術か何か悪いことをしたのではあるまいな」
甲賀は興奮を強めた。
ギリギリと組み敷いている男子を締め上げつつあり、いつこの拘束が解けてもおかしくなさそうだった。
こ、こええええ。
チラリ、と澄香と素直を見た。
貞彦が男らしいことを言ってしまったせいか、期待した瞳で静観に務めている。
やはりやるしかないか、と再び覚悟を決めた。
「やる気が出たんだとしたら、それはとても良いことじゃないですか」
「貴様らがきっと、洗脳などの卑怯な手管を用いたに違いない。人は簡単には変わらん」
いわれのない誤解を受けて、貞彦の怒りは溜まっていった。
「態度は変わったのかもしれませんが、心の底から変わったのかまでは知りません。それに、もともとの目的は二人にやる気を出してもらうことじゃないですか。何がいけないって言うんですか?」
「うるせえええええええええ」
もはや理屈になっていなかった。
貞彦はイライラしてきた。
ほんのわずかな時間ではあるが、カルナの想いを聞くことができた。
見捨てられているように感じていた自分を、叱ってくれたのは甲賀だと、カルナは言っていた。
好きじゃなかった学校生活も、好きになってきた。
貞彦にはその気持ちを理解できないけれど、その功労者の一人は、きっと甲賀なのだ。
けれども、今の甲賀の姿はひどいものだった。
わけのわからない理由で逆上し、人が悪いと決めつけ、あまつさえ身勝手に暴れ狂う。
こんなことでは、甲賀のことを慕っているカルナが報われない。
貞彦はそう感じた。
貞彦は、いつかは言ってやりたかったことを、言うことにした。
「風紀委員が風紀を乱してどうすんじゃああああああああ」
かつて口にした正論を返されたことで、さすがの甲賀も口をつぐんだ。
事情を知っている澄香は微笑み、素直は笑いを堪えていた。
「甲賀先輩。あんたはカルナが元気にしていることは嬉しくないのか? なんだかつまんない、受け入れられている感じがしないって、一人で寂しさを感じていたあいつが、楽しいって言っているんだぞ。どうして喜べないんだ!」
「……貴様に、小鹿の何がわかるんだ」
「何もわかんねぇよ。話を聞いて、想像することしかできなかった。それでも、なんだか胸が痛かった。そんな中、あんたが叱ってくれたからって、嬉しそうに言ったんだ!」
甲賀は沈黙した。
何か言うことを考えているのかもしれないし、何も言えないのかもしれない。
慣れない大声を出したせいか、呼吸が不規則になった。頭もくらくらする。
けれど、これで解決できたなんて、思えなかった。
まだ何かを言わなければいけないと思ったが、声が出なかった。
「よく言いましたね貞彦さん」
澄香は貞彦の肩に手を置き、一歩前に出た。
「……白須美」
甲賀は、憎らし気に澄香を睨んだ。
「甲賀さん。どうしてそんなに、自分を責めているんですか?」
甲賀は顔を逸らした。
「そんなことは、ない」
「カルナさんが元気に仕事をしているのは、私たちの力でも、実根畑さんの力というわけでもないのですよ。彼女が自分自身で、楽しみ方を見つけただけだと思うのです」
甲賀は沈黙した。
奥歯を強く噛みしめているらしく、あごが歪みそうなほどに軋んでいる。
「俺は、間違うわけにはいかんのだ」
「甲賀さんが間違っているわけではないですよ」
澄香は当たり前のように肯定した。
けれど、貞彦には甲賀の何が間違っていないのか、よくわからなかった。
別に自分たちのおかげとは思わないが、現に峰子と関わったこともきっかけとして、カルナは元気にやっているらしい。
それは、甲賀のやり方が間違っていたから。そう言えるのではないだろうか?
