第153話 撤退
ルビー達が坑道で捕えられた頃、クレアとエル、ワイバーンは撤退を完了していた。
逃げてきたのは、下見を行った範囲から更に離れた、渓流地帯だ。敵が追ってさえ来なければ、清流と開けた木々のおかげで、回復も、身を隠すこともできる。
とはいえ、当然無傷ではない。複数のワイバーンは墜落したし、傷を負った者もいる。クレア達は無傷だったが、エルは防御の為に魔法を乱発したのか、少し息が上がっている様子だった。
クレアは通信機に向かって必死に仲間の名を呼んでいたが、当然返事などない。
「ハーミス、ハーミス……クソッ!」
とうとう癇癪を起こして、近くの木を叩くクレアに、エルがため息と共に言った。
「落ち着いてください、クレア。通信で聞こえていた状況であれば、誰も殺されてはいません。それに、こちらから迂闊に手は出せないでしょう」
ワイバーン達のやられようを見れば、エルの言葉は正しい。
あの赤い光の精度と素早さ、そして地上からの対空攻撃の激しさは、実際に受けた者が一番理解している。俯いた顔から、あれを正面から打破出来るはずがないと。
「あの訳の分からないわっかさえなけりゃ……どうなってんのよ、あの鉱山は!」
兵器を搭載し、謎の兵隊を有している。既に鉱山とは呼べない要塞を前にしても、エルは比較的冷静で、それでいて出方を窺えるほどの余裕はあった。
「恐らくですが、こちらの出方は既に読まれていたのでしょう。下見に出た時点で発見されていたか……いずれにしても、あの攻撃をかいくぐるには、向こう側で何かしらのトラブルが発生しなければ……」
だが、クレアは違った。
彼女は一人、ワイバーンの肌を擦りながら、何かを話しているようだった。
「……何をしているのですか、クレア」
水を飲んでいたワイバーンに、通じない言葉を話すクレア。
「あんた達、ちょっと休憩したらもう一回飛んでちょうだい。あたし達の言葉が通じなくても、ニュアンスくらいは分かるでしょ」
なんと、散々酷い目に遭っておきながら、無策でバルバ鉱山に向かうと言っているのだ。緑色の肌を叩かれる彼らも、言葉は通じないながらも、困惑しているようだ。
そんな愚策を、エルが止めないはずがない。
「はっきり言って、無謀です。機会を伺う手段は残っているのです、待つのが賢明……」
ところが、彼女の言葉を、クレアはヒステリックとも言える口調で遮った。
「待ってろっての!? ハーミスが、ルビーが敵に捕まったってのに!?」
クレアにとって、二人の存在は他の何にも代えがたかった。
いつもの愚痴、悪口を愛情の裏返しとするならば、特にルビーの存在は、クレアにすれば特別なものだった。彼女の裏切りによって一度は死の危機に瀕したルビーを、今また、彼女は自分の過ちで失おうとしている。
ジュエイル村のように、もう何も失わせないと決めていた。
その矢先に、これだ。クレアは何よりも、自分自身を許せなかった。
「あいつの様子がおかしいのはあたしも、あんただって知ってたはずでしょ! 本当なら昨日の時点で止めるべきだったのよ、喧嘩になってでも、何をしてでも!」
「クレア、二度も同じことは言いません」
「ルビーはあたしのせいで、一度死にかけてんのよ! あいつの変化に気付いていて、止められないで死なせるなんてあっちゃいけないでしょうが! 作戦の粗を指摘できなかった、あたしが行かなきゃ――」
「彼女達の身を案じているのが、自分だけだと思っているのですか!」
発言の内容すらも支離滅裂になってきたクレアに、とうとうエルが吼えた。
「……っ!」
びくりと、クレアも、ワイバーン達も震えた。
エルが怒りに任せて吼えるなど、クレアは一度だって見たことがなかった。
きっと彼女を睨むエルの声は、怒りに満ち満ちていたが、何かを恐れてもいるようだった。普段怒り慣れていない人が怒鳴り散らすと、こんな調子になるだろう。
「私も、ワイバーン達も不安に思っています! 彼らがどんな仕打ちを受けるのかと考えれば、今直ぐにでも助けに行きたいと思わないわけがないでしょう!」
しかし、それでもエルはクレアを叱りつけた。
心配しているのが自分だけで、他が薄情だと言っているようにすら聞こえるクレアの言い分が、どうにも我慢ならなかった。そんなはずがないと、言ってやりたかったのだ。
何より、感情的に動けば、より多くの仲間に危機を及ぼすと、エルは知っていた。だから、ここで口論になろうとも、クレアを怒鳴る必要があった。
「ですが、無計画な突撃は私達さえも危機に晒します! そうなれば元も子もない、言葉通りの全滅です! それが望みなら一人で行きなさい!」
一人でなど、決して行かせるはずがない。ハーミスがいれば、そう言っただろう。
クレアもまた、何となくでも察していたはずだ。大事なのは言葉通りの意味合いではなく、エルがその奥に秘めた、何を伝えたいかに気付けるか否かだ。
彼女は少しだけ目を逸らして、口をもごもごと動かしてから、言った。
「…………ごめん」
本心かどうかはともかく、彼女はようやく落ち着いたようだ。水が落ち、流れる音しか聞こえない木々の間で、エルは慣れない怒りの感情を抑え込むように答えた。
「一人でも行くものかと思いましたが、分かればよろしい」
二人の間に、いつもの空気が戻ってきた。
悪口を言い合いながらも、互いに信頼はしている、奇妙な関係性だ。少なくとも、さっきのように滅茶苦茶な発想とパニックに近い思考だけが取り巻く環境よりはずっと、まともな作戦や提案が出てくるだろう。
桃色の髪を自分で擦りながら、エルは現状での利点を整理してゆく。
「幸い、通信機は破壊されていません。もしもトラブルが向こうで起きれば、どさくさに紛れてもう一度攻め込むチャンスはあるでしょう」
「……そうね。今度は上空からじゃない、速度を活かして低いところから攻めないと」
赤い光や、謎の兵隊といった利点は相手に山ほどあるが、こちらにはこちらで、敵のアクションを把握したというメリットがある。ならば、対策のしようもある。
「ワイバーン達にも手伝っていただきます。構いませんね?」
二人が飛竜達に顔を向けると、彼らは低く唸るだけだった。
ただ、その瞳に敵意はなかった。人間の言葉で訳するなら、自分達も意見に同意するとでも言っているのだろうか。
どちらにしても、残ったワイバーンは協力してくれるようだ。
「言葉、通じてるっぽい?」
「いいえ、雰囲気で頷いているのでしょう」
通信機をつけたままの二人は、小さく息を吐き、鉱山のある方角を見た。
リベンジの時を待つ二人が、飛竜と共に飛び立つまで、そう長くなかった。
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