第174話 死人
「まさか本当に墓だなんてな……」
「ということは、まさかここに並んだ棺は全て……」
「や、やめなさいよ!」
クレアは話を止めたが、彼女自身も気づいている。ここにある石材は全て棺で、ならば中身も残っているはずだと。眼前に並ぶとてつもない数の棺、全てに。
いかに死体といえど、こんな君の悪い話はない。クレア達が早々に棺から離れる傍で、ハーミスもまた、出口を探すべく動き出そうとした。
「……?」
動き出そうとした、と記したのは、実際に行動に移す前に足を止めたからである。
最後に棺桶の中を一瞥したハーミスは、死体の瞼が少しだけ動いたように見えたのだ。
当然、死体の目など、ましてや筋肉などが動くはずがない。自分の見間違いだと思うことにしたハーミスだったが、少しだけ不安が頭を過り、仲間達が歩いていくのを追いかけながら、もう一度だけ棺に振り向いた。
「――えっ」
棺の中の死体が、起き上がっていた。
上体を起こし、目をぱちくりと開いていた。農民のような服を着た男の死体が、半開きになった口を閉じようともせず、しっかとハーミスを見つめていたのだ。
あれは死体だ。どう見ても生きている人間の肌の色ではないし、確実に死んでいると確信できた。そのはずなのに、死んだはずの肉体がゆっくりと動き、棺の縁に手をかけた瞬間、ハーミスは反射的に叫んだ。
「な、何だ!?」
彼の声を聞いて、三人が振り返る。
「ぎゃーっ! 死体が動いたーっ!?」
クレアが跳ね上がった。ルビーは目を丸くしていて、どうして死体が起き上がっているのかなどの状況を把握しきれていない。だが、ドラゴンとしての勘が働いたのか、もしやと思い、ぐるりと一帯を見回した。
「皆、あれを見て! 他の棺が……!」
彼女が指差したのは、ぬるりと死体が這い出てくる棺の隣。
蓋がゆっくりと開き、今度は女性の死体が、首が座っていないような様子で体を持ち上げて出てきた。その隣の棺も、隣も、また隣も。
気づけば、遠く離れた棺からまでも、蓋が地面に落ちる大きな音がこだましていた。百を超える棺桶から、老若男女問わず死体がのそりと出てきて、ゆらり、ゆらりと四方八方からハーミス達に近寄ってきていた。
それらは着ている服も違う。軍服であったり、農民の革製の衣服であったり。完全に体が残っている死体もあれば、骨が見えている者もいるし、腕が千切れていたり、片足がなかったり。いずれも目は虚ろであるが、中には頭のない死体までいる。
あまりに奇怪な光景に畏怖しながらも、更にエルが、仲間に危機を伝える。
「棺だけではありません、あそこにも、向こうからも……来ます、構えて!」
なんと、死体が迫ってきているのは棺の中からだけではなかった。
目を凝らしてようやく見えるような、広場に続く横道からのそのそと歩いてくる。何もないはずの地面を自ら掘り起こしたり、天井を這ったりしてやってくる。こうして間もないうちに山ほどの死体が現れ、腕をわしわしと動かし、ハーミス達を取り囲んだ。
四人は互いに背を合わせ、いつでも戦えるように武器と拳、炎を携えて敵を見据えるが、多勢に無勢。そもそも、死体に攻撃など通じるかすら怪しい。
数は百を下らないと言ったが、二百、下手をすれば三百はいる。武器を持っている者はいないものの、この人数では覆い被さられるだけで致命傷になりかねない。
「こっちから攻撃はするなよ、いいか、刺激するな」
元々死人だったハーミスは冷静に言うが、クレアは相当慌てている。
「そんな悠長なこと、言ってる場合じゃないわよ! 死体に話なんか通じるわけがないでしょ、頭をぶち抜いてやるのが会話の代わりよ!」
「ううん、ルビー達を殺すつもりなら、もう襲われてる。それに、殺気も感じないよ」
「だったら、どうしてあたし達を……」
ルビーが言う理屈に反論で返すクレアだったが、彼女の声は遮られた。
「――皆の者、下がれ!」
広間の奥、遥か奥から、凛とした声が響き渡った。
その途端、死人達は虚ろな顔に命が吹き込まれたかのように、ばっとハーミス達から離れた。そして、今度はよく訓練された軍人であるかの如く、棺の前に、一列に並んだのだ。農民も軍人も、子供ですら手を揃え、びしりと直立する。
さっきの死人らしさ、つまりゆらゆら、ふらふらした調子は微塵も感じさせない。足を失っている者、頭のない者ですら直立不動の姿勢を取る異様な光景を目の当たりにして、呆然とするハーミス達の前に、ゆっくりと誰かが歩いてきた。
「ここに生者が迷い込むとは……何者じゃ、名を名乗れ」
懐中電灯に照らされて、影の中から姿を現したのは、少女と老人だった。
少女の方は、ボリュームのあるえんじ色の髪を内側に巻いたツインテールにして、髪の付け根を朽ちた紺の大きなリボンで縛っている。目の色も髪と同じで、瞳はぱっちりと開き、大きく明るい。体つきは平坦。
リボンと同じ色の華やかなドレスとヒールを着用しているが、所々破けていて、空いた穴や装飾の千切れた跡が目立つ。白いファーの付いた、土汚れに塗れた緑色のマントを羽織っているのが、かえってちぐはぐな印象を与えてしまう。
片や老人はというと、年齢は五十代前半と見える。
狐のような茶色の目とほっそりとした顔と体つきで、にこにこと微笑んでいる。ひび割れたモノクルが特徴的。髪型は白髪のソフトモヒカンで、口元からもみあげに渡って白く長い髭を蓄えていて、猫背気味で、杖をついている。
紫色の燕尾服と赤いネクタイを着用しているが、靴だけは茶色の革靴である。
何よりも異様なのは、二人とも、他の死人と違った肌色である点だ。土気色ではあるが青みがかっていて、一層生気を感じさせないのだ。
明らかに魔物の類であるが、ハーミスは物怖じせず、静かに聞いた。
「名前を聞くなら自分から、だろ?」
灯りに照らされても眩しがらない少女は、やや傲慢な態度のまま答えた。
「……侵入者に礼儀を注意されるとはの。ま、お主の言い分には一理ある」
ふん、と小さく鼻を鳴らし、彼女は言った。
「わらわはアルミリア・デフォー・レギンリオルじゃ。覚えておくがよい」
「アルミリア様の付き人を務めさせていただいております、オットーと申します」
少女の名はアルミリア、老人の名はオットー。
二人の名前を聞いた途端、エルの顔色が変わった。
「……アルミリアに、オットー……まさか!?」
「知ってるのか、エル?」
「名前だけは知っています、向こうにいた頃に聞いた程度ですが――」
彼女は、自分の口から零れる事実に、自分自身が一番信じられない様子だった。
「アルミリアといえば、第十三代レギンリオル最高指導者、バンドロッソ・カルバリン・レギンリオル……そのひ孫にあたる人物のはずです」
ハーミスだけでなく、クレアも、ルビーですら驚愕した。
「……こいつは、レギンリオルの貴族だってのか……?」
目の前にいる、小さいのに威厳たっぷりな雰囲気を醸し出そうとする少女。不釣り合いなマントを肩から掛ける彼女が、かのレギンリオルの貴族だとは。
しかし、彼女には確かな説得力があった。
少なくとも、この場では何百もの死人が彼女に従っていると、ハーミスはそう思った。
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