「
「……
貞彦は澄香が何を言ったのかわからなかったが、甲賀は理解したようだった。
「君主が臣下を制御するために使う術は主に二つ。刑罰と恩賞。いわゆるアメとムチですね。罰を与えて恐怖から従わせようとすること、恩賞を与えて恩義を感じさせること、これも立派な統治方法です。甲賀さんはまるで刑のようですね」
やり方が間違いなのではなく、ただ単に方法論の一種なのだと、澄香は言っているように感じた。
「けれど、甲賀さんの信念は貞彦さんからお聞きしています。罰が怖くて校則を守るのではなく、自ら進んで校則を守るような人格を形成する。とても立派な教えじゃないですか」
甲賀は何も言わない。
ただ黙って、じっと聞いている。
「結果的に、カルナさんはやる気が出ているように見えていると思います。ただ、彼女たちが相談に来た時に思ったのです。もうすでに、甲賀さんと紅島さんの目標は達成できているのではないかと」
「それはどういう意味だ?」
甲賀が聞くと、澄香は何かをかざしながら微笑んだ。
貞彦が見ると、それは澄香のスマートフォンだった。通話状態になっている。
「あとは、ご本人から伺いましょう」
澄香が言うと、部屋の入口が勢いよく開いた。
「ガンちゃん先輩!」
飛び込むように入ってきたのは、カルナだった。右脇には、なぜかコルクボードを抱えていた。
「小鹿!?」
「スミちゃん先輩から暴れてるって聞いたけど、ほんとーだったんだ。マジウケる―」
ウケる―と言った割に、カルナは笑ってなどいなかった。
ずいずいと大股で歩き、甲賀の眼前にまで迫った。
「ちょっとだけ聞こえてたけど、何勝手に拗ねて暴れてるわけ? ガンちゃん先輩はあたしの何なのさ。自分一人であたしをしょいこんでいる気になってんだったら、それは違うっしょ。マジウザい」
カルナは、辛辣な言葉をぶつけた。
「お、俺はお前のためを思ってだな」
「思ってるつっても、それはただの押し付けでしょ? あたしがいつ立派な人間にしてくれとか頼んだよ」
「そ、それはだな……」
さすがの甲賀も、カルナの剣幕の前には形無しだった。
岩のように屈強で、大きくて怖い存在に見えた甲賀も、子猫のように小さく見えた。
カルナは、あからさまに溜息をついた。
「ガンちゃん先輩を抑えてくれてありがとう男子ども。ほら、散った散った」
カルナがしっしと手を払うと、甲賀を抑えていた男子たちは拘束を解いた。
甲賀は自由になったにも関わらず、その場から動こうとはしなかった。
カルナはわきに抱えていたコルクボードを置き、助走をつけて甲賀に向かって飛びついていった。
「ウェーイ!」
あわや暴力沙汰かと貞彦は心配したが、予想に反して、カルナは甲賀に抱き着いたのだった。
「ひゅーひゅー」
テンションが上がったらしい素直は、二人を茶化した。
「こ、こ、こ、小鹿! ふ、婦女子がなんたることを!?」
甲賀は混乱に混乱を重ねていた。
「うっせー。ちょっと黙ってろガンちゃん先輩」
甲賀は押し黙った。
どうしたらいいのかわからず、両手は所在なさげにしている。
「……まりあ様に教えてもらったこととか、かいちょーに教えてもらったこととか、まあどっちも言ってることは正しいと思うし、そんな体験ができて良かったと思うけどさ」
カルナは甲賀とキスをしそうなほどに顔を近づけた。
「やっぱり、ガンちゃん先輩に叱られたことが、一番嬉しかったなって思ったわけよ。マジウケる―」
「小鹿……」
「これ、プレゼント」
カルナは床に置いたコルクボードを甲賀に見せた。
コルクボードには玉状のお花紙が敷き詰められており、文字を象っていた。
『ガンちゃんいつもありがとう』と書かれていた。
「あの花紙って、折り花を作った奴か」
貞彦は、カルナが頻繁に生徒会室に出入りしていた理由に思い当たった。
きっと峰子に教わりながら、コルクボードでメッセージを作ったのだろう。
「小鹿……」
「カルナって呼んでって、いつも言ってるじゃん」
甲賀は涙の滲んだ瞳を拭い、顔を逸らしながら言う。
「……カルナ」
カルナは、得意気に満面の笑みを見せた。
「やっとあたしのことを認めたね。じゃあ――ご褒美あげる」
カルナは甲賀にキスをした。
一瞬では終わらず、カルナは舌を動かして、甲賀の口内を弄んでいるようだった。
周りの空気に亀裂が入ったように感じ、誰もがその場を動けなかった。
これ、ディープな奴だ。
「きゃー」
あまりにも恥ずかしくなって、貞彦は声を上げた。
誰もがこの空気をどうしようと戸惑っている中、一歩前に出たのは素直だった。
その瞳は、好奇と復讐心に燃えているように貞彦は感じた。
素直は息を思いっきり吸い込み、からかうように言い放った。
「やーいやーい。風紀委員が風紀を乱してるー!」
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