第188話 変成


 吊り上がったユーゴーの顔を、クレアは初めて怖いと思った。

 聖伐隊と初めて向き合ったあの日ですら感じなかった恐怖は、たちまち伝染した。

 ルビーもドラゴンの目をかっと見開き、敵を見据えてはいるが、明らかに以前のユーゴーや敵を見る目付きではない。絶対に勝てない相手を前に、倒すのではなく、時間稼ぎを考えているかとすら思えるような目つきだ。


『変成』ミューテーション!? 何の職業に絡んだスキルなのよ!?」


 クレアの問いに、ユーゴーは盾に変形した腕を、魔力弾を取り込みながら元に戻す。


「さあな、今の俺様に職業なんてもんはねえからよ。といっても気にならないくらい便利だぜ、このスキルはな!」


 ユーゴーの、ぐるぐると手を回す挙動が早くなる度に、彼の腕が輝いていく。まるで、内側に籠ったエネルギーが、外に放たれたがっているかのように。

 内包された魔力をどうするか。凶暴な性格の男からすれば、決まっている。


「カルロが俺の体に混ぜ込んだ金属はかなり特殊らしくてな、ちょっとやそっとの攻撃じゃ傷一つつきやしねえ。おまけに魔力を取り込んで、見よう見まねで同じような攻撃ができるんだよ――こんな風に、なァッ!」


 彼が腕を勢いよく振りかぶると、とてつもない炸裂音と共に、腕から魔力弾が放たれた。クレアの持つアサルトライフルと同じように、高速で、紫の光を纏って。


「まさか、危ないッ!」


 エルが桃色の魔法障壁を張るのは、ユーゴーの魔力弾による攻撃を視認した瞬間だった。他は三人が予想外の事態に唖然としているが、目の前で障壁とぶつかり合った銃弾が破裂し、爆裂的な破壊を齎すのだけは、目のあたりにしている。

 一斉に放たれた攻撃が止むのは、アサルトライフルによる銃撃よりもずっと早かった。障壁によっていなされた魔力弾によって、破壊された床や壁からもうもうと立つ煙を払うように、桃色の障壁も解かれた。


「嘘でしょ、あいつ、あいつもアサルトライフルを持ってるの!?」


 クレアはエルに走り寄って聞くが、彼女はもう、それどころではなかった。


「……いえ、あの男は言いました……魔力と攻撃の性質を得て、同じ攻撃ができると……銃撃と、同じ、攻撃を……う……」


 エルは仲間を守る為に障壁を張ったが、その威力を見誤っていた。

 放たれた銃撃のうち何発かは、エルの肩と腕、腹に命中していた。最も近くで敵の攻撃を受けた彼女は、ゆっくりと意識を失い、その場に倒れ込んだ。


「エル! まさかあんた、モロにくらったの!?」


 血を流す彼女を抱きかかえようとしたクレアだが、そんな余裕は残されていない。


「そりゃあそうだろ、俺様の攻撃を魔法程度で止められるかよ」


 ついさっきまで遠くにいたはずのユーゴーが、クレアのすぐ隣にまで来ていたからだ。

 誓ってもいい、クレアはエルを介抱しようとしたが、ユーゴーから一度も注意を逸らしてはいない。それはルビーや、アルミリアも同じだ。

 なのに、ユーゴーは瞬間移動したかの如く、三人に接近した。そして、状況を呑み込めていないクレアに向かって、蹴りを叩き込んだ。


「きゃあッ!」


「クレア! この、グルルアアァ!」


 吹っ飛ばされたクレアを見て、ルビーがユーゴーに飛び掛かる。ドラゴンの腕力に加えて、今はハーミスからもらった籠手を使い、腕力で捻り潰す算段だ。

 ユーゴーの頭を砕き割るほどの勢いで拳を振り下ろしたルビーだったが、ユーゴーは簡単に、左腕で拳を掴んでしまった。『選ばれし者達』だとしても規格外のパワーを前にして、怒りに震える彼女の表情が、慄きへと変わってゆく。


