第249話 終焉⑥


 どぷん、と体が泥の中に沈み込む感触がした。

 空の向こうがどうなっているかなど、ハーミスは全く見当もつかなかったが、少なくともこんな気味の悪い空間ではないだろうと思っていた。


「視界が真っ暗だ、何にも見えねえ……どこまで進むんだ……!?」


 闇に包まれて、前が全く見えない。無限に加速し、彼の体は前に進んでゆく。


「クソ、ライト点灯……って、オイオイ!」


 不安が少しずつ募り始めたハーミスがスリットから洩れる光を強め、眼前を照らしてみようとした瞬間、辺りを包んでいた闇が掻き消された。星々が輝く、地上から見た景色と変わらない、美しい世界。

 その中心に鎮座しているのは、別の門。暗黒空間に続くそれが、間違いなく外神とやらの世界に繋がっているものだと、ハーミスは確信できた。

 なぜなら、その暗黒の奥から、巨人ほどの太さもある蛸のような深い青色の触手が、何十本もハーミス目掛けて襲いかかってきたからだ。

 視界が取り戻されたハーミスにそれはたちまち絡みついてきた。


「なん、だ、とおぉッ!? ヤバい、装甲が剥がされるッ!」


 じゅうじゅうと音を立てて、装甲が溶ける音がする。この状況、地上の外で装甲を脱げばどうなるかは全く分からなかったが、このまま圧し潰されるよりはずっとましだと判断したハーミスがそう念じると、装甲が炸裂したように脱げた。

 中身が飛び出すのと同時に、装甲は触手に破壊された。彼はふわふわと宙に浮くような感覚で、くるくると舞ったが、姿勢を整えた。海のようだが、呼吸は出来るし、何か体に変化が起きた様子もない。

 一先ず安心すると、触手達は暗い泥の如き闇の中へと戻っていった。様子見をしているハーミスの前で、彼の目が見開き、血の気が引くほど悍ましい存在が姿を現した。


『……来たのね、ハーミス』


 ローラだった。

 ただし、ローラと呼んでいいかすら怪しい姿だった。ローラと呼べる部分は中央にある巨大な顔だけで、色も薄暗い灰色。その周りにはハーミスの装甲を破壊した触手が何十本、何百本と蠢いている。まるでそれが、髪の毛の役割を果たしているようだ。

 見る人が見ればそれだけで卒倒しそうな姿だが、ハーミスは冷静に声をかけた。


「呼吸が、できるみたいだな……この空間は」


『ここは私と外神の創り出した空間よ。挑んできた者を簡単に殺すほど、私も無粋じゃないわ。わざわざここまで辿り着いたんだもの、相手くらいはしてあげる』


 彼女の声は、脳に直接響くようだった。


「外神って……お前の姿そのものが、化物だってか」


『化物だなんて、酷い良いようね。これは完成した姿よ、聖女として全てを滅ぼすのにこれ以上相応しい姿はないわ……せいぜい余興として、私を愉しませてね、ハーミス』


 巨大なローラの顔が笑ったかと思うと、周囲の触手が二十本ほど、ハーミス目掛けて飛びかかってきた。


「これは、さっきの触手!? この……こんなもん、斬り落としてやる!」


 やや不自由ではあるが、体を動かせるハーミスは義手に赤い魔力刃を宿し、聖女の塔ほども長く伸びた半透明の剣で、襲い来る触手を斬り裂いた。

 みじん切りをするように振り払う刃によって真っ二つにされた触手は、塵のように消えてなくなるが、一本や二本斬ったところで、ローラは痛くも痒くもないようだ。


『無駄よ。この触手は無限に生えてくる。斬ったところで何の意味もない。そもそも、触れた時点であらゆるものが焼け焦げるしね、うふふ』


「ぐ、この、野郎ッ!」


 その証拠に、次から次へと触手がやって来る。まるで猛攻は止まらず、しかもハーミスは思うように動けず、とうとう触手の一つがハーミスの右足に触れた。


「ぐああああぁぁッ!?」


 途端に、ズボンの上からハーミスの足が焼け焦げた。ローラの言う通り、僅かに掠めただけでも人の肌を焦がすには十分な威力があるようだ。そんな触手が、巨人ほど太く、何百本もあるなど、悪夢に他ならない。