「おいおい、ドラゴンちゃんよォ、そこの魔女が言ったろ? 俺様は攻撃の性質を得て同じように使えるってよォ? 姿形も、腕力も、この通りだぜ!」


 ルビーの目の前で、ユーゴーの腕が隊服諸共変貌していく。鈍色の、泥のような金属に包まれてゆき、ドラゴンの腕と爪、鱗を模してゆくだけでなく、かっと見開かれた瞳すらドラゴンの如き冷たさを帯びてゆく。

 これではまるで、ルビーと同じ人間態のドラゴンだ。どこまで模倣しているのか。

 鉄のような、氷のような怖気にルビーが退くよりも先に、敵が動いた。


「だからドラゴンの力だって……例外じゃねえんだよなァッ!」


 ユーゴーの体は、腕と顔の一部、胴体がドラゴンの様相を呈していた。

 その体で彼は、ルビーの腕を捻り、地面に叩き伏せたのだ。


「んぐ、ガアァ、ギュウッ!?」


 彼女の悲鳴は、あっという間に聞こえなくなった。鉄の竜と化したユーゴーの拳が、ルビーに叩き込まれたかと思うと、地面がめり込み、痙攣した彼女は動かなくなったのだ。

 竜の力すら取り込んだユーゴーは、白い息を漏らしながら、アルミリアを睨む。

 その光景を見た彼女は、恐怖のあまり失禁しそうになっていた。


「皆、そんな、ハーミスの仲間達が……!」


 あのハーミスの仲間が二人、たちまちやられてしまったのだ。しかも目の前にいるのは、どろどろと顔を溶かし、鉄の肌と人間の姿を取り戻した『選ばれし者達』。いや、もうその領域を超越した、この世の理を離れた者。

 どうすれば、どうしたら。


「何をぼさっとしてんの、逃げなさい、アルミリア!」


 思考停止したアルミリアに向かって、この状況でもまだ大声でクレアが叫ぶ。

 地面にうつぶせになりながらも、アルミリアに逃げるように喚き散らしたクレアだったが、周囲の聖伐隊が動くよりも先に、ユーゴーの声が耳に届いた。


「おっと、ガキだからって逃がす理由はねえなあ」


 ひっ、とアルミリアが喉を絞ったような声を出すと、鋼の男は笑った。


「てめぇも立派な魔物だ、こいつらと一緒にいた自分が悪いと思って、諦めな」


 にこにこと笑ったまま、彼女を殴り飛ばした。

 何の捻りもない一撃でも、少女を昏倒させるには十分だった。どう、と倒れたアルミリアを見下ろすユーゴーをクレアは睨んだが、彼女の体も動かない。


「アルミリア……!」


 こんなことがあるだろうか。

 今までの『選ばれし者達』との戦いですら、こんなに手も足も出なかった経験はない。自分にぎょろりと目線を向けた男――攻撃を無効化し、自分の力とし、種族すら変えてみせるユーゴーが、ここまで強いのか。

 そんな強者は、這いつくばるクレアを嘲笑う。


「残るはあと一人だな。てめぇなんざいてもいなくても変わらねえし、新聞にあんまり載ってねえから殺す価値は薄いんだけどよ……どうだ、てめぇ、逃がしてやろうか?」


 彼にとって、自分は無価値。

 そう聞いた途端、クレアの腸から、怒りが沸き上がってくる。それが、逃げない理由になり、彼女はナイフを構えて、よろめきながら立ち上がる。

 一つは舐められたことへの怒り。

 もう一つは、僅かでも逃げたいと思った自分への怒り。

 逃げるのは、あの時で終わりだ。


「――ナメんじゃないわよ、この野郎」


 きっと睨みつけるクレアに対しての処遇を、彼はもう決めていた。


「いい返事だぜ。俺様も、その方が嬉しいんだよ」


 最大級の醜い笑みを浮かべて、ユーゴーは彼女を餌にすると決めた。

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