 悶えるハーミスに、絶え間なく攻撃は続く。既に数十本の触手が斬られているのも意に介しないローラの、くすくす笑いが脳にこだまする。


『まだ分からないの? 外神の力はこの世界中に存在するあらゆる生命体を凌駕しているのよ。そんな高位存在が世界を支配するのは当然――なら、支配者が得たものをどうするかを決めるのも当然なのよ』


 彼女の思想を、思考を常人では理解できない。ただ世界を、あらゆる物体を、概念を破壊し尽くせれば彼女は満足なのだ。後に残るものなど、凡そどうでもいいのだ。


『私の求めていた破滅だけが、世界に降り注ぐの。理由なんて必要ないわ。汚れた世界の浄化だとか、正しい世に戻すだとか、そんなのは全てまやかし。必要なのはただ一つ、純粋に壊れゆく未来だけよ』


 こんな聖女が力を持ったなら、もう誰にも止められない。ありとあらゆる全てを巻き込んだ外道の計画は、今まさに成立しようとしている。


「てめぇの、イカれた思想に、人を巻き込んでんじゃねえぇ!」


 強がるハーミスは吼え猛るが、既に義手以外の多くが焼け爛れている。攻撃への対応がもう限界を超え、為すがままにされているのだ。

 最初から敵わないのではないかと疑うほど、ハーミスとローラの戦力差は圧倒的だった。外神と合体し、その力を得たローラの戯れが、ハーミスからすればどの『選ばれし者』よりも強いのだから。


『他者が納得する必要はないわ。私が理解すればいい。ハーミス、貴方も不要なのよ』


 そんなざまを見れば、ローラも簡単に、彼との遊びに飽きてしまう。体中が焼け焦げ、転落したあの日のような姿となった彼から、触手が離れてゆく。


『貴方の力は理解した、私を止めるほどではないとね。なら、ここで終わり』


 代わりに、大きく口を開いたローラの中心に触手が先端を向け、それぞれがとてつもない勢いの魔力を集中させた。どす黒い闇色の魔力は、ローラの顔ほども大きくなる。


「……この魔力、こんなの、アリかよ……!?」


 触手相手ならまだ闘志を抱いていたハーミスも、赤い刃を消し去り、義手を力なく垂れ下がらせる。あれだけの力を止めるほどのスペックはハーミスにはない。

 電撃のように唸る魔力の収束体。あれで自分を消失させるのかと彼は思っていたが、ローラはそんなつもりなど毛頭なかった。


『地を焼く聖なる光。ハーミス、貴方にはこれで十分よ』


 細い一筋の光が、ハーミスの前で瞬いた。

 刹那、ハーミスの姿は黒い光に呑み込まれた。向こうからすれば、細い針のような光を軽く飛ばしただけ。ただそれだけで、ハーミスの体は闇の空間から消え去った。肉体すら残らない、本人だけが死を認識できる、完全な消滅。

 これまでの旅路は、潰えた。ハーミスは、あっさりと、簡単に終わった。

 何もおかしな話はしていない。これが普通なのだ。

 大仰な攻撃など必要ない。想像を絶する力の具現も、圧倒する怒涛も必要ない。本当に神として君臨するものは、必要最低限の力で邪魔を消失させるのである。


『……意外とあっけなかったわね。最大の障害と思っていたけれど、買い被りかしら』


 口元にエネルギーを集中させながら、顔だけのローラは呟く。


『まあいいわ、余興はここまで。門から地上に降り、全てを滅するとしましょう』


 もうじき、ローラが溜め込んだエネルギーが解放される。そうすれば、地上は焼き払われ、従僕と外神によって二つの世界が接触し、無抵抗の侵略が始まる。

 地表の戦いなどまるで関心を持たず、終焉に思いを馳せる外神。

 あまりにも巨大な彼女は、気付かなかった。

 消え去ったハーミスの残滓――『注文器』ショップだけが、虚空に漂っているのに。

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